ID:1488
頑張る40代!plus
by しろげしんた
[221113hit]

■幻想の1978
1974年、ぼくが高校2年の頃に、クラスで「幻想の1978」という言葉が流行ったことがある。
1978年に何かが起こりそうな気がしていたのである。
ぼくたちは、いつもそれを話題にしていた。
当時流行っていた人類滅亡にあやかったわけではないが、ぼくたちは真剣にそれを議論していた。
誰かがポツンと「幻想の1978」と口走り、その響きがよかったので流行った言葉であり、別に深い意味があるわけではなかった。

その頃、ぼくたちは1978年を追い続けて、一日一日を精一杯生きていた。
ある者は、期待に胸を膨らませて1978年を語った。
ある者は、悲観した口調で1978年を語った。
ある者は、「このまま歳をとるだけだ」と言った。
クラスの中の誰が、この年を言い当てただろう?

ぼくにとっての1978年。
あまりに、前年の1977年が辛かった。
就学するでもなく、仕事をするでもなく、ただ無為に数ヶ月を過ごした。
その頃友人たちは、みな、その時の自分を持っていた。
その時自分を見失っていたのは、おそらくぼくだけだったに違いない。
暗い暗い毎日だった。
そんな内にこもった日々が1977年だったが、ようやく年末あたりから、外部と接触を持ち始めた。

明けて1978年、幻想の年の幕開けの日、ぼくは大声を張り上げて、歌をうたっていた。
酒を飲んでは、力の限り歌っていた。
まだ、酒の飲み方もろくに知らなかった。
人の迷惑も顧みずに、とにかく歌っていた。

キャンディーズが解散したのが、その年の4月だった。
気がつくと、ぼくは東京にいた。
ギター一本だけ持っての旅だった。
年の暮れ、外部に接触を持ち始めたぼくは、極端にも、まったく知らない人の渦の中にいた。
それが良かったのか、悪かったのか?
とりあえず、ぼくは一つの節目を、ぼくなりの極端さで乗り越えていた。

街には「悲しい願い」が流れていた。
「東京ララバイ」が日々を潤していた。
銭湯通いの毎日が続いた。
テレビはなかった。
ラジオだけの生活だった。
21の歳だった。
すべてが初めての経験だった。
楽しくもあった。
悲しくもあった。
そんな日々は活字にもなった。

その夏、郷里では深刻な水不足に悩んでいた。
ぼくは、いつも情報を求めていた。
いつしかぼくには、福岡が切れないものになっていた。

酒も強くなった。
飲み方もうまくなった。
金遣いも荒くなった。
貧乏も充分経験した。
二千円で、一ヶ月を過ごしたこともあった。
確かに強くなった。
個性も確立しつつあった。
自分なりの生き方を探していた時期でもあった。
歌も相変わらず続いていた。
それから始まることを暗示する年でもあった。
決して幻想ではなかった。
土臭い、人間らしい日々の連続であった。

 ぼくたちは来るべき日を追い求めて
 一日一日を精一杯に生きている。
 ある者は、その日がいつであるかを探している。
 ある者は、その日の自分を想像している。
 ある者は、日々の延長上にその日を置いている。
 何が正しいのか
 彼らは、彼らの価値観でそれを知るだろう。
 そして、その日もまた、過去の一部でしかないことを
 彼らは、彼らの人生の中で知ることだろう。
11月05日(火)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る