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リュカの日記
by リュカ
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現在午前0時00分。
日が替わった。
今日は午後12時までに病院に着いておきたいので、今日はそろそろ寝ようと思う。

今日は午前10時過ぎに目が醒めた。
ニコ生上で説教される夢を見た。
俺自身は配信してないのに。
配信者の土方のおっちゃんに説教されてた。

現在午前11時43分。
病院に到着。

現在午後18時43分。
病院から帰ってきた。
病院に着いて、午後12時になり親父の食事。
午後12時半になり、親父が看護師さんたちに着替えさせてもらって、午後13時過ぎになり、介護タクシーの人が来て大阪の身体の事も診てくれる別の病院に移動した。
結構長時間車に乗っていたと思う。
その病院に到着。
これまでの病院と比べて、規模がけた違いに大きな大病院でビックリした。
建物の構造も複雑で、タバコを吸いに行って帰ってくる時、トイレに行って帰って来る時に2回も迷った。
今日も俺が親父の車椅子を押したり、しんどくないよう親父の足元のパドル?を捻ったり色々していた。
診察の順番が回ってきて、家族一緒に診察室に入る事になった。
担当は、綺麗な女の先生だった。
その先生が「癌細胞が髄液に落ちてしまって、癌性髄膜炎だと思います。手足の痺れはありますか?」と言い、親父が「手足の痺れは全く無いです」と答え、先生は「?」という感じになってた。
続けて、「便意も尿意もありませんよね?いつ便が出たか気づかなかったりしませんか?」と言い、親父は「便意も尿意もあります。よくトイレに行きたあなります」と言い、先生はまたまた「?」という感じになっていた。
先生は「癌性髄膜炎だと、普通手足に痺れが出たり、便意や尿意が感じられなくなってしまったりするんですが・・・」と言い、俺が「なんか、今かかってる先生が言うには『医学では考えられない事が起きてる』って言ってました」と。
先生は「もしも抗癌剤治療をするなら、逆に寿命を縮めてしまうリスクもあるんですが、良いですか?もしこれで『辞めたい』って思うなら、言ってください」と言い、親父は「いや、治療はちゃんとやってもらいたいです」と。
続けて「週に1度くらいは会社に顔も出したいんです」と言い、先生は「奥さんや息子さんみたいに普通に歩ける人に抗癌剤治療するのと、□□さん(親父の名前)みたいに寝たきりの人に抗癌剤治療するのは全然話が変わってくるんですよ。週1で会社に行こうと思えば行けるかもしれませんが、その日の体調によってそれも左右されてしまいます」と。
そんな感じの事を話して、診察が終わり、それから母親が受付で転院の手続きをしていた。
午後16時過ぎになり、俺が電話で介護タクシーを呼んで迎えに来てもらって、それから元の今親父が入院している病院に戻った。
介護タクシーで大阪の街を走っている時、俺が小学6年生の頃に通っていた小学校への通り道に差し掛かって「あ、これ△○小学校んとこの道や。懐かしいなぁ」と言い、介護タクシーの人が「△○小学校に通ってられたんですか?」と言ってきたので「震災で、小6の時と中1の時に大阪に住んでました。その時△○小学校に通ってたんで、懐かしいです」と言った。
大阪も広いようで狭いんだな。
まさか、タクシーで俺が通ってた小学校への通り道を通る事になるなんて。
午後17時過ぎになり、親父が今入院している病院に到着。
母親が「□□さん、ここに戻ってきた途端元気になったなw」と言い、俺は「今日でこの病院に入院してちょうど3ヶ月やもんな」と言い、母親が「ホームみたいなもんやなw」と言った。
介護タクシーの人に病室まで介助してもらい、それから看護師さんに親父を着替えさせてもらい、その後、母親が「○○(俺の名前)、今日はもう帰ってええで。今日はほんまに助かったわ。そうや、お駄賃あげる。1000円」と言い、1000円くれた。
俺は「ごはん代にするわ。明日もまた来る」と言い、病室を後にして家に向かった。
地元のマクドで「アメリカンファンキーBBQビーフ」のクラシックフライセットを食べて家に帰った。
休日は転院出来ないらしく、早くて来週の月曜日に転院するそうだ。
もう、今の病院ともお別れで、見納めになってしまうかもしれないな。
それを思うと少し寂しい。

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02月21日(金)
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