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リュカの日記
by リュカ
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またしばらく横になってた。
深層心理に潜ってきたというか、白昼夢を見てきたような感じになった。
辛い事があると、昔はしょっちゅう潜っていた場所だけど、最近そこに行く事は少なくなってた。
そこで神というのか、運命というのか、そういうものに問いかける。
というか、訴える。
「ここまで俺を苦しめてどうしたいんだ!どうしてくれる!」と。
尤も、俺を苦しめる事に歪んだ喜びを見出しているそれに、いくらそんな事を訴えたところで、救いをもたらしてくれるはずなんて無いのだけれど。
それでも俺は、当てつけずには居られないのだ。
いくら自分の運命を呪って苦痛を当てつけたところで、結局何も変わらないのは分かっているけど。
心の底で喚き散らしながら、俺は色んな事を思い出してた。
そういえば、俺は子供の頃からそうした神やら運命やらの意志的なものを感じ取ってた。感じ取っていたというよりも、自分に起きた事、またそれによって自分が感じる苦痛から、そういう意志を「汲み取っていた」と表現する方が正確か。
「何かが俺が苦しむ事を求めているのだ」と。
だから、俺は心の中で「苦しいんだから、苦しいんだから」と喚き散らして、その何かに媚を売る事が多かったと思う。
虐待を受ける子供が、肉体的に10の痛みを与えられ、あたかも20の痛みを受けているように振舞って、自分の苦痛を望む虐待者にさっさと満足感を与えて虐待行為を早めに切り上げさせようと試みるのと同じような感覚で。
「これだけ苦しんでいるんだから、もう死にたいほど苦しいんだから」と天に向かって訴え続けていたと思う。
そんな事を思い出してた。
また、俺は自分に対するイメージで、江戸時代の商人的なものを浮かべる事が多かったと思う。
すぐに刀を振るって斬りつけてくる怖い侍の機嫌を取る為、ペコペコ頭を下げ続け、嫌な事があれば実際以上に大げさに苦しんで見せ、『勘弁』を頂戴しようという、そんな商人。
俺は、そういう卑屈な心を持った子供だったな、という事を思い出してた。
そういう事を振り返ってみて、俺は物心付いた頃から性善説なんて信じちゃいなかったんだな、と思う。
人間に対しても、神に対しても「優しい善」である事なんてありえない、と感じ続けていたのだと思う。
大人になった今になっても、その頃の直感的なものは概ね間違ってはいないと思える。というか、今でも同じ感覚だよな。
俺は子供の頃から、肉体的な痛みに対して、異常な恐れを持っていた。
そして、俺はこの歳になるまで殆ど大きな怪我を負わずに済んでいる。
手術だってした事ないしな。
でも、精神的には毎日苦しい事ばかり続いてる。
生まれる前、または幼い頃に「全部心の痛みで賄うから、肉体的な苦痛だけは勘弁してくれ」と何者かと取り引きでもしたのかな、と思えてしまう。
現在午前1時05分。
今の俺は、俺の苦痛を望む神や運命、人間に媚を売る事をしなくなった。
昔の俺が何かに苦痛を当てつけるのは、許しを請う為の媚び売り行為。
今の俺が何かに苦痛を当てつけるのは、怒りを表す反発行為。
やってる事は同じだが、その裏にある意識は正反対だ。
それは俺の苦痛を望んでる。
俺がそうした妨害に対して妥協したり受容したりしないから、それはいつまで経っても俺の事を苦しめ続ける。
俺はそれを許すつもりは更々無い。受け入れる気は更々無い。妥協する気は更々無い。
だから、それは俺を許さないのだ。
もしも俺がそれが与える悪意に挫折し、その後素直に妥協し挫折感を受け入れてたら、ここまで妨害を受ける事は無いのかもしれない。
例えば、そうしていたら1週間に1度与えられるだけで済む挫折体験。
でも、俺がそれに反発するから、1週間に1度と言わず、日に8度も9度も味合わされたりするのだろうか。
俺が妥協しないから、1週間に1回のところ、60回くらいにされてしまって。
何か、そういう気がする。
でも、俺は挫折を受け入れそれを許して媚を売るだなんて絶対しない。
絶対それの理不尽を許さない。
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03月06日(木)
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