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リュカの日記
by リュカ
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今日は午前4時半過ぎくらいに目が覚めた。
目が覚めた直後から、親父の出すうるさい音に意識を奪われ、何も考える訳に行かないような状態が続いた。それは十数分続いた。
時間を大分奪われた。
音が出され始めたのは、俺が目覚めて数秒後から。
さすが台無し野郎。
昨日一昨日と、学校から帰宅するとすぐに眠りについてしまうようになってしまった。
学校だけで、疲れ切ってしまうのだ。
帰っても、何も出来ない。
映画「ノロイ」を観た。
中盤の終わりくらいまで、何だかやたらと笑えてしまった。
ヒステリー状態の人間やキチガイな人間の言動を目にするのが、自分にとっては笑えるツボになっているのか。
その反面、観ていて微妙な吐き気を覚えた。
終わりの方の10〜20分ほどで、その吐き気はとても強いものになっていった。今にも吐き出してしまいそうな気分の中で観終わった。
どういう場面に吐き気を感じたのか、自分でもよく分からないのだが。
今日の授業は2時限目からだ。
2時限目の「芸術学」の途中から出席した。
この授業に出席出来たのは、もしかすると、今学期が始まってから今日が初めてかもしれない。
昼休みになり弁当を食べた。
3時限目は「日本文学基礎演習」
この授業で、親を亡くし悲しみに暮れ続けている娘の状態について、こういう言い回しが使われていた。
「どんなに嘆き悲しんでも、その甲斐があるはずもない」
「何と辛く悲しい事よ。思い事をしても何の甲斐もない」
確かに、以前の自分もこんな風な状態だった。
悔しくて、悔しくて、信じたくなくて、あり得なくて。
毎日毎日悔やんで悔やんで。
でも、いくらそうやって悔やんだところで、その現実が何とかなるなんて事はあり得なかった。
授業中、そういう事を振り返り、色々な事を考えた。
昔の自分はそこまで悔やみ続けていたのが日常なのに、今の自分はどうだろう。殆ど麻痺させ、何も感じようとしないではないか。
いや、自分は麻痺している訳じゃなく、ただショックから目を逸らしているだけなんだ。
だから、それ相応の強いものを何も感じる事が出来ないのだ。
そんな今現在の自分には、
「嘆き悲しんでも甲斐がない」と言えるほどまで悔やみ切る事が出来ていない。そこまで思い入れる事が出来ないでいる今現在の自分には、それらの許されざるものを否定する権利は無いのかもしれない。
許せないものを否定する事が許されないなんてとんでもない。
俺はそれらを否定する権利が欲しい。というか、それは持ってなくてはいけないものだ。
だから、俺は絶望に対する強いショックが欲しいのだ。
苦しんでも苦しんでも苦しみ足りないぐらいのショックを。
苦しみの元となる、耐えられないような現実はすでに腐るほど目の当たりにしてきたはずだ。
なのに、俺はそれ相応のものを感じる事が出来ていない。
否定して否定して否定し続けていく為には、俺はそれらの持つ最低さ、陰惨さを嫌という程自覚していなくてはならないのだ。
死ぬほど否定されても足りない事だぞ。
なのに、今の自分は感じてない。そんな状況に納得なんていくはずない。
そんな事を考えていた。
また別の事。
自分はこの長い大学生活を、実質1年半ほどしか送っていない。
絶対に耐えられないような、絶望的なショックを受けた時期というのが、入学1年半目くらいになった頃だ。
それ以降は、何もやる気がなくなって。
むしろ、身の回りの生活に意識を向けてしまうという事が、とても申し訳のない事に感じられてしまったり。
どちらにしろ、年端もいかないような子達が犠牲にされて、ショックを受けて、こんな状態で自分自身の生活を実感していくという事は、とても不謹慎な事なのだ、と。
何というか、「日常を味わってはいけない」みたいな意識が強かった。
だんだんと、ショックを感じられなくなっていった後も、変わらず「何も味わう事は許されないのだ」と、勉強をしたり日常生活に関わるものに意識を傾けてしまう事を禁じているような部分が多々あった。
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05月10日(水)
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