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リュカの日記
by リュカ
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そして、午後13時20分頃に叔父とその息子のE君が到着し、その直後に祖母が祖父にかけよって「お父さん、E君(叔父の息子、俺の従弟)たち間に合ったで・・・」と涙ぐんでて、俺はやっぱり祖母の態度に芝居臭さを感じてしまった。
叔父家族が到着したので、もうこれ以上祖父を延命させる必要は無いんだと思い、祖父に駆け寄る叔父やE君から俺は一歩下がったところで傍観していた。
脈拍が0に落ちた時だけ、俺も一言だけ「おじいちゃん、戻ってきて」としらじらしく声をかけたけど、さっきまでのように必死な声かけはもうしなかった。
叔父が「あと2時間くらいしたらM(叔父の奥さん、俺の叔母)も来るからな」と祖父に言ってたけど、俺は心の中で「いや、もう無理やろ」とか思ってた。
それから午後13時50分くらいに俺と同じ歳くらいのお医者さんが着て、祖父の検査をして「1時55分、お亡くなりです」と言って手を合わせ。
皆で祖父に手を合わせ。
俺はその時「やっと終わったんだ・・・」と、少しホッとしたような気持ちになってしまった。
それからタバコを吸いに外に出る事にして。
でも、エレベーターの中で祖父が死んでしまったんだ、という事が不意に悲しくなってしまって、肩を震わせて泣きだしそうになってしまった。
でも、1階のエレベーターのドアが開いたところで真ん前に弟が立っていて、びっくりしてその悲しい気持ちも吹き飛んでしまった。
そして弟に「おじいちゃん、今さっき息を引き取ったで」と言い、弟は「嘘ぉ!?」と。
それから弟と入れ違う形で俺は外に出てタバコを吸った。
戻ってきたら弟が「あと10分早く来れてたら間に合ったのに・・・」と。
でも、看護師さん曰く午前11時50分くらいが祖父の最後の一呼吸で、既にその時には亡くなっていたとか。
どっちにしろ弟や叔父たちは祖父の最後には立ち会えていなかったんだな、と思った。
しばらくしたら叔父の奥さんのMさんもやってきた。
俺もその時にはまた祖父の病室のある階に戻ってた。
そこで、みんなで歓談室みたいなところで祖母がさっき老健の購買部みたいなところで買ったお弁当を食べた。
俺は弟と叔父に、祖父がまだ息を引き取る前、口を動かしていた頃のスマホで撮った1分1秒の動画を見せた。
2人とも真剣にその動画を観ていて、弟は「まだこの頃は生きてたんやな」とか叔父は「お父さん、あんまり苦しそうじゃないね」とか言っていた。
「これが本当の本当に最後の時なんだね」とも。
それから、俺たちが病室を出ている間に、看護師さんたちが祖父に紺色?の着物を着せていた。
祖母曰く「お父さん、お正月はいっつも着物着てたから」との事。
でも、俺たちは誰一人として正月に着物を着ている祖父を見た事が無い。
正月は祖父母はいつも東京の叔父の家に行ってたし、その時は普段着だったそうだし。
でも、東京に行ってない時は柏原の部落の集まりじゃ、祖父はいつも着物を着ていたと祖母は言ってた。
祖父の死亡診断書の「死因」の項目は「原発性肺癌」
「発症時期」は「不詳」となってたそうだ。
親父の時は単に「肺癌」と書かれてたそうだけど。
祖父の目は閉じる事が出来たけど、祖父の口が開きっぱなしになっていたので、看護師さんたちが祖父の口に綿を詰めて、口を閉じようと頑張っていた。
死亡直後、口が開きっぱなしになっていたのも、親父と一緒だったな。
それから霊柩車というのか、遺体用のタクシーというのか、それを運送する会社の人たちが着て「この度はご愁傷様でした」と。
それから祖父を乗せて柏原の葬儀場に向かう事になった。
篠山の老健を出る時、スタッフの人たちが出口まで出てきてくれたので、俺たち祖父の親族はスタッフの人たち、看護師の人たちに「お世話になりました」と挨拶をした。
それから弟と叔母とE君とMさんは柏原の家に、俺と母と叔父と祖母は祖父の遺体を追いかけて柏原の葬儀場に行き、葬儀場で葬式の段取りをした。
それが終わってから柏原の家に帰った。
長くなったので、とりあえずここでいったん日記を区切る。

現在午後15時43分。
洗濯機に水を張り、洗浄剤を入れたので、今から5時間放置だ。
午後20時43分まで。


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06月24日(金)
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