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リュカの日記
by リュカ
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この糞野郎とのやり取りを終えた後、1時間経っても怒りが失せず、
憎しみをたぎらせたまま、結局実感を持って時間を迎える事が出来なかった。
こういう時に限って、ジジイの卑しい自尊心を保つ事だけを目的とした欺瞞で固めた薄汚い論争に付き合わされる!今までいつもそうだった!!
思い入れのある貴重な瞬間は、必ずジジイに潰される!!!
あああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!

気分悪い・・
吐き気する・・・
俺が何を言ったところで、したところで、俺の糞親父を筆頭とする最低野郎共の持つ最低さを、どうにもする事が出来ない事がたまらない・・

人間に対して、「よし」と慈しめるものが何も無い・・
俺が人間を認めたいと望むなら、知り合う奴知り合う奴の腐った意識を馴れ合い意識で黙認し、関わる奴らをヨイショして、「自分は本当にこの人たちを良く思っているんだ」と、媚的感情で思い込む。そういった、ストックホルム的な意識を根付かせない限り、人と関わる事を慈しみ、溶け込む事は出来ないだろうな。
今更そんな風にしてまで、人と関わっていきたいとは思わない。
でも、人と関わらなければ生活できない。
そして、自分が生きている限り生活する事は辞められない。
なんで、こんな腐ったこの世なんかに俺は生まれてきたりしたのだろう。
こんなにまでも憎くて憎くてたまらない奴らの中になんか、死んでも溶け込んで行きたくない。でも、溶け込んでいかなければ生活できない。
じゃあ、死ぬしかないじゃん。
自殺する勇気もない。

何故だか俺は、欺瞞や言い訳に対して人並み以上に過敏症だ。
たとえ相手が非を認めたところで、絶対相手を許せない。憎み続ける。
ただでさえそうなのに、殆どの欺瞞野郎は非を認めるどころかはぐらかす。
俺は、そういう奴らをスルーする事が出来ない。蹴散らしたくなる。
指摘したところではぐらかされる。その卑劣さに、さらに憎さが倍増していく。辛くなる。
そのローテーション。
俺は昔から、正しくない事を沢山やった。
その場逃れの言い訳や欺瞞を立てる事も多かった。
正しい奴らに責められる。
昔から、俺は自分でも自分自身を「正しくない人間」として認識していた。
自己中心的な利益追求型人間だっし、悪い事も平気でやった。
犯罪行為を辞めたところで、自己中心的な欲望から年端も行かない少年を求める俺は、やはり正しくない人間だった。
だから、正しい奴らが俺を否定する事についても、自己中で筋の通らない逆恨み感情を持ちながらも、一方でそれが世の道理だとも認識していた。
俺はタイプの少年が好きだった。
俺が始めて関わったタイプの少年は、とても道徳的な考え方をする子に感じた。
「この子が持ってる正しさが、通る社会でなければならない」「正しい事を信じてるこういう子達が、正しくない奴らによって傷つけられるような事があってはならない」「正しい事をするべきだ」「卑怯や欺瞞は最低だ」と実感出来るようになっていった。
正しい事が正当な評価を受けるのは、その子達に対し「優しくて良いいもの」になるのだ。
また、正しくない行いをした自分は正しい奴らによって否定され続けてきた分、余計に自分が正しい事をやったり言ったりした時に、正しい意見や行いが、正しくない奴らに責め立てられる不当が許せなくなる。
自分が正しい事をした時、正しくない奴らがまかり通るのが許せないのだ。
正しい事は正しい事であるべきなのに、それを許さない奴らが許せない。
自分が卑怯な言動を繰り返していた頃、自分は卑怯を許さない世間によって否定されてる、と感じていた。
なのに、自分が卑怯な言動を否定するようになってからは、世間は卑怯を許さない事を許さないのだ、と実感されるようになってきた。
何か、頭パニクってくる。
俺は、自分自身の都合のために下衆で卑怯な生き方を続けてた。
そんな俺を否定して罰し続けてきたこの社会が、その裏じゃ自分達の欲望や体面の為に平気で下衆で卑怯な振る舞いを行って、さらに黙認し合っているのが許せないのだ。
根本的には、俺は幼い頃から勧善懲悪を信じてた。


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03月27日(月)
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