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【保存版】光玉の勲章はインチキ勲章
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■(fake 008 岡田光玉の真実)
有り得るだろうか?という疑問を投げかける材料としたい。

さて、1949・3月号の書き出しは、
「あら稼ぎするおひかり様」と小見出し。

「昨年(1848年)12月はじめ頃『脱税と政治献金』の疑いで
 大蔵省査察部と法務庁特別審査局が観音教追求の活動を開始して以来、
 都下の各新聞は一斉に日本観音教の教祖岡田茂吉の正体について書き立てた。」

*「真相」には当時「第二の璽光尊」と騒がれた観音教の岡田茂吉の療法は、
「茂吉が大本教へ行く前に」鈴木美山という心霊学者が、
大正末期「健全哲学の学会」を開いたころ入門して習った「哲理療法」が芽をふい
た療法であると調べている。

「真相」

「大本教が邪教として当局の弾圧を受けた時、岡田茂吉はいち早く転業して、昭和10年半蔵門近くに日本観音会を設立。岡田仁斎となのる。
哲理療法では患部には手を体にふれずに病気を治すというのが
「医師類似行為取締法」に引っかかって禁止。
それなら指先でも触れればよいだろうとばかりに指圧療法をはじめた。
しこたま蓄財し、昭和19年熱海市東山1712に、
山下汽船の社長・山下亀三郎がもっていた別荘を70万円で買取。ここを本拠に
全国的布教網を拡大。
ついで同年、箱根山強羅1500の藤山雷太の別荘を買って神山荘と名づけ、
詣でる善男善女をスッ裸にして療法を行うのでハダカ・ショウの異名をはせた。」

「この商売はすごくもうかるとみえて、しだいに当局の注目するところとなった。
何しろ表面は指圧療法なので当時の特高が得意のスパイをもぐらせても、
用意周到な岡田はついに引っかからず、邪教として検挙しようと力んだ特高に
一泡ふかせたものだ。」

「そこで運よく終戦となり、世はあげて民主自由のはきちがえ、その上特高警察
解体ともなれば、天下晴れて岡田は思う存分に無知な愚者の弱味につけ込み、
こんどは「日本浄化療法」と銘打って宣伝これつとめた。
岡田の説くところによると、日本浄化療法はフランス起源の磁気療法(?)と
同じだそうで、熟練の結果人身にある磁気を強力に集中して手から患部に放射する。
これによって人体内の毒素を溶かして目やに、鼻汁、痰、または小便となし、
体外に出してしまうというのだが、霊験あらたかな「おひかり様」の療法を受けて
可愛い女房と子供をムザムザ殺した男もあるから、
インチキ宗教といわれても仕方あるまい。
前熱海駅長三尋木某もその一人であるが、
それでもまだ熱烈な信者で他人に療法をすすめてまわっているから、
良識のある人間には理解ができそうにもない」1949・3



軍人勅諭 No: 424 [返信][削除]

投稿者:ジャイアント馬場清晴 02/07/25 Thu 16:32:10
岡田光玉以下、真光幹部。世界真光文明教団代表役員地位保全事件にて
証言をした幹部、友森清春、石毛省三、松平定堯らは
陸士34期の元陸軍将校である。
軍人勅諭に基づけば、軍人たるものは、軍人勅諭という鉄の掟に生き死にするのが士官学校の教育ではなかったのか。
八月十五日放送の詔書に続き、
二十五日には、陸海軍人に対して勅語が渙発されたという。
艱苦に耐え荊棘を拓き、戦後復興に力を致さんことを復員将兵は諭された。
戦後、男はもう統率できないから、巷の貧しく無学な婦女子から金を出させ、
金持ちになることが、果たして艱苦に耐え荊棘を拓いたことになるだろうか?
金につまずいたのではないか?
宗教法学会報題5号(1986、11)には、教祖用の御霊の写真が出ているが、
西洋人の頭部が横向きにレリーフされた図柄である。
解説として「これは実は、アメリカの1866年の、
金貨を首飾りにしたようにみえます。
しかし実は、これは金貨そのものではないので、中が開くのです。
これはスイス製の高級時計なのです。
スイス製の時計の中に、先代(岡田光玉)の書いたその「聖」という字
が入っている。それがご神体なのです。」
と大野正男弁護士の解説。
さて、陸軍士官学校では伝統的に、
明治11年第1回の卒業式から、卒業式には原則として天皇が

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