ID:105004
【保存版】光玉の勲章はインチキ勲章
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■(fake 008 岡田光玉の真実)
金井 石田先生ネ、、、、岡田○○ね、、、話が横に飛んで済まないのですが、何千から何万という具合に信者が増え出すと、、、信者が二ケタか三ケタ位のとき、酒席で一緒に軍歌など歌ったときには、嘗っての軍人のときのスナヲさを裸になってサラケ出しましてネ、、、コイツ、、、好いとこあるわい、、、なんて思ってたんですか、、、いつしか「生き神様」の「積分人間」になって了うと、無学文盲ならソレで押し通せますが、彼は高級将校で理性のカケラがあったでせう、、、それで、、、絶対自己の矛盾撞着を感じていたんですネ。 その統一の場とは死でしたよ、、、
石田 馬鹿と気狂い、、、は長生きすることに、、、
その二
世の中宗教裁判位六ヶ敷しいものはない。 ということを奥弁護士は其の体験からして云われている。 氏の懐旧談は中々蘊蓄に富んで居るのである。
二木博士(岡田道一の間違い)創設の心霊医学会に奥さんと家内(金井)さんは好く理事としてその名の如く隣り合って座ってたものである。
「彼、わしの顔は、人間であるならば、マトモに見られたものでないのに、、、」「狐霊(どうぶつ)だからシャーシャーしてますよ」
これは岡田光玉理事のことについての二人の囁きである。 物価統制時での岡田氏の違反や、彼の女性関係での破廉恥行為に対する数度の裁判沙汰のとき、奥弁護士は岡田の弁護を、両人とも熱海の救世教での顧問弁護士と支部長、知己(チカヅキ)以来、岡田氏の裏切り独立営業での度重なる裁判沙汰で、引き受け、岡田の戸籍を汚させなかった。
(原文、漢字の誤りの他、そのまま)
−−−−−−−終わり−−−−−−
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茂吉もろくなもんじゃない。 No: 657 [返信][削除]
投稿者:しろ2 02/08/08 Thu 04:38:49
【タイトル】「暴かれた真光」「崩壊しつつある真光の基礎」補足資料「中島氏の悶死」 No: 4247
【 名前 】ジャイアント馬場清晴
【 日付 】2002/04/25 20:58:13
「暴かれた真光」のうち3.Mahikari's Crumbling Foundationsに関する事項。
岡田光玉がいた救世教の天国会の会長、中島氏及びこのときの世界救世教の置かれていた概況について。
8/12,9/12「崩壊しつつある真光の基礎」
「資料:世界救世教の文献;岡田仲道(光玉)氏に関する記述が見られる。
私は天国会移籍後、西荻窪の支部で助手をしておりましたが、そこに岡田仲道氏が支部長として赴任してきました。四十八歳の岡田氏は(略)私は遂に意を決して中島先生に指導を求めました。先生は「岡田にやらしておきなさい」(以下略)」
*先ずこれは岡田48歳というなら、昭和24年頃の天国会。
9/12「中島先生:天国会の会長。岡田茂吉氏が大本教在籍当時から茂吉氏の弟子として仕えた。中島氏は大本教時代より霊的事象に関心が強く、それに光玉氏も強く影響を受けているようである。」
「崩壊しつつある真光の基礎」には、岡田光玉の天国会在籍当時の集合写真や、軍人時代と随分顔が変わったなと思える変遷の写真、またグリーンウッド氏が富田秘書課長より送られた質問の回答も出ており、発掘的な資料集といえる。
では、この昭和24・25年は、世界救世教はどんな状況に置かれていたか?
先ず世界救世教とは呼ばれていない。観音教といっていた。
そして脱税事件で「第二の璽光尊」として当局の追及を受けていた時期である。
光玉は、そういうさなかに天国会に在籍していた。
以下は「真相」1949(昭和24年)3月号「右翼につながる観音教の仮面を剥ぐ」。
「真相」1950(昭和25年)1月号「特集日本の黒幕、観音教の黒幕
”お光さま”をトリコにした男」から、岡田光玉のいた観音教の記事を紹介。
なぜ、紹介するかといえば、岡田甲子の出自について、
「暴かれた真光」では「井上ファミリーの出」となっているが、
観音教のファミリーといえる中で井上姓は井上茂登吉が先ず該当するが、
このような大幹部の血縁者が、はっきりせずに光玉の妾というのが、果たして
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04月29日(日)
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