ID:104448
暴かれた真光日本語版
by 日記作者
[86739hit]

■崇教真光と考古学 その1(教義1)
崇教真光と考古学

真光全般(友乃會、文明教団、崇教、正法の會、etc)への苦情板
http://religion.log.thebbs.jp/1116855595.html

No.[548]-[557]9Hqd6qPk93氏の投稿を転載。
通し番号と「教義1、2」、「批判1、2」は当サイトへ纏めるにあたり日記作者が便宜上つけた。


崇教真光と考古学 その1(教義1)


[548]崇教真光と考古学 05/10/06 14:07 9Hqd6qPk93
岡田光玉師述み教え集(昭和41年)
[五月度月始祭ご教示要旨]
 考古学会もずい分以前とは変わってきて、この縄文土器のさらに前期に石器時代があって、それを新石器時代と名付けた。これはざっと六十万年前を新石器時代と名付けていますが、そういう太古時代のさらにもう一つ前に旧石器時代というのがあったことがわかってきた。・・・・
 世界の太陽信仰はずっと後期に属し、一万年以下の歴史しかもっていない。日本の太陽信仰は少なくとも六十万年前の旧石器時代にはじまっている。飛騨で旧石器時代のいろんなものを見せてもらってきましたが、あちらでは今でも到る所で、山に登って太陽を拝む習慣があります。
[七周年大祭ご教示要旨]
 しかし、最近の日本と外国の考古学者や人類学者や、民間の心あるかたがたによって、少なくとも日本には、六十万年から百万年以上の歴史があることが、ようやくハッキリしてきました。世界の学者も日本が最古の国であるといい出しています。

[2] 岡田光玉師述み教え集(昭和42年)
[立春大祭ご教示要旨]
 相沢氏の発掘されました標本によると、三十万年前の石器、二十万年前、十万年前の石器はざらにあります。

「真光」誌昭和47年12月号19-31頁
●北関東方面合同周年祭記念講演会ご教示要旨(昭和47年6月11日・桐生サンケイホールにて)
『迫る人類共滅期をいかにして超えるか』 聖凰(岡田光玉)師述
 …日本の太古史を調べていきますと、出雲の文明というのは、何千万年前に開拓されてしまっている。この文明がやがて朝鮮を通り、コンロンを通って、インドの文明にまで影響を及ばしていると私は見ている。今は古文書からその流れを感知せざるを得ない。
 そういう所であるだけに、一千万年や二千万年のものは急には出ないとしても、関東の岩宿のように、五万年〜十万年の石器が出ないはずがない。
 だから私は、別に考古学を研究していないけれども、歴史の上からいえは、必ず出ると断言できるので、ぜひ研究をつづけてやっていただきたい、といってきたのです。
 皆さんはもう新聞でご承知と思いますが、それをやっと三年前恩田氏が発見してくださった。「日本で最古の石器を発見した。巨石器ではないが、小石器では日本最古のものである」と新聞は紹介している。
 発見者の恩田氏に、さっそく合いに行きましたが、現在の学会に通すために、一応五十万年前のものとしてあるけれども、私はもっと古いものだと思うといわれるので、発掘された石器を見せてもらった。これは一昨年のことでありますが、もう今日では五十万年以前という判定が学会で出ています。
 昨年のお正月に伺って、「恩田さん、あなたはくたびれましたか?」と尋ねましたら「もう岡田さん、金がかかって私材じゃどうしようもないのです。もう私は止めようかと思っているんです」
 「冗談じゃないですよ。これからは日本の石器などの擡頭期にはいってくるので、ここまでくれば百万年前のものはすぐ出ますよ」といってお励ましして別れてきました。
 その時恩田さんは「岡田先生がそうおっしゃってくださるなら、私はもう少し元気を出してやりますよ」といわれた。
 「ぜひ第三期層の下のほうへ研究を進めてください」そういって帰って、一週聞か十日目に恩田さんから「百二十万年前の石器を発見しました」という嬉しい手紙をいただいた。
 現在百万年前の石器の研究をしておられます。
(広報部注・さらに九月五日ついに五十万年前と推定される人骨を発見された)


[549]崇教真光と考古学 05/10/06 14:08 9Hqd6qPk93
崇教・真光誌昭和54年6月号P32
 さて、ずっと時代をさかのぼって約六十万年前。この時代について救い主様は「石ブームと霊石、玉石」という御教示の中で次のように述べておられます。

[5]続きを読む

09月29日(木)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る