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暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■『天杖神示』の真相
408 『天杖神示』の真相(1):記紀の記載(i) 2004/08/01 10:06
『神向き讃詞解説』(Su教Ma光発行)より
…だから当時、神道界の方々が、私のことを疑ったのも 無理ないと思います。そこでお名前はさけますけれども、 神道界から数名の方がみえられ、
「岡田さんのみ魂を、神伺いしてもよろしいか」とおっしゃる。 この神伺いというのは、神代から内密に伝わっていて、それは天杖といい、古事記や日本書記にはたくさん出てまいります。 これが、後世支那に伝わったのが紅卍会等で行っているフウチになるわけですが、日本では秘伝の秘密の行になっていたのです。」
「このように、日本の国家神道を守ってきた大御所の方々の前で、 「ヨがいつきなり」と出たわけです。
〔解説〕私はこの文を読んで、『古事記・日本書紀』のはたしてどこに『天杖』なるものの記載があるのだろうかと思った。國學院大學で神道考古学を学んだ人物なら即座に回答可能だが、私にはそのような学識は無い。そこで自分で調べてみた。まず『古事記』を通読してみたが、『天杖』に関する記載は全く無い。『日本書紀』はあまりに長文で一気に読めないため、解説書を調べてみた。文献[1]-[4]のいずれにも『天杖』は掲載されていなかった。関連する語句を引用してみる。
[1] 古事記日本書記総覧
上田正昭(他)著(1990) 新人物往来社
岐阜県内所蔵公立図書館:関市立、岐阜市立、県立、大垣市立
http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=BN05642714
http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=BN05683631
P119杖(じょう)
中国風の刑罰の一つ。杖と呼ばれる太いムチで打つ刑罰で、苔(ち)の次に軽い刑。天武十一年には刑法を定める詔が出ているが、杖の刑は百を最高として、罪によって打つ数を定めよとされている(天武紀十一年十一月乙巳条)。天武十三年にも杖に相当する者は打つという詔が出ていることからみて、天武朝では、杖の刑がしきりに行われたことが推測できる。
[2]日本国語大辞典 小学館
つえ【杖・発・丈】【名】
「1」竹や木などで作り、手に持ち地面について、歩行のたすけとする棒。じょう。
*古事記(712)中「爾に其の御杖(つゑ)を、新羅の国主の門に衝き立てて」
「2」たよりとするもの。補佐するもの。
*書紀(720)垂仁二五年三月(熱田本訓)「一に云はく、天皇倭姫命を以て御杖(みツヘ)と為て」
「6」長さや面群を表わす単位。「イ」古代の長さの単位で後世の一丈(約三b)に近い長さ。
*書紀(720)景行二年三月(北野本訓)「日本武尊(やまとたけ)と曰(まう)す(略)壮(おとこさかり)に及んで容貌(みかを)魁偉(すぐ)れたまえり身長(みのたかさ)一丈(ひとツエ)、力(みちから)能(よ)
く鼎(かなえ)を扛(あ)げたまふ」
(注 ○付き数字、○付き文字を「」付きに変更)
409 『天杖神示』の真相(2):記紀の記載(ii) 2004/08/01 10:07
[3] 神道事典
國學院大學日本文化研究所編集 弘文堂(1994) P350-351
◆審神者(さにわ)
「さにわ」は清場(さやにわ)の約で、本来、神を祭り託宣を承るために忌み清めた場所「沙庭」を指す言葉とするのが通説である。その斎場の意味から転じて、沙庭において神託を掌る「さにわびと」、つまり神祭を掌り神意を判断する老、また斎場にあって琴を弾く者の意となった。『古事記』仲哀天皇の段に、天皇が御琴を弾き武内宿禰が沙庭で神の命を請うたとある。『日本書紀』神功皇后摂政前紀には、皇后が神主となり武内宿禰に命じて琴を撫かせ中臣烏賊津使主(なかとみのいかつおみ)を喚して審神者としたことが載る。転じて神楽で和琴を弾く人も「さにわ」と呼ばれた。
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