ID:104448
暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■宗教に入るひとの心が分かりますか?
「宗教に入るひとの心が分かりますか? 新新宗教と精神療法」
■■■ 真光関係者集合!!(6)■■■
http://life.2ch.net/psy/kako/1018/10180/1018074522.html
390-393 〜405「宗教に入るひとの心が分かりますか? 新新宗教と精神療法」(石川 元+景山民夫 弓立社
1996年)を読んだ。「香川医大医学心理学教授で精神科医の著者が真光体験入信をレポート」
ttp://www.rirc.or.jp/shokai/96.html ttp://www.kms.ac.jp/~psycho/index.html
390 名前:読書ネタ1/3 投稿日:02/04/30 20:23
「真実BBS」No: 3902で紹介された
「宗教に入るひとの心が分かりますか? 新新宗教と精神療法」(石川 元+景山民夫 弓立社
1996年)を読んだ。「香川医大医学心理学教授で精神科医の著者が真光体験入信をレポート」
っていうのだね。関連リンクは
ttp://www.rirc.or.jp/shokai/96.html
ttp://www.kms.ac.jp/~psycho/index.html
本の説明と感想を書くよ。
まず、石川氏が真光体験入信するまでの経緯と本が出来るまでの経緯について。
発端は1979年4月、石川氏が診た患者に真光の信者がいて患者の母親も信者だった。
「真光教が発症にからんでいると思われた何人かの患者をみたことがあると述べると、
母親は、研究だけでは神様のことはわからないと、私に講習会への参加を勧めるの
だった。」(P123)
それで、同氏は「以前、ある真光教信者の用いる言葉を妄想の一部だと思っていたら、
実は教団の用語であることが分かって混乱した体験があり、知識を得ることが必要だと
思っていたので、たとえ物理的にせよ宗教を内部からみる一つの契機になるかもしれないと
考え、かなり勇気のいることだったが、思い切って受けることにした。」(同)そうだ。
受講は同年5月。そのため、体験レポートは古い話になる。
その後、レポートがユニークだったので書き下ろしをお願いしたいと編集者に言われ、
企画が発展し作家の景山民夫氏(今は故人)と対談して収録、加筆、出版の運びと
なったそうだ。
なお、編集者の目に止まった石川氏の文は「『真光教の体験的理解』その顛末」(小田晋編
『宗教・オカルト時代の心理学』(至文堂)所収だそうで、この本(「宗教に・・」)にも
改変して採録されている。 (この辺の経緯はP6)
経緯についての感想。
一冊の本が出来るきっかけに組み手の発症があるのか。あちこちでお騒がせしてるんだな。
ため息が出るぞ。
景山民夫氏との対談(第一部)の感想はスレ違いになるので飛ばすよ。
391 名前:読書ネタ2/3 投稿日:02/04/30 20:24
第二部が「新新宗教への三つのアプローチ」とあって、「真光教の体験的理解」が
載っている。初級研修会受講に至る経緯(上記)や真光信者の症例の治療体験が語られて、
講習会(初級研修会)の内容と石川氏の感想へとつながっていく。
講義の要点はよくまとまっていると思う。初研受講者の予習用ノートに使えそうだ(苦笑)
それで、石川氏の感想は以下のようなものだった。(「」内が本からの書き写し)
===============================================
一日目
「講師が“科学的”ということを強調すればするほど、表面的なつじつま合わせに
見えてきた。段階をふんで説明してゆくものの、途中で突如、論が飛躍するのである。
つまり、用語は科学の成果を大幅にとり入れ、論の運びは科学を無視する。つじつまの
合わぬことは、詳しい説明を避け、「……だそうです」「……とおっしゃっています」と
いった伝聞体で語られている。また、抽象的・空想的な事物を、ごく身近な例で説明する
傾向も特徴的であった。」(P138)
二日目
「いずれにせよ、受けた講義と精神病理学とが同じくらいあいまいで、単純な
つじつま合わせにみえたのは興味深いことであった。症例の観察から離れ、概念化
された用語を乱発して臨床を論じているような精神病理が“科学的”であるとするなら、
真光教の講義と同じくらい“科学的”であるにちがいない。もっとも、そうした
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