ID:104448
暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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「新興宗教被害と悩み解決法」 田中一京著 青年書館 87.11

105-110頁
<神や霊の存在を絶対視すぎて自我や理性を失っている>

 信者心理の特徴として、神や神の意思を伝える教祖、あるいは教団の教えには絶対に逆らえない面がある。しかし、だからといって自己の意思をすべてねじ曲げてまで従順になる必要はないのだが、現実を見てみると宗教に洗脳され盲信している信者は理性を失い、自己の信奉する宗教教団の意のままに操られ、動かされているといっても過言ではない。
 信者が信仰に没頭し、宗教精神を享受しようとする姿勢そのものは決して間違った行為でも、他からとやかくいわれる筋合いのものでもないが、ただ、神や教祖教主の教えを絶対視するあまり、正常な考え方ができなくなってくると、少々事情は違ってくる。 そこで、理性を失っている信者のどこに危険性が内在しているのか、病気を治したいばかりに教団の言葉を信用し、宗教に洗脳されている信者の宗教意識を見てみることにしよう。

 『私はS界M光B明教団の信者です。私が入信したきっかけは、ある日突然、おなかが千切れるのではないかと思うほどの激痛に襲われ、救急車で病院へ運ばれました。そのとき医者の診断は「上部尿路結石」ということでした。
 私はすぐ入院させられ、病院で出してくれる薬を飲み治療を続けていました。そんなとき「病気というのは、薬を使うと一時的に症状を押えることはできるかもしれないけれど、それは治ったと錯覚しているだけでほんとうには治っていない。病気はもともと霊魂と肉体のバランスが崩れたときに起きるのだから、浄霊しなければ完全に治ることはない」と他の信者から教えてもらったのです。
 私は手術をしなければ治らないと思っていました。そんなとき手術をしなくても“M光の業”で痛みを止め、病気が治せると聞かされすぐそのM光の業を受けたのです。
 病院のベッドの上で信者の人達から“手かざし“を毎日受けました。そして私も「主の大神様」に、痛みを和らげてください、手術せずに病気を治して下さいと真剣に頼みました。
 そうするうちにだんだん痛みもとれてきたような気がしてきたので薬を飲むのをやめ、親の反対を押し切って退院し、通院するかわりに毎日教会へ通いました。
 今もときどき痛みはありますが、主の大神様が御浄霊して下さり、必ず病気は治るといってくれていますからその言葉を信じています……』

 と、千葉県松戸市に住む元店員のSさん(22歳)は語る。

 特定の神に仕え、宗教の教えを受け、それを絶対と思い込んでいる信者に対しては、なるほど神の啓示や教祖の言葉は絶対であり侵すことのできない神聖なものであるといえよう。
 だが、洗脳された信者以外のものから見ると神や教祖の言葉は決して絶対ではあり得ないし、当然のことながら、それほど神の絶対性というものは信用していない。なぜなら、この世の中に唯一つ絶対神といわれる神々がどれほど多く存在しているか、また、唯一つ絶対神と崇める神々の力というものがどれほどあやふやなものであるか、信者自身が少し冷静になって宗教の現実を見ればわかることである。
 ではもう一例「S教M光」に洗脳されている信者の話を紹介して、どこに問題があるのかを考えてみたい。


『御み霊をいただき神組手(信奉者)になってM光の業を覚えれば、誰でも病気を治すことができる。ただ、そのためには初級M光研修を毎月1回、3日間だけ受けなければならない。その講習を受けて神組手(信奉者)となり、陽光子(信者)となれば、手の平からM光を発することができる。
 私達が“施真”(手かざし)すれば、不思議な現象が起きてくる。たとえば急に下痢をしたり熱を出したりするが、これはクリーニング現象(肉体の浄化作用)といって、人間の体の中に蓄積された毒素が“M光の業”によって、外へ排出されるために起きる現象だからまったく心配ない。
 それより、施真によって精神的にも肉体的にも健康になるんだから、こんなありがたいことはない。教え主さまの力というのはそれほどすごい。どんな病気でも治すのだから……。

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01月22日(木)
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