ID:104448
暴かれた真光日本語版
by 日記作者
[88066hit]

■045 publicationsinMahikari
--------------------------------------------------------------------------------

真光問答における「脳死」の見解、および逮捕された政治家とのつながり

<真光問答> (○○真光:平成11年1月改訂新版)

質問49:臓器移植・脳死についてどう考えますか?

 人は息がなくなり、脈がなくなり、心臓が停止した時、初めて「死」と認識されるものです。しかし、心臓がとまり死を迎えた人でも、原則として約二十四時間は埋葬することは好ましくありません。それは、昔から希にありますが、亡くなったはずの人が生き返る例があるからです。

 人間の身体は肉体細胞だけでできているのではなく、肉体細胞(肉体)の奥には幽細胞(幽体)がり、さらにその奥には霊細胞(霊体)がります。心霊科学的に言えば、「人の死」は、肉体細胞から幽体・霊体が抜け出た状態を言うのであって、幽体・霊体は生きているのです。そして希に、肉体を離れた幽体・霊体が戻る場合があり、それを死者の甦りと言っております。

 もし、脳死が人の死と認められ、脳機能停止と同時に、無制限に臓器移植が行われるようになると、脳死の後、万が一再び生き返っていたかもしれない人は、いったいどうなるんでしょう?帰るところがなく、本当の死に追い込まれてしまうのではないでしょうか?

 現在のところ、まだ脳死の認定は臓器提供者に限られているので混乱を避けることができますが、もし、まだ生ある人(心臓が動いている人)を簡単に脳死と断定することが全ての国民に適用されるとしたら、臓器を失い死に至った霊魂の無念さはいかに大きいか計り知れないことでしょう。この世の不幸の原因となる霊障はますます激しいものとなり、人類はもっと苦しまなければならなくなります。

 臓器移植は、本人が承諾し家族が同意した場合、それを止めることはできませんしその人達の意思を尊重しなければいけません。

 しかし霊は、原則として死に至ったその時の状態を持ってあの世に行くのですから、臓器移植をすればどういうことになるか、考えればおわかりになると思います。

 人は、尊い生命をもった神の子です。決して単なる物質の塊ではありません。親が子を愛するように、私たち人間の究極の親であらせられる神様は、どんなに私たちのことを想って下さっているでしょう。またどんなご苦労をされて、人間をこの世にお創りになられたのでしょう。 私たちは、生命の尊さを今一度考え直さないといけないのではないのでしょうか?

<解説>

 「霊は、原則として死に至ったその時の状態を持ってあの世に行く」というのは大本教と真光に共通した考えだ。それゆえ、大本教は「心臓停止後の臓器移植は容認するが、脳死段階では認めない。」という考えで、公式HPで見解を公表している。一方、崇教真光は「提供者の同意があれば、脳死臓器移植を容認する。」という現実的な考えだ。

 死んだ時の状態を問題にするなら、人工妊娠中絶こそ議題にあげるべきだ。「日本人は胎児をモノと考えて、安易に中絶をしてしまう。その一方で外国へ脳死臓器移植を受けに来るのは理解できない。」という諸外国からの批判を真剣に受け止めるべきだ。臓器移植法に反対するなら、安易に中絶を認めている法律の方にも反対しないといけない。

 大本は、妊娠中絶を我が国が安易に法律で認めている点について、正面切って批判していない。なお真光は、水子は先祖の一人として供養すべきだ、と主張しており、水子だけを特別扱いはしない。

 なお、大本教のHPで「大本教義にみる」(出口教学委員長)を拝読してみた。文中に、「想念」の言葉はしばし出てくるが、「想念転換」の単語は一切出てこない。「想念転換」は岡田光玉師が新しく提唱したとみられる。


[5]続きを読む

12月26日(金)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る