ID:104448
暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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淞南学園の真実
島根県松江市の淞南学園高校は、99年6月に○○真光推奨校となり、翌年に崇教信者専用の男子寮ができた。そもそも1968年に岡田光玉師が同校を訪問し、岡崎功理事長と親しく懇談したのがきっかけである。かなり以前から崇教の道場に生徒募集のポスターが貼られており、八坂東明氏の甥にあたるサッカーの岡野選手も、同校を卒業し、日本大学に進学している。
http://www.zakzak.co.jp/spo/s_Nov97/s_news1115.html
http://members.jcom.home.ne.jp/oshiyan/yajinbunki.html
岡野選手が入学した1988年当時は「松江日本大学」高校といい、日大の準附属校(男子校)だったそうだが、後に「淞南学園」高校に改名されたそうだ。
http://homepage1.nifty.com/hssk/jub/com/fuzoku.htm
http://www.geocities.co.jp/Playtown/6710/bunka/simane.htm
http://www.yk.rim.or.jp/~sage/flugels/highschool/shimane.html
http://www5a.biglobe.ne.jp/~rojiura/menue/data_base/ver_5/c_area/01_a/sm.htm
ところが、2001年に「立正大学淞南」高校と改名し、理事長の出身の立正大学(日蓮宗)の準附属校となった。これにより立正大学への特別推薦入学制度がスタートした。同校公式HPでは以下のように報じている。
「新世紀を迎えた2001年の本年は本校創立40周年の記念すべき年にあたりますが、この大きな節目の年に理事長の母校である立正大学とご縁を戴き準付属校となりましたことは、更なる発展への契機になるものと期待し喜びにたえません。」
○○真光と日蓮宗との二股をかける状態が始まった。なお同校公式HPでは、学校の沿革を公表しておらず、「○○真光推奨校」とは一言も記載していない。。
http://www.shonangakuen-h.ed.jp/
(1) 「○○真光」誌の情報操作
同誌2002年6月号35頁には、真光青年会館竣工式において、「淞南学園の岡崎校長よりお祝辞を頂き」とある。岡崎功氏の子息岡崎朝臣氏は、「学校法人淞南学園副理事長」であり、「立正大学淞南高等学校長」であるはず。また同誌73-85頁には、松江準道場の活動状況が紹介されている。教師を「淞南学園教諭」として紹介するように、文中には旧校名(学校法人名)の「淞南学園」の言葉は頻繁に使われているが、正式校名の「立正大学淞南」は一切使われていない。
立正大学(日蓮宗)の準附属校となったことを、信者に言いたくないための情報操作である。これは同誌の記事全体の信憑性を低下せしめるものであり、同誌の記事よりインターネットの方が正確であることを立証している。
夏休みに入ると、○○真光の主な道場で同校の入学説明会が開かれる。ある道場の行事予定表をみると、「○月○日淞南学園学校説明会」とあり、あくまで正式校名をふせる態度に終始している。
(2) 「御聖言集」について
岡田光玉師はあきらかに日蓮聖人を見下している。
<御聖言集> 「序」 7頁より
さらに、日蓮聖人の場合は、仏説秘密の重大因縁として、直弟子たちに伝えた極秘文書「三澤_」の中で、「これは釈尊より伝えられた秘密の大事だが、いずれ天の時が到って聖人出現され、ある説法を説かれる。その時は、釈尊以後のあらゆる大論師、大人師の説法は、いかに巧みに説いたように見えるとも、一切は太陽の出たのちの灯明のように霊験なきものと化し、新正法のみ世界のすみずみを照らすに到るであろう」という意味のことを書いている。
要するに、日蓮聖人は将来もっと優秀な聖人が出現すると言っており、それが自分であると岡田光玉師は言いたいわけだ。この箇所を、立正大学に進学する生徒に対してどう教えているのか。学校側の説明を聞きたいものである。
(3) 立正大学の準附属校となった本当の理由は?
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12月21日(日)
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