ID:104448
暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■016 foundation1
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資料: S界救S教の文献; 岡田仲道(光玉)氏に関する記述が見られる。 

(岡田茂吉全集著述篇第五巻付録8頁19行〜9頁7行)

私(※1)は天国会(※2)移籍後、西萩窪の支部で助手をしておりましたが、そこに名古屋の知多方面で布教をしていた岡田仲道氏(※3)が支部長として赴任してきました。四十八歳の岡田氏は一つの風格を持っており、その指導に多くの人が集まりましたが、岡田氏は霊的現象に段々と傾倒してゆきました。明主様(※4)は霊的現象の取扱には注意をされておられましたので、私は岡田氏に忠言をしましたが、逆に岡田氏は私を避けるようになり、私は遂に意を決して中島先生(※5)に指導を求めました。先生は「岡田にやらしときなさい」、小生「このままにしておいたら信者が迷う」と申しましたが「やらしておけばよい。貴男は本部に来なさい」と言われ、私は天国会本部に入ることとなりました。後に岡田氏は国分寺に移転しましたが、後に教会から罷免されました。数年後彼がS界真光文明教団の教主になったのには大変驚いたものです。

※1 この文章はこの方の布教体験を綴られたものである。
※2 天国会: S界救S教での二大勢力の一派。もう一派は「五六七会(みろくかい)」と呼び、信者数は圧倒的に五六七会の方が多かったが、教団運営に関しては天国会が牛耳っていた。光玉氏は天国会の博愛教会所属であった。
※3 岡田仲道(おかだちゅうどう)氏: 岡田光玉氏のこと。
※4 明主様(めいしゅさま): 岡田茂吉氏のこと。光玉氏と茂吉氏は血筋関係ではない。
※5 中島先生: 天国会の会長。岡田茂吉氏が大本在籍当時から茂吉氏の弟子として仕えた。中島氏は大本時代より霊的事象に関心が強く、それに光玉氏も強く影響を受けているようである。


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秘書課長 K.T.氏からの手紙

岡田氏は救S教の信者だったのではないかというGreenwood氏の質問に対する、K.T.氏(教え主様の秘書課長)からの回答

手紙の原文
http://members.ozemail.com.au/~skyaxe/letter.htmより


1994年5月10日
親愛なるグリーンウッド様
  1993年12月14日に、お手紙をいただいたこと、どうもありがとうございました。私は教え主様に代わってあなたの質問にお答えしたいと思います。
  救い主様は、第二次世界大戦後に霊的なトレーニングを積んでいる最中に、いくつかの新しい宗教と同じように、伝統的な宗教に対しても研究をされておりました。それには、ゾロアスター教、仏教、キリスト教、イスラム教、道教、大本教などが含まれます。救い主様がおっしゃるには、ある神官から特別なトレーニングを受けていたといいます。
  あなたの質問にある浄霊教団についてですが、それは戦前にS界救S教として設立されたものです。それは大本教に端を発しており、多くの宗派に分かれました。救い主様は、浄霊教団も研究なさっていたようですが、救い主様がその信者であったというのは間違いです。
  簡単に申し上げますと、○○真光の使命は基本的にその他の組織とは異なります。「手をかざして」光をあたえることは、多くの人々によってなされてきました。例えば古代におけるゾロアスターとか、ブッダとか、イエスとか、また現代においては、出口王仁三郎(わにさぶろう)氏、岡田茂吉氏、福田くら氏などです。これらの人々にとっては、霊による障害を解決することは、いくつかの場合は部分的にはできても、かなり難しいことだったのです。
  私たちの組織の目的は、神の偉大な計画、すなわち霊主立体文明の実現への参画を、すべての人々に対して提供することです。

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04月28日(月)
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