ID:104448
暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■スレ48-2
いままでの宗教は「真如の教え」といい、「真の如し」という意味で、仮の教え、偽の教えであったとする。
■救世教
岡田茂吉は、「仏教は「真如の月の教え」であり、夜の世界の教えである。「真如とは『真の如し』と読み、このことからも真理そのものではないことがわかる」と言っていた。
真如=『真の如し』」は、語源や仏教の解釈とはまったく違うのだが、違うということは、それを言っているのは岡田茂吉のみという証拠でもある。
※岡田茂吉の発言の例
「仏教はいつもいう通り、真如の教えすなわち月の教えである。」「それをお釈迦さんはちゃんと言ってます。「真如」ということを言ってますが、「真如」というのは、真理ではないので、真理のごとくというのです。」
「釈尊は、仏教の真髄は真如だと言った。真如とは、真の如し、即ち、真理のごときものであって真理そのものではないという事である、いわば、真理が現われるまでの、仮定的、第二義的のものであったという意味である。」


710 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/07/26(木) 18:55:46 ID:2FA2vbbM
なお、このスレで、なぜ他宗教と似ているのかという問いに対し「真理は一つなのだから、他の宗教と似て当然だ」というようなことを言ってきましたが、
ここに並べた特徴は、「世界救世教だけの特徴」であり、他の宗教では言っていないことばかりです。「手かざし」「薬毒論」も含め、
他の宗教では言っておらず、「(教祖存命時の)救世教だけの特徴」だったことを、真光は見事に継承しています。


711 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/07/26(木) 19:07:50 ID:2FA2vbbM
あと、真光ではこのような事はいっていませんか?(似ていそうな発言の予想です。)

「名前は仮に付けた」
世界に前例がない救いの業なので、名前の付けようがない。だから仮に○○とつけている。

岡田茂吉の発言
「右のごとくであるから、いつもいう通り本教は宗教ではなく、超宗教といってもいいのである。
そうして宗教とは読んで字のごとく、宗祖の教えであって、教えによって人心を済度するのが建前となっているが、
前記のごとく本教は教えは第二第三で、浄霊によって人を善化するのであるから、第一手数も時間もかからずして、
効果百パーセントという訳である。実に宗教以上と云ってもあえて過言ではあるまい。
そんな訳で今は適当な名前が見当らないので、仮にメシヤ教と名づけたまでである。
これも今までにこのような素晴しい救いがなかったから名称もないので、また止むを得ないといえよう。」


712 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/07/26(木) 19:38:18 ID:2FA2vbbM
「陽光子の統一真光BBS」に、こんなことが書いてありました。

> お代理さまのご教示にも「日の神の光でしか真の浄化は出来ない…」とのお示しもあるように、

この、「日の神の光でしか真の浄化は出来ない…」というのも、救世教の教えから来ていますね。

岡田茂吉の発言の例 昭和23年4月8日

> いままでの療法は患者の病気を引きうけるのです。御木徳一が「ひとのみち」を始めたのは、徳光教の金田徳光のためです。
> この人はそうとう偉くて奇蹟をいろいろやったんですが、それが御木の喘息を治した。
> ところが御木のほうはすっかり治ったが金田が今度は一カ月ばかり苦しんだ。そんなことから御木は「ひとのみち」を作ったんですが、
> こういうのをお振替といって他人の病気を自分が背負って苦しんでしまう。で、毎月二十五日にそれを神様にとってもらう。
> まア苦しみを神様にしょってもらうんです。あれはこんなふうにしていましたがだんだん病人が多くなり、苦しみも一人でしょいきれなくて
> 準教祖というのを十人くらい作ってました。いままでのはみな引きうけるんです。それは神は月の系統であって水で治す。
> まア洗濯のようなものです。だから水は汚れてしまう。ところが私のは火で燃してしまうんだから自分は汚れず、病気をしょうどころかやればやるほど丈夫になる。

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04月26日(火)
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