ID:104448
暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■スレ48-3
719 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/07/27(金) 00:37:24 ID:f8wfmls2
> 先生は「岡田にやらしときなさい」、小生「このままにしておいたら信者が迷う」と申しましたが
> 「やらしておけばよい。貴男は本部に来なさい」と言われ、私は天国会本部に入ることとなりました。

このあたりのやりとりは、救世教の教えを知らない人にはちょっと理解が出来ないかもしれません。
以前、どこかの掲示板で、このやりとりを取り上げて、「中島先生という偉い先生は、岡田光玉氏が
真光という大変な神業をやる人だと気づいていたのでやらせておけと特別扱いしたのだ」と勝手に
理解している人がいましたが、そうではありません。

救世教というのは、困ったことが起こると、ちょっとは手を打ちますが、原則としては「放っておく」
ようにするのが教えなのです。

なぜかというと、間違ったことといえど、その間違ったことをやらせている奥に神の意志があり、
本当に神にとって不都合なことであるならば神が止めるし、人間的に間違っていても神の許しの
元に起こっていることならば神も止めないのでやらせておくという考えがあるのです。

岡田茂吉の発言 昭和27年4月25日

> 教団の中にも、間違った人や、いろいろな人がいますが、本当にいけなければ、私が注意を与えますがね。
> 注意も、為すべからずとか、それを止めろとか……そういうことは言いませんがね。
> もし人が間違っても、この人は間違ったことをして、そのために覚るということもあるんだから、やはり頭をぶつけさせます。
> すると、ああ俺は間違っていたと覚ることもある。御神書を読んでも分からない人は、自分で苦しむんですよ。
> それで覚りを開くということもある。間違ったことをさせておけば良いんですよ。
> 「あの人はこういうことをしているが、あれは注意しなければいけない」と言うが、私は、
> 「あの人はいまに頭をぶつけるから、それから言ったほうが良い」と、その通り頭をぶっつけさせます。
> また人によっては、そういう苦しみをしなくても覚り得る人もある。そこで、人間はその人の行為によって善悪は決められない。
> それが大乗ですからね。そこまで心得て、そこまで信仰が深くなると、私はいろいろ言います。


720 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/07/27(金) 00:51:59 ID:f8wfmls2
>>718
> どっちにしても御神業しないと「コロリと死ぬ」と脅迫している事は確かです。

真光が脅迫をしているかどうかは私は伝聞でしか知りませんが、大本に関しては、おなじお筆先に、
「怖さゆえの改心はほんまもんではないぞよ」というのがあります。これは救世教にも継承されています。

だから、怖い時代がくるという教えではあるのですが、だからといって、怖いから助かりたいから宗教をやる
というのは本当の物ではないと、大本でも救世教でも説いています。


721 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/07/27(金) 01:51:30 ID:f8wfmls2
>>717
> 私(※1)は天国会(※2)移籍後、西萩窪の支部で助手をしておりましたが、そこに名古屋の知多方面で布教をしていた
> 岡田仲道氏(※3)が支部長として赴任してきました。

これも書いておかないといけないでしょう。これは岡田光玉氏48歳ということで、昭和24年ごろの話と思います。
岡田光玉氏は戦争に行っていたのですから、信者歴は、この時点で最大でも四年程度です。わずか四年で、名古屋から東京に
布教のために転勤して来、そこで支部長として就任するというのは、これは、その四年間に、かなり宗教活動を頑張り、
多くの布教実績も残し、博愛教会に就職して転勤もOK、ということで、布教ということに関して、そうとう頭角を
現していたことを意味します。

真光では、「釈尊の予言では、正法を説く者が宗教の素人から世に現れる」としており、それを光玉氏としていますが、
さすがにこれでは、とうてい「宗教の素人」とは言えないということです。真の道のこともあるようですし。


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