ID:104448
暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■スレ36-37
上の噂」である。分裂に伴って根も葉もない中傷合戦すら繰り広げられた形跡があり、
どこまでが本当かがわからない。接収する教団施設が破壊されたというのなら、立派な
犯罪であり、警察に届ければ事件として新聞雑誌等をにぎわせたはずである。

文明教団側が意図的に流したうその情報である可能性も、今のところは否定できない。
裏がとれるまでは、軽々しく流してもいいような情報ではない。分裂にともなうその他
の抗争事件もあったかもしれない。 暴力団との関係を噂される幹部もいたらしい。

373
>>359

幻肢(げんし)症とは、なくなったはずの手足が痛むという症状である。
真光の説明によれば、これは肉体の手足がなくなっただけで、残っている
幽体、霊体が痛むためだと説明されている。

しかし、これはなくなった手足からの信号を受け取っていた脳の部位が、
近接する脳の部位からの信号を受け取るようになるため、つまり脳内の
神経回路網の組み換えによって起こるものであることが明らかとなりつ
つある。(ラマチャンドラン著、「脳のなかの幽霊」)

これで真光流の説明は崩れた。そんなこともわからなかったK玉が、
幽界、霊界に対してしてきた説明を、どうして信じることができようか?
適当なことを言っていただけ、といわざるをえない。

387
303 名前: サンプラザ2 03/08/23 09:41
P132
−分裂の危機にゆれる岡田斎(いつき)・世界救世教−
P.133-134
 宗教戦争の凄まじさは、世界史ばかりか、現在のイラン・イラクの対立を見てもわかるが、
世界救世教の権力抗争はその次元の低さにおいて特筆されるべきだろう。

 なにしろ、ことあるごとに、本部周辺で小競り合いがおこり、各地で暴力沙汰が繰り返され、
一時は本部のある救世教会館前は、新生派と再建派のにらみ合いが続き教団職員や信者のほか、
ガードマン、体育会系学生から暴力団員ふうの男たちまでが屯(たむろ)していたのである。
 昭和61年8月末、中野隆昭は「松本派(新生派)殲滅のため、決戦を挑み、秋季大祭は救世
会館前で行う」と、いわば教団乗っ取りを宣言。新生派に占拠されていた救世会館を再建派が実
力で奪還しようと画策したのであった。

388
新興宗教教祖のウラの裏がわかる本 早川和廣 ぴいぷる社 1988

9月1日未明、再建派の専従者約150名が、鉄パイプや角材を振り回し、MOA
商事のプラザ売店を襲撃。占拠すると同時に、救世会館の電源を切り、水道をストップさせてしまった。
 一種の兵糧攻めというわけだが、対する新生派は月次祭の終了後の4日未明、決
起した信者たちがプラザ売店を占拠していた再建派の連中を排除。ロータリーからも締め出してしまった。

 同日午後、再建派は聖地のあちこちに鉄パイプのバリケードや有刺鉄線を張り巡らせ、大型トラクターやショベルカー9台を先頭に立てて威嚇攻撃を始めた。
 両者の間に不穏な空気が流れ、あわや一触即発というときに、警察と機動隊が出
動。何とか、その場は収まったのであった。
上の文章は、世界救世教内部の抗争事件についてのものだが、その中に「中野」という名前と「プラザ売店」という言葉がある。この抗争事件は、「中野プラザ事件」と呼んでもよいように思える。

そこで、次のような推測が成り立つ。「中野」と「プラザ」、という言葉が「サンプラザ中野」と混同され、さらに救世教内の事件が真光内部の分裂抗争とも混同されてしまったのではないだろうか。

389
混同されるのには理由があり、真光内でも上記のような暴力抗争に近い事件があったという、ネット上の噂がある。
分裂裁判後、立教当初の羽根木元み魂座が世界真光文明教団に接収された際に、崇教真光の上層部の指示で、真光隊
の手によってご神殿と光龍池が修復不可能なほどに叩き壊された...、田園調布の仮本部が接収されたときも二階
ご神殿が破壊され、電気系統がズタズタに切断された...、などの事件があったと言われている。

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02月08日(火)
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