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暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■094 judge
前記の理由によって仮処分の原判決が取り消され、関口氏が世界真光文明教団の代表役員であることが定められ、岡田甲子(恵珠)が世界真光文明教団の代表役員としての職務を執行することが停止された。
これによって関口教え主の正当性は東京地裁の本訴、東京高裁の仮処分においていずれも証明されたわけである。
こうして、二年半にわたって恵珠氏側が不当に占拠していた本部(田園調布)に、真の後継者・関口教え主は戻ることができ、今まで”二つの世界真光文明教団”、”二人の教え主”という不祥事も解決されるかに見えた。
しかし敗訴して教団から退いた恵珠氏側は東有高裁の仮処分判決について最高裁に上告、東京地裁の本案判決についても控訴し、判決に服しなかった恵珠氏とその側近は、その後も世界真光文明教団教え主の名前で、組み手(信者)を誤導し、奉納金を集めつづけ、かたわら新教団を設立、紛争に更に拍車をかけていった。
<敗れても敗れても「控訴」で対抗――教団私物化へ時間稼ぎ?教祖の養女擁立派>
<最後の手段、新教団設立で紛争に”拍車”>
(10)最高裁が上告棄却
九月二十二日、恵珠氏側の上告に対し、最高裁第一小法廷は、上告の理由が全く無いとして上告を棄却する判決を言い渡した。これによって、恵珠氏は、もはや教団の教え主、代表役員としての職務を、法的には全く行なえない状態となった。その為、恵珠氏およびその側近は急遽、昭和五十三年六月五日に、世界真光文明教団に似て非なる「宗教法人真光」を設立登記し、そこでの”教え主”として活動しようとした。
「宗教法人真光」は、もはや世界真光文明教団とは無関係であり、全く別の活動としか言えないものであるが、恵珠氏等は組み手(信徒)に、この事実を明らかにせず、不当に隠蔽し、あたかも「宗教法人真光」が、世界真光文明教団と同一、あるいは深く関係しているかのごとくよそおいつづけた。ここに真相を知らされずにいた多くの組み手(信徒)の悲劇があり、真相を隠蔽した恵珠氏およびその側近の罪は深い。
(以下次号、文中の役職名は当時のもの) =つづく=
【資料1】裁判所に提出された説明書
先般(昭和四十九年七月十八日)二代教え主様指名に付ての書面に署名捺印致しましたが、その内容も良く見ない中に、早く早くと急がされて提出したものであります。
又、その使用目的も別に何にも使はないから心配は不要との事でありましたが、事が重大になりましたので、
改めてその内容を検当致しましたところ事実と相違致して居りますので改めて今回の署名捺印に及びました
昭和四十九年十月二日
所属 東部近畿方面指導部長
氏名 朝 熊 俊 文 (印)
【資料2】地位保全仮処分の判決文一ページ目 =省略=
【資料3】初代様のお部屋より発見されたメモ =解読文=(乙第一号証のニ)
思い出さしめん為 しばし 仮にヨ丈け密かに (ヨのみ霊もちて娘に与えよ)
間に合わず 此地時をまて 8月10日27 所与えられん
思い立ったら吉日よ もう一度 ほかの仕組みで力
外にうまくそらさんも
【Web解説】
恵珠氏は、“(ヨのみ霊もちて娘に与えよ)”と書かれた文字の部分のコピーのみを昭和49年8月1日に関口氏に提示した。
他の文字は紙で覆い、とめるのに使ったクリップが写った状態でのコピー(乙第一号の一)を見せて、教団代表権を主張した。
昭和50年4月10日、法廷に資料3(乙第一号証のニ)を提出した。前後の頁は封印してあり、開示拒否の状態であった。
朝熊俊文氏は、崇教真光の大祭委員長を歴任し、その名前を知らぬ信者はいないほどである。
彼は平成9年の秋季大祭委員長だったが、その時に村上正邦と藤波孝生が来賓祝辞を述べている。実に邪霊に満ちた不吉な式典であった。
(注 丸付き数字を「」付きに変更)
05月29日(土)
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