ID:104448
暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■007 Insight
現在の○○真光は、信者だけが信じられる(信じたがる)言葉を使って上述の経緯を説明しようとしている。それは、世界中で起こっている信者の流失を食い止めようとする努力の中で行われている。例えば、次のようなものである。
岡田氏の霊/魂は、亡くなった後49日間さまよっていたのです。岡田氏は個人的に、S界真光文明教団を1974年の6月13日に彼女に渡しました。それは彼が亡くなる10日前のことでした。岡田女史はそれを公表しませんでした。彼女は、岡田氏が霊の世界で人類の救済者としての役割を始める前に(注:岡田氏の霊がさまよっている49日が終わるまでは)、教団を継ぐことを宣言するのは非常に無礼なことなのでできないと感じたのです。
教団の指導者たちはまた、世界中の元信者たちの研究チームがあつめた情報はすべてうそだと言っている。
次第に明らかになっていることは、真光が宗教を統一するというよりむしろ超宗教になるということは、岡田氏独自の歴史解釈や「黄金の言葉」と「神」の導きなどを利用して、日本は偉大な国であるという思想を使い、個人個人がもともと持っている信念の核心部分を捨てさせることに等しいのである(←注:この一文はよくわからないので訳が間違ってるかもしれません)。真光それ自体を神が人類に与えた唯一の宗教とする試みは、信者をとても混乱させるものである。特に、○○真光はS界真光文明教団の分派であり、また文明教団もS界救S教の多くの分派の一つであり、さらにS界救S教も1892年に設立された大本教によって生み出されたものである。
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真光裁判資料
・S界真光文明教団側の資料(英文) http://geocities.com/Tokyo/7137/truth1.htm (←文明教団の要請により削除された)
・「宗教関係判例集成」 第一書房 第4巻・第5巻 「S界真光文明教団代表役員地位保全事件」
・原審:東京地裁、(昭四九(ヨ)第二〇四六号地位保全仮処分申請事件)
・「中外日報」昭和57年9/3 9/6 9/8 9/15号
・「宗教法学会報」昭和59年11月17日
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岡田氏は他の教えを盗用した: 調査によれば、岡田良一氏はS界救S教の信者であり指導者の一人でもあった。彼は「岡田仲道(ちゅうどう)」という名前で知られており、光玉尊師(先生?)と呼ばれることが好きだったという。彼は性的な不品行をしたことと霊との対話(霊査)に没頭したために教団を追われた。彼が言うには、すべての人には憑依した霊がついており、それが問題を引き起こすと主張していた。1959年に、彼はS界真光文明教団と呼ばれる彼自身の教団を設立した。
岡田氏が主張するには、1959年の2月に神が昏睡状態にある彼を起こし、光玉という名前と神の啓示を与えたという。彼は1959年の2月以前に光玉という名前を使っており、その「神の啓示」は実際は彼の以前の師であった岡田茂吉氏(親戚関係はない)の教えのコピーである。神のペンダントを使うことや、光を手から放射することもまた、S界救S教の特徴である。(→3.崩壊しつつある真光の基礎、参照)
真光は、岡田氏はS界真光文明教団を始めるまでは何の宗教にもはいっていなかったと主張する。彼が10年ほどの間S界救S教の信者であったという事実は、岡田氏がブッダの予言にある「その人」であるという主張と矛盾するものである。:
「正しい教えを説く‘その人’は、在家から現れる。(宗教の経験を持たない人の中から現れる。)」
(注:「在家」とは、ブッダの弟子以外、すなわち仏教徒以外のことである、という解釈もあります。しかしながら、真光では(初級)研修において、「在家」とは宗教の素人という意味であり、岡田光玉氏はその素人であった、だから岡田氏はブッダの予言した救世主だ、と教えています。つまり、「在家」という言葉の正確な意味はともかく、真光(岡田氏)は明らかに自分の理解した「ブッダの予言」に沿うように岡田氏の過去を隠蔽し、岡田氏を救世主にしたてあげようとしています。)
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02月27日(木)
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