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暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■098 judge
というのは、この教団は本山をつくることになっておりまして、熱海でその本山を建てる計画をしていたのですが、なかなか建築の許可がおりないので初代は困っていた事情があります。
「夜中に神様が出てこられて、初代に『遅い、遅い、大和人遅い』とこう申された。神様にしかられたので、これから何とかしなければならない。こういう話が私甲子にありました。
そこで私は、初代が怯えておられるのでこわくなって『お父様にもしものことがあったら、どうすればよろしゅうございますか』と尋ねました。
そしたら初代は、『私に万一のことがあったら、二代は関口さんにお願いせよ』こう言われました。そして自分が肌身にかけている御霊、それを外して自分にかけて下さいました。
『これは二代用の御霊である』そういわれた。もう一つ、ついでに私に渡して『これは父の御霊である』といわれた。つまり二つの御霊を渡して下さった。このように私は二代用の御霊をお預りしています。
おそろしいことでございますので、早く関口さんにお渡ししたい。」 こういう風に甲子さんは皆にその席上で述べたというのであります。
幹部五〇人全部がそれを直接聞いておりましたので、だいたい正確に、その話の内容を復元できます。そしてその翌日、初代の遺体の前で、甲子さんから関口さんへ二代の御霊というものを授受されるのであります。
関口さんが受け取った御霊はどうか、どんな物であったかというのが「1」の写真です。これは実は、アメリカの一八六六年の、金貨を首飾りにしているようにみえます。しかし実は、これは金貨そのものではないので、中が開くのです。
これはスイス製の高級時計なのです。スイス製の時計の中に、先代の書いたその「聖」という字が入っている。それがご神体なのです。このことは後に訴訟になってから発見されたことです。
甲子さんによる二代発表とおみたまの授受がありましたから、二代の指名を受けたということで、皆も関口氏を二代様、二代様と呼んでいたのでありますが、ことはそう簡単に進まなかった。
六月二六日に、この御霊を受けてから一遇間も経たない、七月一日に、責任役員会が開かれました。関口氏は責任役員になっていない。岡田甲子氏はなっていた。
甲子氏を含む五名の者が、責任役員会を開いて、教団の規則に基いて岡田甲子を代表役員に選任して、登記をしてしまったのです。
しかし、そのことは当時五人の者以外誰も知らないし、登記を行なわれたことも、この教団の人たちは知らなかった。七月一三日の日になって、初代の正式の葬儀が日本武道館に集まって葬儀を営むのでありますが、
その時に二代の発表がありまして、初代は二代を関口さんにお願いしなさい、こういうことを言われましたという発表が行なわれました。
その時の状況を写したのが写真「2」であります。上に飾られている写真が、亡くなった岡田良一という初代でありまして、
その下で挨拶をしてモーニングを看ているのが、関口氏で、二代に指名されたのに対して受諾の挨拶をしているところです。
武道館は、超満員になるぐらいの状況でした。このような中で二代の発表があったので、その後、色々な儀式は関口氏が二代として行なっていたのであります。
ところが、一部の人々はその後甲子氏を何とかしなければいけないのではないか、霊と肉を分けて、関口氏の方は肉の方を、甲子氏の方は霊の方をやったら等という、
色々な提案がなされますが、八月二日になって関口氏は、甲子氏から初代の本宅である熱海に呼ばれるのであります。
そこで関口氏と甲子氏と二人だけで会います。そうすると甲子氏が関口氏に対して、こういう御神示がありましたよ、といって本人に見せたものがあります。それが写真「3」です。
これはある文章の上と下を白紙で隠して、真中の字だけをコピーしたものです。非常にわかりにくいのですが、カッコの中は「ヨのみ雲をもちて娘に与えよ」と書いてあります。
後はちょっと判読できません。この紙を見せて、甲子氏は自分が後継者の指名を受けていたという趣旨のことを、非常にあいまいな形ではありますが、関口氏に言いました。
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05月25日(火)
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