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暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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物質と罪穢のミソギハラヒ即ち火の洗礼期をのがれる種人をつくっておかなければならないのが、私の使命です。バイブルの「ノアの洪水」を思い出して下さい。「神が選び子の額に印をするまで……」その文明の種になる人、皆さんは、それになってもらいたい。
(解説) フランスの新聞にこういう記事をのせると、カルト扱いされても仕方がないかもしれない。
「現代フランスのスピリチュアリテ――二つの排除性について」 (特集 宗教・スピリチュアリティ・暴力) 樫尾直樹著
「現代宗教2002」(国際宗教研究所編) 東京堂出版163〜184頁
(国立国会図書館雑誌記事索引収載)
(P180) 今フランスで一番の「怪物」こそ、この「セクト」なのである。
日本でもオウム事件以後特に「カルト」や「破壊的カルト」というアメリカから輸入された言葉が人口に膾炙しているが、フランスやベルギーなどのフランス語圏を中心としてヨーロッパでは「セクト」という言葉が、マイナーな宗教教団等の総称として使用されている。
ヴィヴィアン・レポート以後、一九九六年一月に出版されたフランス国民議会下院による調査報告書、ジェスト・ギュイヤール・レポートは、新宗教を「セクト」としてきわめて軽蔑的に捉えている (これをコンパクトにまとめたものとしては阿部美哉『現代宗教の反近代性』、玉川大学出版局、1996、および中野毅「フランス議会での反セクト報告をめぐる考察」『宗教研究』、311、1997、345-6頁がある)。二〇〇一年五月にできた新しいセクト法でももちろん事情は同じである。
(P182) サイエントロジーやエホバの証人を筆頭に、さまざまな教団が、社会的、文化的攻撃を受けている。元信者との訴訟に関しては、厳正な裁判によって真偽を明らかにすればよいのだが、他者的なものに対する排除的先入観には実に驚かされる。たとえば、フランスに約一万人ほどの信者を擁する崇教真光に関しては一九九七年に、興味深い事件が二つあった。ノルマンディとパリでのことである。
六月四日、法外な金銭を支払わせた背信罪および「業務上過失」の廉で、ノルマンディお浄め所と所長自宅が司法警察から家宅捜査を受け、「ご神体」(「真光」と書かれた掛け軸)と「ご神像」(「伊都能売大国魂大国主之大神」像)、および所長と夫人の「御み霊」(入信時にもらうペンダント)の四点が押収された。
教団側の説明によれば、ある女性信者が同居人の男性(信者ではない)に別れ話を切り出したところ、話がもつれ、男性がお浄め所および所長を訴えた、ということである。『祈言集』に4000フラン、お浄め所で履く内履きに1000フラン、初級研修と「御み霊」に12,000フラン、および一年間の献金に24,000フラン、計41,000フラン(約八五万円)を不当に支払わされた、とその男性は主張している。
それに対して、所長は、初級研修(「御み霊」代を含む)に関しては800フラン、『祈言集』(購入は任意)に関しては90フランであると主張している。加えて、司法警察は、その男性が同性愛的傾向があると述べ、所長と月並祭の後に同性愛的行為を行わなかったかと質問したということである。
ジェスト・ギュイヤール・レポートに紹介されている、フランス総合情報局による「セクト」の判断基準の第二項(法外な金銭の要求)からすれば、男性の訴えはそれにあてはまる可能性があるが、所長や信者の事情聴取や信者の「御奉納」金額などを記録したフロッピーディスクの内容から、その男性の訴えが誤りであったと直ちに判断したことからすれば、司法警察の狙いは別件にあったと考えられる。
その証拠に、依然として押収した先の四点、およびフロッピーディスクを司法警察は所長に返却していなかったし、先の同性愛疑惑も、「セクト」の一典型的イメージがかなり先行している。 司法警察は以前から、崇教真光が、マスコミなどの批判に対してまったく抗議をしてこなかったのは、何か疚(やま)しいことがあるからだと考えており、この事件に乗じて別件で、お浄め所を「セクト」の拠点と見なして調査していたと考えてまず間違いないと思われる。
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01月28日(水)
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