ID:104448
暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■015 foundation1
岡田氏はたびたび、彼の霊への興味を注意され、将来問題を起こすだろうと警告されていた。1953年(昭和28年)に、彼は問題行動(性的不品行)よってS界救S教の幹部を罷免された。1957年(昭和32年)までは、S界救S教に所属して密接な関係を保っていたが。この頃、彼は妻と離婚している。S界救S教の熱心な信者であり、岡田氏に付き従ってS界救S教を去ったある一つのファミリーに所属し、後に岡田氏の養女となった、井上甲子という若い女性は、後に○○真光の指導者である岡田恵珠女史として知られるようになった。現在彼女は70歳に達しようとしている。

(注:井上甲子女史の素性については、「新興宗教の正体」という書物に記述がある。)
(注:額の手かざしの前に祈言を奏上すると浮霊しやすくなる、ということは救世教内で知られ、禁じられていたようです。そのことや霊査などに興味を持って続けたのが岡田光玉氏と言われています。結果として、これが罷免の一つの理由となりました。)

(注) 岡田光玉氏の罷免事件に関する証言(2ちゃんねる http://www.2ch.net/ −心と宗教−真光関係者集合!!(8)−547、548 2002年8月8日)
「私は救世教関係の者ですが、岡田光玉氏の救世教時代について私が直接、間接的に関係者から聞いて知ったことをここでまとめてお伝えしておきたいと思います。岡田光玉氏が性的な問題を起こして救世教を破門されたという事に関して、これはおおよそ正しく、一部誤解があるようです。

世界救世教の浄霊では、始めは治療的に触診などをしていたのですが、昭和25年頃から体に手を触れないことが原則の浄霊に変わりました(昭和25年12月27日 「浄霊法変わる」) ところが岡田光玉氏は、手を触れない浄霊法の時代になった昭和二十八年のある日の浄霊中に、意図してか誤ってか、相手の女性の体に触ってしまったということがあったらしく、女性が悲鳴をあげ、布教所が騒然となったそうです。このトラブルと、それまでの浄霊中の霊的現象に非常に興味を持っていたことをあわせ、岡田氏はこの時点で、専従布教者を解雇された、すなわちクビになったということらしいのです。破門をされたのではなく、解雇されたのです。

だが、単に教団からの雇用を解かれただけで信者をやめさせられたわけではないので、岡田氏はしばらく一般信者として参拝などを続けていたようです。というのは、教祖が亡くなったのが昭和30年で、その後二代教主様が就任されましたが、昭和32年頃まで、岡田光玉氏が聖地参拝に来て二代様のご講話を聞いていたという目撃証言があるからです。私は真光の教義を詳しく知っているわけではありませんが、時々掲示板に掲載される用語などを見ると、教祖の影響とは別に、救世教二代教主様の影響があることもうかがえます。岡田氏は、霊がかりに興味を持ったことと、そして女性の体に触ってしまったことで解雇されたことから、霊と自由に話をすることが出来、相手の体を触れることが出来る真光をおこしたのでしょう。

(追記)世界救世教には、腎臓部分や肩、首などを触られても悲鳴を上げるような文化があるわけではありません。これは当然、女性が悲鳴を上げるような場所を光玉氏が触ったという意味です。」

S界救S教の幹部の集合写真が、1949年(昭和24年)から1951年(昭和26年)の間に撮られており、彼らは東京のS界救S教の博愛教会の信者たちであった。


「1」岡田仲道(良一)氏、「2」A氏、「3」A氏、「4」S氏、「5」H女史
(プライバシー保護のため、岡田氏以外にはぼかしをかけています。)


真ん中の写真は、上の集合写真中の「1」の人物の拡大写真。

上の写真を見れば、耳の形から明らかである。岡田良一氏を撮ったこれら3枚の写真は、違う年齢の時の写真だが、明らかにS界救S教の集合写真の中の人物が岡田氏であることを示している。


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04月29日(火)
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