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暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■007 Insight
ザンテというのはギリシャの沖にある島のことである。セント・デニスという人がどういう人だったのかについてははっきりしたことはいえないが、一つの伝説によれば、彼は紀元250年に首をはねられたあと立ち上がり、首を持って歩いたとされている。または、ディオニシュオスアレオバゴスと呼ばれるもう一人の人物と混同されているのかもしれない。アメリカのワシントンにおいて、米国国際アカデミー協会と呼ばれる組織にコンタクトをとってみたところ、この協会はそのような賞など与えておらず、それはつくり話だろうということであった。この協会以外では、米国国際アカデミー協会と呼ばれる組織は今までのところ見当たらない。
世界の宗教の統一: ○○真光の基本的な教義の一つには、すべての主要な宗教の「統一」があり、これはまたS界真光文明教団の主要な信念の一つでもある。その基礎には、すべての宗教は霊的にも物理的にも人類の起源である日本から生まれているという信念があり、神から与えられた真光の使命はすべての人類をその起源である日本の皇室のもとに立ち返らせることだという信念がある。
1974年に岡田良一氏がS界真光文明教団の創始者および指導者として亡くなったとき、裁判の記録によれば、彼の後継者は関口尊師(Reverend: 師、尊師)であった。岡田女史は、岡田良一氏の通夜と数年後の裁判の両方の席においてこの事実を認めている。岡田氏が亡くなったとき、彼の教団の中には2つの派閥があったらしい。一つは関口氏率いるもので、もう一つは岡田女史が率いていた。このときすでにS界真光文明教団は分裂寸前であり、すべての宗教を統一するというその基本的な教義は崩壊の危機にあった。
1974年6月25日に、岡田女史が関口氏と27人の立会人に対して関口氏がS界真光文明教団の次の指導者であるという発表を行った後、彼女は自分の派閥の一人から、関口氏を教祖として承認することに関してはその人の了承がなければこれ以上何も言ってはいけないと言われた。1974年7月5日に、彼女は秘密裡に自分をS界真光文明教団の代表者として大森の登録事務所に登録した。後に彼女はそれを取り下げることになった。彼女は自分が教団の次の指導者になると主張し、関口氏と27人の立会人は彼女の言葉を誤解したのだ、と言った。6月25日に彼女が言ったことは、関口氏は自分の代理人である、というものだったと彼女は主張した。この主張は、6月25日に彼女が実際に言ったことと完全に矛盾するものであり、長年にわたる混乱と裁判での争いを引き起こした。信者たちの寄付は、信者に知られること無く裁判における弁護のための費用に費やされた。なぜ岡田良一氏は明確な意思や書面による指示を残さなかったのだろうか? もし彼がそのような非常に重要なことをするのを忘れたのだとしたら、その他にも何を忘れたというのだろうか?彼の神はどこにいたのであろうか?
この時点で真光に対する全般的な信頼性は、厳しい監視下におかれるべきであった。岡田女史の宣伝戦略はトップギアに入った。関口氏は何人もの愛人を持っているとか、病気にかかっているなどと誹謗中傷された。一方で岡田女史は、その当時の真光信者にとって究極の使命であった神の世界総本山すなわちス座の建設という、神が与えた役割を担う唯一の人とされた。岡田女史が裁判で負けることが明らかとなったとき、彼女は○○真光と呼ばれる自分自身の教団を1978年6月に設立した。S界真光文明教団の多くの信者は離脱し、○○真光に行った。なぜなら、道場(各拠点)の指導者たちが、岡田女史に対して忠誠を誓い、道場の信者たちを引き連れて彼女の側についたからである。普通の信者たちには、元の教団に留まる選択肢はどの段階でも与えられなかった。このような教団の指導権をめぐる争いは、一般には信者に知られていない。典型的なカルト教団においては、沈黙することこそが最高の戦略なのである。
最近、その沈黙の殻が破られてしまい、その情報は色々な情報源から流れ始めた。○○真光の信者にとって最も痛い一撃は、岡田女史のス座は、元の教団であるS界真光文明教団のス座より小さいことを知ることである。
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02月27日(木)
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