ID:104448
暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■スレ48-2
> その話は始めて聞きました、情報提供サンクス!

大本教がそういう宣伝文句を使っていたかどうかは知りませんが、救世教では間違いなく大々的に使われていました。
おそらく、岡田光玉氏も、救世教の布教師時代に、この宣伝文句を使っていたのは間違いないでしょう。


636 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/07/25(水) 12:27:51 ID:Q02XWLcC
1000人程度の道場(実質は300人?)で数年の間に二人も癌の手術もせずに
亡くなる人を見るとね。
どちらも発見時は初期だったのに・・・

殺人宗教だな。


657 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/07/25(水) 23:38:01 ID:D/mnjRKK
>>646

> 崇教真光の「崇教」という言霊は、世界救世教のパクリなんだって。
> 名前からしてパクリですか?

さすがにそれは違います。崇教という言葉を岡田茂吉が言ったことはありません。
私が昨日書いたのは、「本教は宗教ではなく○○である」という物言いが救世教で行われていたということです。
だから似ているのは「言霊」ではなく「宣伝方法」だと思います。


669 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/07/26(木) 00:45:01 ID:2FA2vbbM
>>667
>つまり、「宗教」でなく宗教を超えた超宗教は「崇教」だと崇教真光
>は言っていますが? これとは、矛盾してます。 

質問ですが、真光の教えでも、超宗教という言葉は出てくるのですか?


687 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/07/26(木) 01:22:49 ID:XWbz172u
>>669
>質問ですが、真光の教えでも、超宗教という言葉は出てくるのですか?

うろ覚えですが「祈言集」のどこか又は「御聖言」の序あたりに
「元主(もとス)初(始?)(はじま)り神(カム)は〜」に始まり?「〜〜即ち超宗教界のもの」
という一節が有ったと記憶しています。文は「幸への誇り」?
「祈言集」の他の文章かもしれません。同一文中に「神理(真理)の充満界」?
ただうろ覚えです。

どこかはともかく「〜〜即ち超宗教界のもの」は覚えています。
此の文以外にも「超宗教」は勉強会等で普通に出た言葉だったと思います。


692 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/07/26(木) 01:36:13 ID:2FA2vbbM
>>687

なるほど、真光の教義では霊界だか神界だかに「超宗教界」というのがあるんですね。世界救世教の教えではそれはありません。

なお、もう一つ情報をお伝えしておくと、よくこのスレで出る「真如とは『真の如し』と読み、真理そのものではない」というのは、岡田茂吉が言ったことです。

本教は神道か仏教か
昭和24年5月31日
http://park21.wakwak.com/~shippo/goronbun/ho/honkyo19.htm
> ここで神と仏について説明するが、何千年前世が替った時があって、
> すべての神々は仏として化現された、例えば月読尊は阿弥陀如来となり、
> 天照大神は大日如来と、稚姫君尊は釈迦如来と、伊都能売神は観世音菩薩と
> なったようにである、この期間が夜の世界でいわゆる真如(しんにょ)の世であった。
> よく仏教では真如実相というが、真如は真如の月すなわち夜の世界で、実相は昼の世界で
> あるから、今までは真如を上に実相を下にしたのである、真如とは読んで字の如く
> 真の如(ごと)しで真ではない、釈尊が仮の娑婆といったのもそういう訳である、
> 仏滅の世が来るといわれたのもその意味である、ゆえに今度霊界が転換すれば
> 昼の世界すなわち実相世界となるのである。

これは、岡田茂吉の思想である「夜昼転換」ということと関係があります。
釈迦は自らの教えを、「真如の月の教えである」と言ったらしいのです。これは、別の仏教の教えでも
学んだので、たぶん間違いないと思います。月の教えとは、世界を夜にたとえて、足下を照らすわずかな
光という意味での表現です。岡田茂吉は、時代が昼に変わったので、太陽が出たら月の光は必要なくなる
ということを言いました。『真の如し』はおまけ的な表現で、「月の教え」ということのほうが重要なようです。


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04月26日(火)
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