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暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■フランス反カルト法2
The kind of laws that was passed in France aren't entirely new. In the 1980's already, anti-cultists tried to pass similar laws in the States of New York, Kansas, New Jersey, and Nebraska. These laws would have allowed anti-cultists to use police force to seize cult members and subject them to forcible deprogramming. The proposed law sometimes passed all stages of the legislation process except for the very last.
先例
米国の信仰を捨てさせる法律
フランスで可決されたこの種の法律は全く新しいものでは有りません。1980年代に既に、カルト対策者は、米国のニューヨーク、カンザス、ニュージャージーおよびネブラスカで同様の法律を可決しようとしました。
これらの法律は、警察の力を借りて、カルトメンバーを捉え、強制的に信仰を捨てさせる事を、カルト対策者に許可するもので有りました。
(筆者の見解)
フランスの反カルト法が最も注目を浴び、先端を行っているように思われていますが、既に、1980年代に米国の各州で、より強力な法案が可決されようとしていた、先例が有り、何処の国に於いても、カルトに対する潜在的な、恐怖、危険といったものを絶えず抱いている事は間違いないでしょう。
その点、日本ではかの国よりもより多くのs真光を始めとし、カルトが存在し増え続け、見えない闇に隠れた被害が増大する中においても、それらの兆しさえも無いと言う現状は、国家としての行く末に暗雲を垂れこませていく事になるでしょう。
174 2001年フランス反カルト法について M 2003/09/18 22:38
Precedents
Crime of Plagio
The Italian Penal Code also had a unique provision, enacted in its article 603 under Mussolini, for the "crime of plagio", which was the offence of "subjecting another person to one's own power in a manner which reduces him to a total state of subjection". It carried a maximum penalty of fifteen years' imprisonment. On 28 November 1969, a lecturer in philosophy, Signor Also BRAIBANTI, challenged in the Rome Appeal Court a sentence of nine years' imprisonment for 'totally enslaving' two young students (The Times, 29 November 1969). His conviction was upheld but the court reduced his sentence to five years; though at the time this was being written a further appeal was pending.4 The law was declared unconstitutional in 1981 and stricken from the Criminal code by the Constitutional Court as being "imprecise, lacking coherence and liable to arbitrary application".5
先例
プラジオの犯罪
イタリアの刑事法はさらにユニークな条項を持っていました。自分自身の力で他の人を従属させるための攻撃であるプラジオの犯罪に対してムッソリーニ下の条文603で実行されました。それは、禁固15年の最高刑を伴いました。1969年11月28日の、哲学講師および紳士、さらにBRAIBANTIはローマの法廷で、2人の学生を奴隷化した罪で、禁固9年の判決を言い渡された。「ザタイム1969.11.29」 彼の有罪判決は支持されました。しかし、法廷は5年に彼の刑を減らしました;しかしながら、 それと同時に次のことが付記されました。更なる訴えは法律を保留にするとありました。法律は1981年において違憲とされた。そして、統一法廷により「曖昧で統一性に欠けるそして恣意的な適用をしやすい」との理由で刑事法から削除されました。
(筆者の見解)
何処の国に於いても、カルトの恐怖と言うものはあり、図らずも、戦前の亡霊である法律を用いて、イタリアでは取り締まっていたという事です。絶えず言論と信仰の自由とカルトの社会的被害との狭間でしぶとく生き残るのがカルトです。こうして見てきた時、イタリアはムッソリーニの遺産を葬った事が果たして良かったのか、唯一の善行を投げ捨てたような気がする。
175 2001年フランス反カルト法について M 2003/09/19 23:07
Opposition on Civil Rights Ground
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