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暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■ヨーロッパカルト事情
第一は「宗教かセクトか」という区分にもとづく宗教問題としての「セクト問題」である。 フランス・カトリック教会のセクト問題の権威であるジャン・ヴェルネット神父の『セクト』(クセジュ文庫)の見出しを借りれば「社会学的かつ神学的概念」である。 同書で、ヴェルネット神父は、 「西洋におけるすべてのセクトについての言説の難しさは、この用語が価値判断を表現していると受け取られることにある。それはたしかに神学用語に属している。あるグループを『セクトである』ということは、多くの人に価値低下する判断をさせる」という。 これに対して、社会学では「セクト」を「教会とセクトをその価値についての先入観なしに社会構造として」(同書)みている。「マックス・ウェーバーは、教会を救済の機関であり、セクトは契約的団体であると定義した。アーンスト・トロエルチはそれらを弁証法的に対立させる。セクトと教会は、キリスト教の萌芽のときからすでに存在した二つの対立した傾向を代表している、と彼はいう。(教会型の)保守主義と(セクト型の)急進主義である」(同書) この「セクト」は新宗教、新興宗教、少数派宗教などといいかえられる。 アメリカやS教会がいっているのはこの意味である。
339 ヨーロッパカルト事情-3 M 2004/03/29 16:23
第二の「セクト問題」は、さきのヴェルネット神父の本には紹介されていない。 宗教思想信条とはまったく関係なく、「人や社会にとって有害か否か」という区別にもとづくものである。
フランスのセクト対策関係省庁本部は 「セクトとは全体主義的構造を持った結社で、宗教的目的を表明していたりいなかったりし、その態度行為は人権と社会的均衡を侵害する」と定義している。
またベルギーの一九九八年六月二日法は、 「有害セクト的集団とは、哲学的または宗教的使命をもった、あるいはこのように主張する集団で、その組織や実践が不法活動や損害を与える活動を行い、個人や社会を害したり人の尊厳を傷つけるものである」という。
この「セクト」は宗教に限定されないから新宗教などといいかえることはできない。 この第二の「セクト問題」は人権問題そのものである。対して、第一の「セクト問題」はある種のグループや個人の宗教活動が阻害されるという点においてのみ人権問題と関わる。
逆に、宗教については、第二の「セクト問題」はたまたまあるグループが宗教団体(公認非公認を問わず)であるときに関わりが出てくるだけで、本質的には無関心無関係である。
340 ヨーロッパカルト事情-4 M 2004/03/29 16:26
このアメリカとフランスの認識の違いは、社会のほんの一部のある種のグループの問題に限定されるものではない。もっと根本的な人権認識と今日の世界への認識の相違に通じている。
昨年九月の連続テロのあとアメリカでは大統領が「十字軍」と口を滑らせたように、ビンラデン、アルカイダとの戦いをキリスト教とイスラム教の文明の衝突とみる見方が根強くあるようだ。
しかし、フランスでは、宗教と関係ないセクトと同質の問題として見られている。 その代表的な例として十月三日におこなわれた国民議会本会議の九月十一日テロとその対応についての各党党首演説での野党フランス連合のジスカールデスタン氏の発言を紹介しよう。
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11月17日(水)
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