ID:104448
暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■090 gn
当時もう一人神懸かりを止めなかった人物がいて、兵庫県の豊岡に居た池内一次という人物は岡田茂吉から直々に審神を受けて本物と認められたそうです。(岡田茂吉没後、独立してひかり教会を設立した)当時、岡田茂吉は総ての神懸かりを否定していなかったという事実は重要です。


以前私が野口整体と野口体操の創始者は同一人物等良く確かめもせず頷いていましたが、後でよく調べてみたら別人でした。

野口整体 野口晴裁

野口体操 野口三千三
でありました。 いい加減な事いってスイマセン。

フト思ったんですが、此方の皆さんは「教祖誕生」上之郷利昭 新潮社刊という本のことはご存知ですか?  何処かの文庫本にも入っていたが、出版系列からして新潮文庫?この中に岡田光玉の伝記資料が収められています。光玉の家族(妾じゃないよ)とか、古い知人からも取材したようです。 以下引用すると、

しかし光玉はこの頃から既に、宗教の方には相当身を入れていたようである。「神道、仏教あらゆるところを模索して歩いた」と、彼は後年、親しい人たちに漏らしている。として、生長の家や救世教、大本に関わっていたらしいと記述あり。 大本の話は、私自身が大本の人から岡田光玉が大本の講座を受講に来ていたという証言を聞いた事がある。あまりソースとしてはこの本の事が話題に上らないので書いてみました。

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愛人疑惑

今日仕入れた話は、ケイジュが光玉の愛人だった事を如何して当時の組み手たちは判ったのですか?と尋ねたら、

《だって、見たそのまんまだもの。》

二人の中を隠してなかった訳だ。なかなか凄い人達だ。

更にケイジュは光玉死後、日陰葛(ひかげかずら)の愛人の身で操をたてて暮らしていたのかと思いきや、早速お付になったT塚という書道の大家とくっついたというのです。こんな酒池肉林を目の前で見たら、普通の神経の人間なら直ぐ信仰を止めるでしょうな。

光玉死後の分裂騒動というのは、光玉と陸士同期の人間達(その玉がケイジュ)と関口氏の間の権力争いであり、教義不在の金をめぐる争いであったという事実がハッキリしました。この話を教えてくれた方も、何時もはあまり真光の話をしたがらない理由が今日判りました。

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生長の家

岡田光玉が生長の家信者だったらしいという伝見は、前記「教祖誕生」の中に記述があり、生長の家の神示と真光の神示を読み合わせて見れば一目瞭然です。七つの灯台の神示と雰囲気がソックリです。光玉の残した「御講話集」を初めて読んだ時、エドガーケイシーやルドルフシュタイナ―の名が出てきたのには驚きましたが、とても当時の軍人の知的レベルを超えています。 此の辺の情報も生長の家から持ってきたようです。 

光玉、最後の御神示の中《くちゃくちゃ》というのは、真の道の大峰老仙という神霊の語り口調です。 その事実は宗教法人真の道刊行の「真の道神示」を参照すれば歴然です。

前にも指摘しましたが、真光の「御聖言」は真の道の大峰老仙という神霊の神示の口調を改竄したものであるという証拠です。(「御聖言」の文語調の部分は生長の家の神示の口調に由来しています。 これもBOOKOFFの100円コーナーで「生命の実相」を参照して貰えれば一目瞭然です。)

光玉とケイジュは言霊の研究会(真の道協会?)で知り合ったいう話が残っているそうです。 何方か引用していた資料ではケイジュは大月の出身とか、(戦争中知り合ったという話とは合いませんが)実は昭和二十七、八年頃、甲府市に真の道宗像道場という場が開かれていました。 甲府市に真の道宗像道場は、昭和三十年の教団分裂後に八幡博堂側についていました。 大月と甲府は近いですなあ。

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瓜谷社長の証言


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04月14日(水)
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