ID:104448
暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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大峰老仙


光玉、最後の御神示の中《くちゃくちゃ》というのは、真の道の大峰老仙という神霊の語り口調です。 その事実は宗教法人真の道刊行の「真の道神示」を 参照すれば歴然です。

>勉強不足で恐縮なのですが、最後の御神示というのはなんでしょうか?一般に公開されていないものという事でしょうか?
>過去に書き込みがあったのかもしれませんが・・・・すみません。


>13日夜 神起こし賜う 神前へこい 13日午前2時急ぎ着がえて神前へ しばらくくちゃくちゃ 御聖地と造営着手御伺い考え考えよ しばし右横へ 方向守るよ 高天原守らむなれど 時悪し神守るなれど 遅いよ遅いよ アマハラ 鎮護せしめん 胆なりヤマト人 遅いよ遅いよ 時悪ししばし 時を見よ(11日夜のこと金星すてぬなれど ここ運つきよ)

>神の大ミソギ早足なりし 上 8/25ヤレ玄岳に心むけさせし時、玄光山とおぬし叫たるが、しかりなれど、 あの時は玄は暗し クライ出思い出さしめん為 しばし仮に ヨ丈け秘かにもちて(ヨのみ霊もちて)娘に与えよ間に合わず 此地 時をまて 8月10日27所 与えられん思い立ったら吉日よもう一度 ほかの仕組みで 力 外に うまく そらさんも

岡田光玉の改編されていない御神示は、もろに大峰老仙の口調そのままであるという指摘です。千鳥会時代、霊の語るところによると、大峰老仙は役の行者の弟子であったという由で、聖徳太子の時代の人物だったそうです。わしは○○じゃよ。という口調で現れて交霊会で喋っていました。

後に作家になった皆川博子は塩谷博士の娘ですが、多感な年頃に千鳥会の交霊会に接してスッカリ霊的なことが嫌いになったそうで、大峰老仙の喋る《わしは○○じゃよ。》という口調が聖徳太子時代の口調とはとても考えられず、特に嫌いだったそうです。その頃の思い出から、「巫女のいる家」「巫女」という作品を書いています。「巫女」という作品は最近、学研M文庫から出たばかりだから大きな本屋で直ぐ手に入ります。

真の道の教義によると、真光霊団の一番上に座すのは聖徳太子という事ですが、真光教団に於いても踏破されているのでしょうか。

>私の所属道場は古い道場です。この間何日間だけ古い資料を公開していました。その中に昭和30年代の真の道の機関紙などがファイルされていました。(びっくり)
当然救い主様の記事もありました。膨大な量だった事と、時間もなかったので詳しい内容までは読み取れませんでした。

それは当然でしょう。 私の会った友の会時代の方(故人)によると、(真の道協会の人が来て)初期の頃(友の会時代)はフーチを良くやっていたそうです。陽文研に居たN氏によると、昭和三十年代の「真光」誌に真の道協会との交流が良く書いてあったとの事です。

因みに光玉の記事があったという「真の道の機関紙」は真の道協会の「聖和」でないですか? (真の道と真の道協会は分裂した別団体です。 その背景は昨年の十一月三日の投稿を御覧下さい。)

>又、教団設立当初の組み手さん、側近に近い人も何名かいらっしゃいます。(ほとんど話す機会はありませんが・・・)チャンスがあればいろいろと聞いてみたいと思っています。

是非お願いします。 初期の信者さんの光玉像と、現在の流布されている光玉像の間のギャップは如何。 歪められた虚像をただす時期にきているのでないでしょうか。

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ス座

光玉最後の神示というものを読むと、

>>神の大ミソギ早足なりし 上 8/25ヤレ玄岳に心むけさせし時、玄光山とおぬし叫たるが、しかりなれど、 あの時は玄は暗し クライ出思い出さしめん為 しばし仮に ヨ丈け秘かにもちて(ヨのみ霊もちて)娘に与えよ

気がついたのですが、上記神示の《玄岳》という山は熱海にある山のことなのですね。
http://www.izu.co.jp/~gaigo/hp5.html


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04月13日(火)
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