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暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■032 KD
教団からの我々真光隊に対する公式な釈明は、自殺した隊員は、幹部のことを悪く中傷していたから、霊障にやられていたのであり、 そしてこれは北アメリカ地区のすべての隊員達が、目を覚まさなければならない戒告である、というものでした。この説明には僕は全然納得行きませんでしたし、どうして良いものか考え始めました。 もしこの教えがそれほど絶対であり、御光が強いのであれば、なぜ隊員の命を救うことができなかったのか、そして何故浮霊して自殺してしまわなければならなかったのか? 彼の命をとったという憑依霊が、真光の業や我々隊員に与えられた御守護よりも強かったというのはどういうことなのか、悩み始めてしまいました。他の隊員への戒告だなんていう説明はどう考えてもおかしい!!そう思いながらも、事件の後でさえも僕は教団にとどまり、真光隊にも参加していました。頭の中で御教えを繰り返しては奉仕活動に打ち込むという堂々巡りの考え方が頭に染みついてしまい、それに自分自身が縛り付けられていたのです。 僕は日本の主座で2000年に行われる御光閲に参加することを目指して必死でした。本当に参加したかった・・・というのは最後に参加した主座での修練会では、2000年の御光閲に参加が許されたものが、次期文明の種人であると、言われていましたから・・・その機会を逃してはいけない、と思っていたんです。

 それでもまだ真光に縛り付けられていたわけですが、自問自答はつづきました。真光隊の修練会などでは、人知の理屈だから読むだけ時間の無駄である、読まないようにといわれていた他の精神世界の本や、哲学書なども読み続けていました。人間本来の心の力について書かれた本も読むようになり、妻もたまたま同じような内容の書籍を見つけてきたのですが、心が如何に作用して自己が強くなりうるか、または信仰や思想の犠牲になりうるかということなどが書かれていました。

しばらくして彼女はまた妊娠したのですが、この機会に僕たち夫婦は、この"心の力の理論"をためしてみることにしました。今度の妊娠期間中は彼女はお浄めはあまり受けませんでした。特に妊娠に関わる体部にはほとんどずっと受けませんでした。それは彼女にとっては不安なことでもあり、神向きを制限することになる冒険だったとも思います。その一方で、彼女はそれらの不安が、"罪えが深い"等のネガティブな御教えからくるものだということを悟り始めていました。そして最初の出産の時には自分の想念がそのまま現実になってそれを体験してしまったということに気づいたのです。どうせ自分は罪えが深い、そう自分自身を責め続けて、出産をめぐる不安や御教えに心を奪われてしまったわけです。

 助産婦の付き添いで、第1子同様、自宅で彼女は二人目の子供を出産しました。しかしながらこのときは僕も妻も御み霊を掛けないようにしていましたし、他の組み手を呼んでお浄めをさせるようなことはしませんでした。 これは究極の実験だったと思います。出産は非常にスムースに早く終わり、次男を産んだ妻のよろこびようは大変なものでした。出産の時には、妻の精神状態は非常に穏やかで、この出産自体がその平静さを反映していたと思います。 最初の時は彼女は罪穢やら、霊障やらで恐怖にとりつかれていました。御み霊やら、手かざしに頼らずに、前向きで勇気づけられる体験をしたこと、生きていくことができるということを知り、大変な開放感を感じました。 そのときに、真光への信仰、御教えが最高の真理であるという考え方が自分の中で崩れて行くのが認識できました。そして真光との関わりを断つ努力をはじめたのです。"御教え"に挑戦するようなことをたくさんはじめてみました。

テストとして、私は自分の想念に植え付けられた一部の御教えに意識的に逆らうように心がけ御奉仕の量も減らしました。 私がそうする一方で、私と妻は真光の指導に従わずに、家族への生活面での役割をおろそかにしないようにしました。 真光への関わりを断てば断つほど、生活面での責任や役割が大きくとれるようになっていき、家族の生活も改善されていきました。不安がどんどん解消され、自分たちの生活をとりもどしたように感じ始めていました。


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10月31日(金)
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