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暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■006 Insigft
関与のレベル: 真光の中で経験する教団とのかかわり合いには異なったレベルがある。最も浅いレベルでは、普通の人々はいくらかの料金を支払って3日間の研修を受け、「御み霊(おみたま)」と呼ばれる「神の」ペンダントが与えられる(教団内では「許される」という)。○○真光の現在の教祖である岡田女史によって神とつながった(と教えられている)ペンダントを身につけているとき、彼女の身体を通して光/エネルギーが世界に向かって放射されるという。もし、彼女の身に何かが起これば、神の真の光が通る道が消え、世界が救われる道が絶たれるという。すべての信者と神の力との霊的つながりも消えてしまうという。すべての真光信者にとって、考えるだけでもぞっとすることである。この理由により、最初の3日間の研修後も教団に留まることを選んだ人々は、ずっと教団から離れられない。最も影響を受けやすい青少年は、もし召集があれば彼女を守ることに命をかけるように教え込まれてしまう。
真光の信者は、御み霊(おみたま)/ペンダントの中身を見ることを禁止されている。そうすることは神とのつながりを切り、神の力から切り離されることであると警告されている。何人かの元信者はその御み霊を開け、中に岡田良一氏の最後の別名「聖凰」または「聖」という文字の書かれた紙が入っていることを発見した。このことは長年信者が教わりつづけてきたこと、すなわち御み霊の中の紙には最高の神のシンボルである「ゝ(チョン)」のマークのみが書かれているということと違う。(御み霊の中身の写真: http://members.ozemail.com.au/~skyaxe/omitama.htm )
信者は、そのペンダントは命よりも大切であると教えられる。故意に開けたり、落としたり、濡らしたり、布団につけたり、X線にさらしてしまったりすると、神につながるコード(霊線)を切ってしまい、悪霊が流れ込んで不幸がその人と家族に降りかかると教わる。また、いくつかの場合、ペンダントはつけている人をその身代わりになって救ってくれる力があるという。そのため、霊的つながりを保つことは、生死に関わることになりうるという。もし信者が「昇進」をして自分の家に「御神体」とよばれる神殿をもつことができるようになると、そういう規則はもっと極端になっていく。もし、誰かが屋根に登ったり、ご神体の上に乗ったりしたら、その人は死んでしまうかもしれないという。かなり激しいことである! これらの規則を破ることによって、信者は救われるチャンスを逃してしまうという。目に見えない、得体の知れない邪悪な力がその人や家族に降りかかるという恐怖を植え付けることは、非常に効果的な戦略である。神の天罰というものは、マインドコントロールにおける最高の手法である。
「神の光」とは何か?: その光/エネルギーについては本当のことは誰にもわからない。しかしウインストン・デイビス氏は、彼の本「道場−現代日本における魔術と悪魔払い」の中でよく分析している。彼が言うには、それはある種の魔法/魔術であり、教団によって作られ維持されているパラダイム(物の考え方、現実認識)の刺激に反応するための条件付け、としている。何が人々をそんなにも長い間ひきつけるのか? 潜在的な恐怖は別として、たぶん光を与えたり受けたりすることによって得られる「結果」によって励まされているからである。よいことも悪いことも、その光がもたらしたものとみなされる。それは、win-win situation(どちらにころんでも教団に有利な状況)である。もしある人が「よく感じる」ことができれば、それは光が働いているとされ、もし「悪く感じる」ことがあれば、それは光が毒素を溶かし、毒素が排泄される過程で悪く感じるとされる。しかしこれは良いことであり、もし毒素が光によって溶かされなければ、その毒素は固化して塊となり、その人を結果として殺してしまうとされる。もし何も感じなければ、それは段階を経るために時間がかかっているのだとされる。ほとんどの信者はこのように物事を考える程度のレベルで教団と関わっており、説明できない現象はすべて「光」の奇跡と解釈してしまう。特に、ガンのような病気が快方に向かったりするとそうである。
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02月28日(金)
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