ID:104303
暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■神代文字の真実(22)-(26)
  又彼は後章に於て、象字(かたかな片仮字)は、皇国字(『うへつふみ』ニ出タル字)、阿比留字(日文)、六行成字(阿奈以知字)より出で、平仮字は其の草体にして、象字を元として漢字の草体に折衷せるものなりとせり。これ既に篤胤等の唱へしところ。
 
 
『藝林』第4巻(1958)  文学博士 山田孝雄著
所謂b代文字の論(中):2号P10-29(88-107)
P19
 明治維新の後、b代文字の存在を主張するに努めた著しい人としては田中苧f・落合直澄の二人である。田中苧fはb字考といふ。この書は未だ見ることが出來ないけれど、落合直澄の日本古代文字考にはその緒言のうちに、
 田中翁ノb事考ハ古字ノ傳來及ビ古今ノ諸説ヲ網羅シテ載ラレタリ。傳記諸説ヲ見ムトセバ此書ニ由ルべシ。
と云つてある。日本古代文字考はb字日文傳の説を骨子とし、鍥木文字考の分解法を利用し、田中のb字考を材料として述べたものであるが、日文傳の疑字篇に載せた種々の字はもとより、その外のもの、たとへば、豊後人吉良義風の上記鈔譯といふものゝ用ゐてゐる文字に至るまでを網羅して一々に説明を加へ、現今の通用假名はすべてb代文字から出たものだと主張した。
 是より先、清國人沈文熒といふものがb字日文傳に載せた所謂b代文字は漢字の古文であると唱へて一々之を説明し、それぞれ釋文を加へ日本b字考二巻をあらはした。之によればそれらb代文字といふものは皍ち支那の古文字だといふことになるのである。しかしながら、それが妄説であることは日本古代文字考の附pに於いて論駁してゐるので明かである。


507 神代文字の真実(26)――神理研究会への反論 A 2005/02/20 18:12

 神理研究会のHPに、山田博士の論文に対する批判が掲載されている。これに反論していこう。(http://f35.aaa.livedoor.jp/~shinri/)
1) 山田博士は、神宮教院において、神代文字が『偽造』されたと言い張った――神宮文庫の目録では『冩』となっており、あくまで写本である。原本は存在しない。また、山田博士は『偽造』とは言っておらず、あくまで『無邪気な 気まぐれな すさび』と書いている。つまり、現代風に表現するなら“パロディー”である。ただし、今の世ならパロディーでよくても、明治初期なら不敬のそしりを逃れ得ない。皇學館の前身の神宮教院で、このような事が行われたことを公表するのは山田博士にとってつらいことだろうが、学問の真理追究の為に情報公開をあえて行ったその姿勢は高く評価すべきだ。そもそも『偽造』の有栖川を見破れない人物に伊勢神宮所蔵の神代文字の鑑定ができるわけがない。
http://web.archive.org/web/20030413132017/http://www4.ocn.ne.jp/~tenno8.6/html/koen_h12arisu.html

2) 科学的年代測定を行っていない――日本ぺトログラフ協会長氏の著作を何冊か読んでみた。「ぺトログラフの科学的年代測定は可能である」と複数の著書に書いているが、「科学的年代測定を実施した」とは一言も記載していない。科学の進んだ今の世の中ならできて当然のことを行わずに、50年前の研究者を批判するなどもってのほかだ。
◇国内の神代文字・ペトログリフ資料
http://f1.aaa.livedoor.jp/~megalith/sonohoka3tyozindai.html

3)式年時に新調されたと見るべき――伊勢神宮の式年は明治2年と22年に行われている。神道史大辞典(吉川弘文館2004初版)によると、落合直亮は明治10年に伊勢神宮禰宜・伊勢神宮教院の教官となり、15年に辞したとある。この間に神代文字の“創作”が行われたとみられ、式年とは全く無関係である。式年時に古文献の原本を破棄し、写本のみを残すことはありえない。原本が存在して、初めて写本の価値があるのである。

11月03日(水)
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