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龍神様のささやき
by 龍
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■縁起(2)
さて、昨年末の12月28日にお届けした便りの続きをお送り致します。

「縁起」と言えば、「縁起が良い、悪い。縁起を担ぐ」という言葉を、誰もが口にしたり耳にした事があるかと思います。

この言葉は、仏教の基本思想を表す言葉になるのですが、これは元々「因縁生起(いんねんしょうき)」という言葉の略で、「因縁によって万物が生じ起こること」。すなわち、世界の全ての物事は、直接・間接的にそれぞれ他のものを縁として存在し、それぞれが依存したり関わりあって消滅変化している、という考えがございます。

その昔、お釈迦様は「縁起の法」というものを説かれたのですが、これを表現する有名な言葉として、「此があれば彼があり、此がなければ彼がない。此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば彼が滅す」というものがあります。

これだけではとても難しい言葉となりますが、分かりやすく言うと、「コレがあるからこそアレもあって、コレが無ければアレもない」。もっと分かりやすく例えるならば、「生があるからこそ老いと死があり、生が無ければ老いも死もない」と表現でき、生まれる事が無ければ、老いや死が訪れる事は決してなく、生があるからこそ老いも死も訪れる状況がある事を表しております。

しかし人間というのは、自分が老いたり死んだりする事だけを嫌い、生と死が一緒だとは考えない部分があります。
極端な例えですが、もし、貴方が老いたり死んだりする事を望まないのであれば、この世に生まれてきた事さえも望まない事と同じと言えます。

そのように、神様と悪魔、福の神と貧乏神など、その全てが因縁(原因)となって自分や物事が存在しているにも関わらず、神様や福の神だけを取り込もうと考えた結果、「縁起」という言葉は、いつしか良い意味だけを表したものとして使われるようになりました。

節分の時にも、「鬼は外、福は内」と言いますが、鬼と福、両方の要素があってこそ物事は存在しているのであって、実際には鬼も福も内な状況がある訳です。

この事をもっと身近に、普段の生活に照らし合わせてみると、毎日を過ごす中では良い事だけではなく、苦手な人に会ったり、嫌な事をしなければならない状況などが数多くございます。
しかし、私たちは良い出来事が起こる状況だけを望み、嫌な事や悪い事は避けたがる傾向にありますが、改めて、その両方があってこそ毎日があり、日々の歩みとなっている。両方を受け入れてこそ、物事の流れを築いているとも言えます。

今回の「縁起」という言葉について。皆様が現代用語として認識されている意味とは、大きく異なる面がある事でしょう。
しかし、その本来の理に触れ、小さな視点ではなく大きな視点から物事を捉える事で、貴方様自身も大きな心を持って物事に臨んで頂く。その結果として、毎日を幸せに過ごされる事はもちろん、日々の歩みがスムーズに進む事に繋がれば私も嬉しく思います。


※追伸
今回のお便りに通じるものとして、「05年4月25日 福の神と貧乏神」にも目を通して頂けたなら幸いです。
http://www.enpitu.ne.jp/m/v?id=104147&pg=20050425
01月04日(日)
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