友達Mの娘さんAちゃんは 中学1年の元気な女の子です 彼女は生まれてすぐに胆道閉鎖症と診断され 一歳になる前に母の肝臓の一部を移植しました 母から子への生体間移植です この13年間いろいろな危機を乗り越え 今は部活でテニスも出来るようになりました ただ、免疫抑制剤は手放せず クスリの量も減りません これから思春期を迎える時期でもあり 母はクスリの副作用が心配です 移植手術は その道の最先端を行く 県外の大学病院で行いました そこには日本中から移植希望の子供達が 集まっていました 手術が成功して症状が落ち着いたら それぞれが近くの病院での 定期的な診察になります Aちゃんと同時期に 彼女を入れて3人が手術しました それぞれ別の主治医になります Aちゃん以外の2人は免疫抑制剤を なるべく減らす方向での治療をしていました クスリを控えていたために 肝臓の数値?は高いものの それなりに安定していた二人 Aちゃんの主治医は 肝臓の数値が少しでも上がると クスリを増やします それでいつも低い数値を保っていました 先日、母の元に一本の電話が入りました クスリを控えていた子のお母さんからでした 移植した肝臓が肝硬変になったと・・・ 肝臓が硬く硬くなっていたのに 気づかなかったそうです 他の一人も同じ状態に陥ったそうです 主治医は診察の際には 一切カラダに障ることはなかった 検査の数値ばかりに気を取られていたようです Aちゃんの主治医は 毎回必ず肝臓の状態を触診しています 移植というまだまだ未知の領域で なにが正しいのかは やって見なければわからない 手探りなのかもしれませんが 基本はやはり「手当て」ではないかな?
数値や画像にだけ頼るのではなく 患者をちゃんと診てほしいものです電話してきたお母さんが もう一つショックな話をしていたそうです 「家の子やAちゃんは良いほうよ 主治医の机に書かれた子供の名前が たくさん赤線で消えていた」意味わかりますか? 手術を担当した医師は 診察室の机に 移植手術をした何十人もの子供達の 名前を書いていて 亡くなった子の名前を 赤ペンで消しているのだそうです その医師にとっては事務的なことなのでしょうね
| 2004年02月17日(火) |
いったい誰がそんなことを言ったのだろう? |
掲示板にも書いたのですが
ヘルニアに対する不安をあおる医師 それを盲目的に信じている患者
多すぎる(−。−)
『The Back Lettre』より
:::::::MRIからは、将来の腰痛を予測できない::::::: ― 患者50例での最新研究より ―
この研究の椎間板ヘルニアの関するデータは、そのことを証明する良い例である。この研究の被験者で、1989年の撮影で無症候性の椎間板ヘルニアを有していた者の71%に、その後、腰部や下肢の症状が現れた。
これは、いくつかの点で非常に興味深い。しかしながら、これらのデータの基づいて、正確な予測を患者に告げるのは不可能であろう。
2例の患者は、完全に無症候性の状態を維持していた。1例は、持続期間が2日足らずの腰痛を有した。1例に1週間の腰痛、2例に2週間の腰痛、1例に6週間の腰痛があった。
これらの障害のいずれも、1989年の研究におけ椎間板ヘルニアを関係があったという保障はない。ではなぜ、このように不十分な相関関係を根拠にして、患者を心配させたりするのだろうか?
どのような種類のものでも暗い予測を患者に告げることは、しばしば何年間にも及ぶ不安を与えるという否定的な面を持っている。
慢性腰痛の治療に携わる者は、患者から「私は、L4−5の椎間板が駄目になっているんです。これ以外にも、もうじき駄目になりそうな椎間板レベルが2つあるんです」というような話を頻繁に耳にする。
いったい誰がそんなことを言ったのだろう?
::::::::::::::::::: これを読んで 「ヘルニアはやっぱり痛みと関係があるのだ」 と読み取る人もいるのでしょうね(←。←)
今朝親友から電話が・・・ 親友M 「娘が腰痛いと言ってるんだけど どこへ行けばいい? 近くのA整形?それともあっちのB整形?」ケイしゃん 「そりゃ、加茂整形しかないでしょ! 今日じいちゃん見舞いに行くから 連れてってあげるよ!」迎えに行くと玄関で靴を履くのも辛そうです 心配顔の彼氏も一緒に乗せて出発 医院に到着 親代わりのケイしゃんも診察室へ いつものように、問診のあと 圧痛点に注射をしようとしたら Aちゃん 「え、注射をするの?嫌だヤダやだ!」「すぐ楽になるから、我慢我慢!」センセ 「どうしてもイヤなら止めますが このまま痛いのが続くと辛いでしょう? 検査のための注射でもあるのですから ちょっとだけ協力してね」「はい」痛ーーいところを2ヶ所だけ注射して レーザーを当てる 「ちょっと動いてみて!」「あれっ、痛くない!」「じゃ、念のためレントゲンを撮りましょうか?」「はい」髪はブロンドのロングカール 1センチ以上あるツケマツゲにクッキリアイライン 背中が大きく開いたセーター ブランドの香水をつけているAちゃん とても高校生には見えないよね(^-^; 美容関係の専門学校に進学が決まり 今は自由な空気の中にいる高校3年生です 大人から見ると 眉をひそめるような姿かもしれませんが とっても優しく、繊細で、感覚の鋭い子です 私も主人もAちゃんのことは大好き! さてさて レントゲンが出来上がり診察室に呼ばれます 「なんだ、これ?」見ると腰椎の真ん中あたりに丸っこい物体が・・・ 「あ〜、へそピです」「おっまえ、注射が痛いと騒いでいた癖に へそにそんなおっきな穴あけたんか(←。←)」「へへっ(^-^)ゞ」センセ他一同レントゲンを見て 「へそって第4腰椎の、ど真ん中にあるんだねぇ」まだ少し痛いと言って 今度が自分から進んで注射を頼んでいたAちゃん その後は痛みとストレスのお話を聞いて 納得していました 「さ、これで明日から仕事にも行けるね」「だから〜、まだ高校生だってば!」身体も心もスッキリして岐路についた Aちゃん、彼氏、ケイしゃんなのであった(*^.^*)
仕事のことが気になって 一旦帰宅した父ですが やはりまだ体調が悪いので もうしばらくセンセの医院で ゆっくりすることになりました(^-^; 仕事といえば・・・ センセにお借りした 『THE BACK LETTER』に 仕事と腰痛のことが書いてありました 「このプログラムは MSDを有する労働者を 軽作業、休職および再訓練の プログラムによって治療し 雇用者にMSDを予防するための 様々な人間工学的対策を講じる様に 命令する事を試みるものである。」
― 問題の多いMSDの定義 ―
新規の提案が示している広義で際限のない定義を当てはめると、単なる腰痛およびその関連症状を、仕事に関連した筋・骨格系障害と誤って判断する可能性が出てくる。
腰痛は、毎年、米国の総人口の50%近くを悩ませている。ある統計によれば、定められたある時点で腰痛に苦しんでいる人々は、成人人口の20%を超えるという。
腰痛は、まだ労働人口に入っていない13〜19歳の若者にも極めてよく見られる。また、米国の退職後の高齢者の20%を越える人にも、日々影響を及ぼしている。(Edmond and Felson、2000)
椎間板変性、椎間板ヘルニア、脊柱菅狭窄および骨棘症のような構造上な異常はいずれも、腰痛症状のあるなしにかかわらず、一般集団においてよくみられる。(Boden et al、1990)
一般集団におけるうつ病および他の精神障害の有症率が高いことも、同じく不正確な診断がなされる可能性を引き上げる。様々な研究によれば、一般医の診療所の患者の20%が、かなりのうつ病症状を有している。
なぜこれが、仕事に関連した障害と関係あるのかというと、うつ病の患者は、医療機関を受診した際に、筋・骨格系愁訴を訴えることが多い。最近の国際会議では、うつ病患者の69%が身体症状を訴えていた(simon et al、1999)
今日、父が入院 心配事が続いて、精神的に参っている上に 風邪をひいてしまい 食べられない、眠れない が続いていました 近くの内科でクスリの処方 点滴を受けるも改善されず 食べた物はすべて吐く 横になっても ウトウトすると怖い夢を見るというの ゲッソリしてしまい 船長の医院で元気のでる?点滴治療 を受けることに・・・ 咳が少しでるくらいで 風邪の症状は治まっているのですが 心身ともに弱っているので 2、3日入院してゆっくりすることにしました 熱のせいなのか 風邪のクスリのせいなのかは分かりませんが 一昨日はとっても怖い夢をみたようで 昨日は「寝室へ行きたくない!」というの(^-^)ゞ 茶の間に布団を引いて 蝋燭と線香をたて 神棚の灯りをつけて 寝ていました (神様と仏様に守っていただいたらしい) 朝、部屋に入ると毎日香の臭いが立ち込めていました(^-^; 今夜は安定剤を飲んで休んでいるはずです 楽しい夢が見られると良いのですが・・・ 夢といえば、掲示板のお友達ゆめちゃんから ねこちゃんの画像が送られてきました  ゆめちゃんの愛猫、、、その名はユメ(^-^)ゞ これ↓がゆめちゃんの紹介文です
「今年の春で14歳のオス猫で、名前がユメなのです。クゥちゃんみたく美しくないのですが、年老いてなおかわいいです。2年前から皮膚病をわずらって、ずっとラッパをつけてます。体をなめまくって、かじりまくって、体半分ハゲたんです(T−T)ラッパが自分の体の一部のように生活しているユメを見ると勇気づけられます。」
これを見た子供達もダーリンも カワイイかわいいの連発でしたよ ユメちゃんは高貴な猫ちゃんだったのね(*^.^*)
| 2004年02月06日(金) |
腰 痛 体 験 記 (8) |
約束どおり、ただちゃんが 腰痛体験記【�供曚鮟颪い討�ださいました [痛〜い人] から [それなりの人] になるまでの 治療体験がとっても詳しく書かれています [それなりの人]って言葉、今思いついたのですが 私は気に入っています ケイしゃんも、ただ今 [それなりの人]でしゅ(*^.^*) それでは[それなりの人]ただちゃんの体験記【�供� をお届けしますね :::::::私の受けた治療のあれこれ:::::::
発症してから、地元の総合病院での治療は、レントゲンから始まって、おなじみのCT検査、服薬治療(痛み止め)、ブロック注射(硬膜外ブロック)でした。
でも、どれもあまり効き目が無く地元の接骨医院へ行く事に。 そこでも、おなじみの牽引、ホットパック、低周波治療器でした。効き目は無かった(−。−)
次は金沢の腰痛専門病院(地元で有名な)へ。そこでも地元の総合病院と、同じような治療方しかなく不安になる。
それと平行して、妻がインタ―ネットで探した某接骨院へ行くことに。場所は豊田市、「Mさんのヘルニア掲示板」でおなじみのN式ストレッチ法です。
そこのプログラムは、まず最初にサウナに入り水風呂に入る(今でも癖になってる)これを2セット。なんでも新陳代謝が活発になり血流が良くなるとか。それから、逆さづり牽引(これは気持ちよかった)トレ―ナ―によるストレッチ(痛かった)重りを使った前屈、ベンチプレスに座り前屈(トレ―ナ―が強制的に曲げるので痛い所が増えた)、最後に低周波治療器と、こんなメニューでした。 (この治療はバド美ちゃんも受けたと告白していますね・・・ケイしゃんの声)
この治療の理論は、前屈することによって、椎間板の間が開きヘルニアが、ヘルニアが入っていき、神経の圧迫が取れるとのこと。泊まる所が無いのでウイ―クリ―マンションを借りて通ってました。 食事や、洗濯など妻が面倒をみてくれてなんか、二人の時間が持てて嬉しかった! (ラブラブの二人)
でも、症状があまり変わらず内心焦っていた。なぜかと言うと、そこに半年くらい通っている患者さんがいて、見ているとかなり前屈が出来ていて、頭が膝の間に入るくらいの柔らかさなのに、まだ痛みがあると聞き、自分は経済的、物理的にそんなに長い時間滞在できない事も心の片隅にあって、焦りが段々と募る事となる。
で、家に用事があるので、借りてた部屋を引き払い、一旦家の方へ・・・ すると、今までの不安が一気に出たのか痛みが増強してしまい、気力がなくなって家で半分寝たきりのようになる。でもじっとしていると痛みが増すので苦しい日々が続いた。
そんなおり母方の親戚の叔父さんが大阪に良いカイロが有るから、行かないかと言うので、渋々出かけ治療を受ける事に・・・ しかし二週間滞在するも変化なし。また肩を落としての帰宅となる。
それから程なく、母が新聞の切抜きを持ってきて、この病院の治療法が良いのでは?と言うので行く事に・・・ (ヘルニア治療の名医として、地元の新聞に顔写真入りで掲載)
診察は今までの病院ではこんなに丁寧な診察はなかった、と思えるくらいの診察だった。診察台に横になり足の筋力テストや指も一本一本テストされました、診察後オペ以外に治る術が無い事を告げられた。先生の見立ては、ヘルニアの他に、狭窄症もある。しかしヘルニアは、大したことは無く狭窄症の方が重症だとのこと。オペの時間は、六時間掛かる。でも、八月の終わりしか空いてないと言われ、帰宅の徒に就く。
帰宅後家族と協議の結果、一大決心をする事にして2回目の診察へ、そのときは、MRI検査もあり先生が最初思っていたより重症と言う事がわかり、オペの時間が7時間になった。勿論私は、そんな長いオペは、経験がないのでかなり不安な気持ちになった。
オペの日を予約をして帰り道、車の運転が出来ない状態なので、公共の交通手段を使うしかなくバスで金沢駅へ向う途中、気分転換の為に途中下車そこの町で運命の出会いが待っていた(パ−ト�技仮函法�
メソッド参加のため、大阪までの道のりは座る事の出来ない体にはかなり苦しかったが、過去に豊田市へ行ったり、大阪へ行ったりしていたので、今回も行けると自分に言い聞かせながら、電車に揺られていた。
期待と不安が入り混じっていたが、期待の方が、上回っていたため移動も何とか乗り切れた。 大阪のメゾットは、1番乗りで、会場に入り、長谷川先生と工藤さん準備の真っ最中だった「石川から来た○○です」と挨拶すると工藤さんが「ありがとうございます」と返事をして下さり今までどんな病院でも無かった言葉に安心感を覚えた。
1日目は、セミナ―なるものに出たことの無い自分にとってかなり緊張していた。しかし1日目が終わり、ホテルの部屋で渡された資料を読んだり、内容を思い出したりしていると、来たのは間違いが無い事が分かり、2日目の午後は、半分以上座る事が出来た。
この時点で呪いが少しづつ取れていったんだろうと思っています。メゾットの時に、ケイしゃんがチラッと加茂先生の事を話していたので、帰宅後検索していると、サイトがあり場所は小松と、言う事もあり受診する事にした。
受け付けを済ませ、待合室の掲示板を見ていると聞き覚えの有る声が、振り向くとケイしゃんだった。この時ケイしゃんと出会ったことで、加茂先生にご厄介になる決心がついた! 先生は「午後からでも入院するか?」と聞いてきた。「入院したいのはしたいけど準備があるので出直しします」と答えその時は、帰宅した。
それから、約1週間後長い入院生活の始まりです。休みはオペの為に九月一杯まで取ってあるので、気長に行こうと決めていました。その気持ちが後になって良い結果となる事をその時は分かりませんでした。
TMSの事を、赤本や、メゾットで理解していた事もあって先生の治療法はすんなり受け入れる事が出来た。しかし朝の回診とレ―ザ―治療、夕方の治療以外後は、やる事が無く、午後から水泳をしていた。最初の1〜2週間はあまり変化は無く、3週間目に入った頃、まだ痛みがあるが、ロビ―のソファ―に座る事が出来るようになり、ときどき顔を見せるケイしゃんや週末に来る妻の励ましもあり、段々と自信がつき一般的に言われている坐骨神経痛は、1ヶ月が経過するとほとんど感じられなくなりました。
腰痛の方は、坐骨神経痛に隠れていたのか?その時を境に出現したがもはや不安は無かった。この時位から午後の診察がなくなり、午後は晴れていたらとにかく散歩に出掛けていた。よく町を見ると温泉の文字が・・・温泉が好きな私は、散歩のご褒美にと温泉三昧に浸っていました。
とにかくストレスを抜く作業を自分ではしたつもりです。その甲斐あって少しづつ痛みが和らぎ、週末に来ていた妻が車で来ると運転をしてみたり、二人でボウリングに行ったり、たまには飲みに出かけたりして、体を動かす事や、座りつづける事は、怖くないと自分に自信を付けていきました。
そんな時妻が用事があるので一緒に大阪へ行かないかと言うので付いて行く事に・・・ 電車の座席に5分と座る事が出来なかったのが、終点の大阪駅まで座れた。大阪の町を歩き回る事が出来た。レンタサイクルで走り回る事が出来た。 (またまたラブラブの二人)
などなど自分の自信を取り戻す出来事が沢山あって、退院を決意。三か月の入院生活にピリオドが打たれた。
で、今は多少の痛みがあるが仕事をしている状態です。
長い文章を書くのは、慣れていないいないので、分かりにくい所もあるかと思いますが読んでくださってありがとうございました。
| 2004年02月04日(水) |
腰 痛 体 験 記 (7) |
私の治癒への道のキッカケを 作ってくれたまるちゃん 「メグ」と「めぐ」広場に掲載されている腰痛体験記を ここに載せてもいいと言ってくれたの(*^.^*) 彼女の壮絶な痛みとの戦いをごらんあれ! :::::::::::「今、この一瞬」を大切にしたい:::::::::::
(1)<知る前/痛かった頃>
24年前の20歳のころから背中が突っ張るようになって来ていましたが週に1回アスレチックジムに行って沢山のマシーンを使って汗を沢山かいたら回復していました。 その時は運動で身体を暖めて回転板の上で思い切りひねることが良いのかな?と思っていました。5年間ほど続きました。
結婚したあとは仕事で二つの都市を2週間ごとにいったり来たりしたので毎回段ボール箱にぎっしり入れた12キロほどの資料や道具を4箱、自分で宅配便の営業所に運んでいました。
日頃から片づけが苦手だったので、配偶者のために移動する度に毎回「年末大掃除」のような大規模な掃除を短時間でしなくてはなりませんでした。
最初は移動した後、過労で2日寝込むという程度だったのが、少しずつ日にちが延びるようになってきて10日間寝込まなければならなくなって・・ ついには移動しても何も出来なくなったので、しがみついてきた仕事場は引き上げました。しかしその後も5年間はほぼ寝たきりになってしまいました。
最初は慢性疲労症候群のような感じでただ、全身の強い倦怠感でした。 代替医療のさまざまな治療院にかかることと、色々な身体の変化を体験することは同時に起こりました。 強い、部分的痛みとなって感じられる様になって行きました。腰痛は一日中続くようになりました。 行く度に痛みの場所が移動していました。異常な冷えも加わりました。 治療師さんに痛みが移動することについて尋ねると、「身体は引っ張り合っているからそうやって移動しながら順番に治って行くものです」という説明をされました。
しかし、私の場合治って行く気配はありませんでした。 辛さは増す方向にあり、治療を受けた後2〜3日だけの間は何とか楽になるという有様でした。
20歳の時の交通事故で頭蓋底骨折の重症を負い、(オペはしないままでした)2回目の交通事故の時(このときも頭は打ちましたが2週間の激痛、というだけで骨は折れませんでした)
撮影されたレントゲン写真で、自分の頭蓋骨の昔の一回目の事故の痕跡である大きな黒い穴があいた画像を見ていた私は「今の腰痛の原因は10年以上前の頭の骨の骨折から来る」という医療関係者からの説明を受け入れるしかありませんでした。 仙骨骨盤調整院ではそのことから背骨が曲がって来てしまっていることを指摘されました。
主に左半身全体にしびれやだるいような鈍痛、足の付け根や大腿部の強い痛み、骨盤の奥の締めつける様な痛み。背中痛。 痛みと感じられる程の強い肩こり、見た目は背中が張ってカチカチに盛り上がっていて、大腿部も堅く盛り上がっていました。
酷い化学物質過敏症で顔が腫れ上がることもあり、花粉症は通年性で酷い時は全身の寒気で床を匍匐前進で移動するしか出来ない程でした。
外出先は・・・途中で喫茶店で30分の休憩をし、なんとかたどり着くという形で行く「接骨院」、 長いすに横になりながら順番を待つ「整形外科」の2カ所だけでした。 仕事も失って友人とはまったく接触せず、歩く速度は90歳の老人の様でした。
3日に一度、車で2分くらいの場所のスーパーに買い物に行く夕方4時頃と、簡単な食事を作るときだけは立っていられました。 掃除の行き届かない部屋で一日中布団の上に横になって、気持ちは虚ろでべたべたの涙がだらだら流れる状態を、ただ受け入れている。という日もありました。
ここまで酷くなると思考停止のような状態だったようにも思いますが寝込み始めた発端から続いていた仕事が出来ないでいる自分への「自己否定」の感情とは向き合わない様にしていた、と回想できます。
TMS理論を知って(2)<痛くなくなっただけでなく>
治そうとしてしたこと、かかったお医者さんや施設、対策は沢山でした。 整形外科、神経内科、神経精神科、鍼灸師、仙腸関節調整師、接骨院、カイロプラクター、プロ・スポーツ(野球選手、相撲取り)関係専門の接骨院、カラー治療、オステオパス、中医学、あんま、マッサージ、外気功、内気功、波動水、琵琶の葉こんにゃく療法、紫イペ茶、ひまし油シップ、丹田にお灸、ソーマダイン、極超短波療法、ツムラの漢方薬、ヘルストロン、バラコンバンド、ハーバライフ、サンライダーなどのアメリカのハーブ錠剤、等などの御世話になりました。
どの方法も大体最初は効果がありましたが効いていたのは6ヶ月、効かなくなってくるのが7ヶ月目、しがみついて大体8ヶ月めには次の療法を見つけていました。
そのうち骨盤調整院と終日バラコンバンドをまいているのは2年続けました。中国医学と鍼とオステオパシーを組み合わせた接骨医さんには1年半かかりました。 治療のやり方が違っていたため最後には接骨医の先生は3人に同時にかかることになっていました。 かけた金額は500万円を超えていました。
2000年の最後の月始め、手技関連のMLでTMS理論を紹介されている長谷川先生の投稿を読んでサイトに行ってみてコンテンツをプリントアウトしながら読んでいたらすこし良くなっていました。 そのあと私はTMS理論紹介の掲示板でずっと会話していました。
でも、ただメグという名前で参加して遊んでいるだけでした。自己愛が強い私が開放的に発散しているのを受け入れてもらえる体験は孤独でねじ曲がって開かなくなっていた心の扉に隙間が出来、光が差すようでした。 メール相談を20通させて頂きました。私の場合はストレスリストは4日間だけでした。でも書いていると涙がでたり顔が赤くなったり、気持ちと身体は同じなのを味わっていました。 TMS理論紹介の本『腰痛は<怒り>である』は3回半読みました。心を扱っているはずなのに、情緒からは離れ科学的で明晰でまさしく「理論」という印象の本でした。
プログラムに出会って7週間で完全に治りました。私の場合相談のメールの中で、言い訳を続けている自分にはっと我に返り、突然そんな自分が「愛しい」と思えた事がきっかけになりました。 治ってから2回、3日〜4日左の大腿部がほんの少し痛い日を経験していますが2年経った今も、そのまま、全くの健康体です。もう大丈夫という自信の中に居ます。
痛いところもしびれているところも冷たいところもなく、化学物質過敏症は収まりました。花粉症は、2年後の今年から反応しなくなりました。
最近のTV・雑誌でも医学情報の論調が変わって来ているようですが、私は掲示板におじゃましていたおかげで他の人が治っていく様子も眺めることが出来、心と身体はひとつのもの、というところに最初に注目したニューヨーク大学のサーノ博士の理論が広まっていきつつある場面に立ち会えました。
ひとりひとり、違うルートで登ることになりますが「痛みを手放す」という山頂を目指しているのはひとりでは無く「痛い」人は全て、同行している仲間にも思えます。
複雑に思っていた人間という生物が、実はとてもシンプルだった、という事を知って喜びを感じます。
心と身体のつながりの不思議を実感するとともに「今、この一瞬」を大切にしたいと思うようになりました。
ときに身体にする治療はとても素晴らしい癒しになります。でもそのことだけにすがるのを止めてみても良い頃かもしれません。
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