ミドルエイジのビジネスマン
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2008年08月03日(日) 不思議な水詳細描写

その水にはウーロン茶のような薄茶の色がついているので、最愛の妻が毎日磨いているという真っ白い浴槽に入れたら、シミが付くのではないかと一瞬躊躇した。だが、試すには投入して混ぜないことには始まらないし、清浄化する機能があるというのだから、染み付いて落ちないことはあるまいと、思い切って投入。結果としては浴槽が茶色になることはなかった。

お風呂に一リットル。混ぜた瞬間に温泉のお湯のように刺激のない軟らかいお湯になる。すぐさま二の腕や手の甲がしっとりとしてくるのに驚かされる。

実は、普段はなんともなくて、夏になると少し赤く腫れて痒くなる水虫が左足の親指にある。正確に言うと、もう発症していないので、かつてあった。その部分がジンジン沁みるような気もしたが、期待が大きすぎただけで、単に気のせいかもしれない。その風呂に入って2〜3日後に、一度だけ、痒くなって去年の水虫の薬を塗ったが、その後二ヶ月間、薬が必要になる局面はない。まだ、夏は終わっていないので安心できないかもしれない。ただ、このまま薬が不要になれば嬉しい限りだ。今では、「自信が確信に代わり」つつある。

水虫の症状としては、毎年梅雨時になると、かゆくなり、よく見ると多少赤っぽくなる。市販の薬を塗ればかゆみは治まってしまうので、すぐ忘れてしまう。そうすると、何日かたつうちに、また痒くなることの繰り返しだった。秋になれば忘れてしまうが、完治したわけではなく、毎年同じように梅雨時から夏にかけては思い出させられる。大方、前年の薬が残っているので、それを塗ったり、気分一新今年こそは完全に治そうと新しい薬を買ったりしていたものだ。

「エナジー水」を加えた風呂に入れば、治ってしまう可能性が高いと期待はしていたが、まだ季節前で発症していなかったので、入ったからといって、即日痒みが引いたというような評価はできない。その後、一回だけ薬を塗ったのも事実だ。初の入浴日に水虫の患部(あるいは元患部というべきか)のところだけ、ジンジンと痛いような気もしたが、効いてほしいという期待がそう思わせただけかもしれない。

さて、お湯の質が柔らかくなって気持ちいいので、その日は普段より一回多く浴槽につかった。風呂からあがった後は、温まった体がいつまでも冷めない。特に印象的なのは手の甲が熱いままで、スベスベ。翌朝になっても手首から先が熱かった。


二ヵ月後経った今は、初日の印象と異なり、手の甲よりも手の平の方が逆に熱い。仕事をしていても時々熱いのに気がついて、手を組むような形で、反対の手の甲の上に乗せて冷やしたりしている。多分体温が上昇しているのだと思う。手の甲をなでると、しっとりしているのに改めて気づき、時々なでては自己満足に浸っている。

最近は、原水をスプレー容器に入れて洗面所におき、朝晩気がついたときに手の甲、水虫のあった(一応過去形にしておく)足の親指、顔や首にスプレーしてはこすり、肌が若返るように願いをかけている。スプレー容器というと本格的に聞こえるが、実際には年頃になった息子が買ってきたミストの整髪料の容器を洗って使いまわしているだけだ。それに原水を入れておき、朝晩、歯を磨くときの仕上げとして、顔、首、手、足に吹きかけ、水を延ばすように軽くマッサージしている。手がシットリしてきたのは事実なので、同じ効果が顔や首にもあるはずだと期待してのことだ。

それから原水を水割り程度(4〜5倍)に薄めて寝る前に時々、飲んでいる。一番最初に飲んだときは、胸がゾワゾワまたはザワザワとして泡立つような、ちょっと不安になるような感覚を覚えた。飲んだのだから胃が反応してもいいのだが、実際はもっと上、肺の辺りだった。自分自身に関する限り、飲んでも健康に支障はないようだ。ただし、水を分けてくれる柳田さんは、飲用に販売していると誤解されることを避けたいと思っているので、決して飲まないように呼びかけている。一度に沢山摂取すると健康に良くない成分も入っているらしい。

おまけとして、期待していなかった嬉しい現象がひとつ。足の踵がひび割れていたのだが、多分3回目くらい風呂に入ったときに、足を洗っているとやたら垢が出るような気がした。指で白い垢をボロボロこすって落とすと、その日を境に踵はすっかり綺麗になってしまった。


2008年07月27日(日) ゴルフコンペの打上げだけ参加(2)

新幹線の止まる駅の内部は改装されて、綺麗になっていた。いつもなら、そこで在来線に乗り換えればほとんど時間のロスもなく目的地まで行けるのだが、時間が中途半端なせいか、在来線も切り捨てられようとしていて新幹線との接続などどうでもよくなったのか、電車の接続は全く折り合わず、タクシーで会場に向かった。

打ち上げ会場というのは、同級生が五十歳を超えて新たに開いたというイタリアンレストランだった。イタリアンと言っても、千円に満たないスパゲッティなどがメインのようだ。

若いときから、喫茶店やらクラブやらその道一筋で生きてきた男だ。市場環境に合わせて今度の店を開いたのであれば、そのマーケットのセンチメントはかなり低価格路線にシフトしているに違いない。

ゴルフを終えた男たちは、日に焼けた笑顔とともにサッパリとした姿で次々と現れた。天候に恵まれた今日のゴルフを語り、互いのナイスショット場面を再現しては、あれはとんでもないまぐれだったと爆笑する。これが自分の求めていた裏表のない同級生との付き合いだ。

この場で語られることはないであろうメンバーそれぞれの心の有りようも聞いてみたいと思うのは「旅をしている」身分の者には贅沢なことだろうか。それは、年老いた親を養い、故郷の神社の祭礼を担い、中核都市の発展に貢献していると自負する者だけに共感を許される「思い」なのであろうか。

夜の新幹線のスピードは速く、めぐらした思考もまとまらないうちに、再び東京に到着した。休みの日にオフィスに寄って朝2時間ほど仕事をしても、昔の仲間と飲んで話して、その日のうちに帰れると器用に振る舞ったつもりでも、中途半端な行いから得たものは中途半端な満足感であったような気がする。


2008年07月21日(月) ゴルフコンペの打上げだけ参加(1)

けだるい夏の日の午後3時にターミナルを出発した新幹線は静かに神田、秋葉原を抜けて東京駅から離れていく。自暴自棄の無差別殺人事件が起きた街もあっという間に通り過ぎ、これでもかというくらいぎっしりと雑居ビルを詰め込んだオモチャ箱の都会を高架から眺めても、行き詰まった若者の心のうちなど見える訳もない。

田端、王子、戸田とマンションやら小さな家々やらがこれまた延々と続き、こんなところでチマチマと働くために何十年も生きてきたのだろうかとこれまでの生き方を振り返させる。

隣に座っている母娘は栄養士学校のパンフレットを眺めている。来春あたり、あこがれの東京暮らしをしたい娘と専門学校を見に来たのだろうか。故郷に向かう新幹線から景色を眺めると、自分だけではなく同級生や知り合いがどんな気持ちでこのとてつもなく高速の文明の利器に乗っていたのだろうかと思う。車内販売のコーヒーを飲んで窓の外を眺めながら故郷に向かう。今日は同級生コンペの打ち上げにだけ参加するのだ。


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