ミドルエイジのビジネスマン
DiaryINDEXpastwill


2006年06月11日(日) ミコちゃんとの再会(最終回)

親戚中が集まったその場の格好の話題は専ら、三十になった息子に誰かいい娘はいないか、ということであったが、ミコちゃん自身は、特に大げさな話し振りをするでもなく昔のようにただ微笑んでいた。そうして、お膳の向こうから何度かビールを注いでくれた。

子供には重すぎて開けることも難しかった、幅の広い大きな引き戸は座敷の入口に今もそのままあり、かつてその向こうにあった土間は、もうなくなっていた。その土間に渡された、長い簾の子(すのこ)の上を走ると床のコンクリートに当たってカタンカタンと音がしたものだった。そのまた奥にあったお風呂は薄暗くて怖かった。

あるものは時を超えてそのまま残り、あるものはいつの間にか姿を消す。叔母は静かにこの世から姿を消し、ミコちゃんは昔の面影を残しながら、もの静かな息子と自らに生き写しの娘とともにそこにいる。

叔母の家に来るために乗った2両連結のディーゼル・カーはもう走っていない。周りに何もない田んぼの中の道を、蒸し暑い日中に母に手を引かれて駅から延々と歩いたことは幼児期のかすかな記憶として残っているだけだ。もう暗くなった帰りの乗換え駅で、待合わせの合い間に母がペコちゃんポコちゃんの絵のついたキャラメルを買ってくれたことも。

帰り際、そのうち手紙を出すからとミコちゃんの息子に無理やり住所を書かせた。どうしたの、と覗き込むように優しく微笑んでくれたミコちゃんの笑顔が、どうしていつも淋しそうに見えたのか、いつか聞いてみたいとずっと思っていたのだが、手紙はまだ、一行も書いていない。


2006年06月04日(日) ミコちゃんとの再会(3)

父の妹に当たる叔母はこの家に後妻として嫁いで来た。小柄で華奢な体つきの叔母にとっては労働力として期待される農家の嫁の役割は過酷であったに違いない。

読経が始まった。それは尼僧の木魚に合わせたご詠歌の詠唱であった。人々はそれぞれに経本を手にしていたが、ありがたいお経もひらがなで書かれてしまっては意味も解るまい。なんとなく意味が分ったのは西国の三十三ヵ寺を描写したご詠歌であった。

どこそこのお寺は庭の花がそれはそれは美しいとか、なにやらという寺は松林を吹き抜ける風が読経のようだとか、また、ある寺のそばを流れる川のせせらぎもお経のように聞こえるという単調なメロディの詠唱は村の女性たちによって延々と繰り返された。なにせ、三十三番まであるのだ。

女性たちのハーモニーは妙になまめかしくもあり、もしこれが薄暗い宗堂の中で行われれば次第に心は高揚し、ついには宗教上の恍惚に至ることも不可能ではないだろうと思った。長いご詠歌もようやく終わり、膳が運ばれてきた。隣に座ったのは、今もミコちゃんと暮らし、地元の堅い会社に車で通っているという三十歳くらいの息子と最近結婚したばかりだという、その妹だった。

ニコニコ笑っている娘の容姿はミコちゃんと、うりふたつと言ってもいいくらいだ。海辺の町で割烹を開いていた旦那さんは5年ほど前に亡くなったという。親父の夢であり形見でもあった割烹は何年も空き家にした後、今はお蕎麦屋さんに貸していると、息子はもの静かに語った。


2006年05月28日(日) ミコちゃんとの再会(2)

座敷の灯かりは広く開け放たれた玄関の外まで明るく照らしていた。入り口では座卓を前にしたおじさんが、一生懸命香典の計算をしている。そうこうするうちに、喪主の従兄弟がやってきて、先ほど納棺したばかりだと説明してくれた。挨拶をしていると、あらーっと明るい声がした。見覚えのある、なつかしい従姉妹のミコちゃんの顔がそこにあった。再会するのは何十年ぶりだろう。

小さいときに遊んでくれたお姉さんの顔そのままに笑顔で迎えてくれたのだが、お通夜のことでもあり、こちらはどんな顔をしたものか、ちょっと戸惑った。男兄弟ばかりだったので、優しく覗き込むようにして話しかけてくれた彼女の顔を甘い思い出として持っている。その当時、なぜか分らないがミコちゃんには無条件に受け入れてもらっているという安心感があった。ただ、その笑顔は何故かいつも淋しそうにも見えたものだった。

大学生か社会人になって間もない頃、母から、海辺の町で夫婦で割烹を営んでいるミコちゃんを訪ねて、ご馳走になってきたという話を聞いて羨ましかった。演歌の世界のようだとも思った。いつか、その割烹を訪ねてカウンターに座って昔話をしている自分の姿を夢想したりしたものだ。そうして、彼女はどんな大人になったのだろうかと想いをめぐらせていた。だが、わざわざ海辺の町まで行く理由も見つからないし、こちらはこちらで頭の上のハエを追うのに忙しくて、その機会もないまま歳月が過ぎてしまったのだった。

従兄弟に勧められてそっと棺の窓を開けると、安らかな顔の叔母がいた。もう九十歳近くになっていたので、点滴を受けながら、最後は心臓が動いたり止まったりしながら眠ったまま息を引き取ったという。


MailHomePage