ミドルエイジのビジネスマン
DiaryINDEXpastwill


2005年08月14日(日) 酒池肉林の大出張・・・のはずが(写真)

前の職場の最後の出張(厳密に言うと最後から2番目)は歴史に残る酒池肉林の大出張となるはずであったが、諸般の事情により、ようやく自由時間として確保できたのは7月30日の朝から昼過ぎまでだった。写真の兼六園に行くことは決まっていたが、実は今から20年ほど前に一人でレンタカーに乗って訪ねたことがある。そのときも夏だったので、風情の点では今ひとつだった記憶がある。積もった雪に足跡の残るような日にひっそりと訪れると深い想いに心が満たされることだろう。

兼六園の奥にかつては兵器廠(へいきしょう)だった建物が歴史博物館となっている。足を運ぶと、なかなか立派なものが陳列されていた。陳列物の中に戦国武将の書状があり、朝倉義景が野村何某という武将に宛てた、戦で首を一つ取ったことへの感状があって歴史をリアルに感じさせられた。戦国時代は遠隔地の大名と連携をとるために自筆の手紙が説得の重要な手段だったという。明智光秀の書状もその隣に並んで陳列されていたが、ナヨナヨとした書体で一体何と書いてあるのか読めなかった。紫式部の書簡と言われた方がよほど納得したくらいで、命のやり取りをしていた戦国武将が光秀からナヨナヨの書状を受け取っても、とてもこの男のために命を張る気にはなれなかったに違いない。

そろそろお昼になるころ、ホテルで貰ったパンフレットでお寿司屋さんを探そうと思ったが、豪華に、豪華にという大部長とそれとなく牽制する同僚とのせめぎ合いもあって、なかなか相談が決まらない。彼の地には回転寿司のベルトコンベアを作る会社があって2社で全国シェアの95%を占めるなどという話も聞いたものだから、回転寿司に決まりかけたものの、たまたま乗った個人タクシーの運転手さんが美味しいお寿司屋さんに連れて行ってくれると言う。

なかなか立派な店構えで、意を決して平気な顔をして入ったものの、お客が一組もいないのに、カウンターの中には板前さんが5人も並んでいるので臆してしまった。タクシーの運転手さんに教わったとおり、「ご、五〜六千円で、お、美味しいものを食べさせてください。」と台詞を間違わないように言うのがやっとであった。

いきなり立て続けに3種類も白身魚が続き、「ひととおり握って」もらった中にはマグロや中トロは入っていなかった。そこは白身魚の文化なのでマグロは他所(よそ)で喰えということらしい。地元の白い小判のような貝も握ってもらった。また、アナゴというのは鰻のパサパサしたものとずっと思っていて、そんなに好物ではなかったが、塩とタレとセットにして出してもらったのが、両方ともふんわり、シットリしていて印象的だった。お勘定もこちらが宣言したとおりで安心した。帰りに貰ってきたお店のパンフレットには「千取寿し」と書いてあった。


2005年08月07日(日) クールビズでの初出勤

2005年8月1日は大部長の記念すべき異動発令の日だった。同じ仕事を4年半やってきたので環境を変えるにはなかなか良いタイミングではある。色々感傷的に書こうかとも思ったが、異動が決まったのは大分以前のことで既に高揚感もピークを過ぎたし、後に残る同僚達にも大体言いたいことは伝えてきたはずだ。言い残したのは次の言葉。「T君、土曜日に漫画喫茶に行って「部長 島耕作」全13巻のうち5巻まで読んできたからね。」

先週、今度行く職場に挨拶に参上したところ、「クールビズ」推奨だというので、喜んで派手目のワイシャツを買ってきた。しかし、この「クールビズ」なるもの、結局のところ、大概のオジサンたちにとってはスーツ姿からネクタイを外しただけのことなので、なんだか間の抜けた姿になっている。暑いからネクタイをしないというのであれば、上着も着ない方が理にかなっているし、かっこいいと思う。どうしても上着を着るのであれば、カジュアルなジャケットにしなければサマにならないと思うが、いかがなものだろうか。

それから、どうしても気になるのはワイシャツの襟元から覗(のぞ)く下着の襟。見えるのを見越して新しい丸首のTシャツを買う人、Vネックのシャツにして見えないようにする人、外人張りに下着を着ない人の3タイプの人々がいると思う。大部長はユニクロで売っていたメッシュの紺のTシャツがいいのではないかと、8月8日の出勤初日に備えている。


2005年07月31日(日) いや、まあいいやゴルフ(その2)

ただ単にゴルフをして、宴会に参加し、夜中の12時までカラオケをやっただけでも、確かに気づくこともある。それでどうこう、ということもないのだが、「サザンオールスターズ」とともに学生時代があっただろうと容易に想像させる奴や、きっと心の真っ直ぐな人だろうと小学校のときから思っていたら、やはり、人の選んだ「オフコース」の曲を一緒に口ずさんでいた女の人、そして演歌だけしか歌わない男。

同窓生のゴルフに参加させてもらいたいと思った動機として、それぞれがどのように人生を選択し、どのように暮らしてきたのか、そして今、どのようなテーマ関心を寄せているかを語り合いたいということもあったのだが、そのことは段々、どうでも良くなってきたような気がする。まあ、ゴルフの打ち上げで「貴様の人生を語れ」と言われても困るだろうな、普通。いずれ、何かの折に小さな飲み会もあるだろうから、そういうときの楽しみに取っておこう。

中越地震で一躍有名になった「山古志村」には一戸当たり3千万円もの義捐金が集まったという。テレビ報道で有名になったので、山古志村の復興のために使って欲しいと特定して送ってくるものが多いのだそうだ。教えてくれた人は、多分「自分たちの町も被害を受けたのに」という言葉を「大人のたしなみ」として呑み込んだのだと思う。マスコミ報道の一極集中が生み出した偏りだろう。ちなみに、当時強いリーダーシップを発揮して全村避難の命令を出し、男を上げた村長さんは、4月に長岡市と合併してからは市の復興担当部署の偉い人になっているそうだ。

その昔、人口が膨張したために、豊かな生活を求めて山の奥まで水田を開発し住みついたのであれば、人口の歯車が逆回転し始めた段階での「復興」も何十年か先の地域の姿を見据えて、どのような形がいいのか良く考えて実行して欲しい。


MailHomePage