ミドルエイジのビジネスマン
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ネット上で日記をつけていることでいい事があるとすれば、見知らぬ方への自己紹介がとても簡単なことだろう。
先日、やはり日記を公開している方に困ったことが起きたというので連絡を取った。自分の言っていることを信用してもらうにはどうしたらいいかと思い、日記を見てもらうようにお願いしたところ、お礼のメールを頂いた。肝心の「困ったこと」は自力で解決されるということだったので、半分、親切の押し売りのようになったが、気持ちを受けていただき、過分な感謝の言葉をいただいた。
詳しいことは存じ上げないが、その方は「スナック」の経営をしておられたが、事情があって今は別のスナックの従業員として活躍しておられる。ちょっと前までは全然違う畑で販売の仕事をしておられ、その苦労している様子などを日記で拝見していて、こんなに苦労が多い割りに実入りが少なくて大丈夫だろうかと思っていた矢先、今のお仕事に戻られてホッとしたところだ。
ご本人も日記に書いていらっしゃるように、この世界はかって知ったる自分の庭、早くも社長や併設の施設の責任者から信頼を集めている。うまくすれば、今のお店の責任者くらいにはなれるかもしれない。ただ、この業界、自分の店を持ってなんぼのものではなかろうか。
残念なことに、今のところ、この方に自分のお店を持つ資力はないらしい。これまでの経緯を拝見すると、これからまとまった資金を貯めていくには相当な時間がかかりそうだ。一方、この方の大きな財産はその交友関係だろう。困ったときには必ず誰かが手を差し伸べてくれるという。また、「あなたはこのまま終わる人じゃないよ」と言ってくれる先輩もいる。そういう人から資金を借りてまた始めればいいのにと思うのだが、人様に安易に頼るのは好まれないらしい。それに、すぐ周囲に頼るようでは人も羨むこれほどの友人たちが廻りに残らなかっただろう。
そうだとすれば、自分の城を持つにはどうしたらいいのか。頭を下げて借金を申し込むのではなく、成果の上がる計画を示して「スナック運営事業」に投資してもらうのはどうだろうか。想像するに、「お金を貸した人と借りた人」という優越と従属の人間関係が残らなければ、ご本人の周りにいて支援したいと思っている人は沢山いるに違いない。その人達の資金を集めるだけでも2〜3百万円になるのではなかろうか。必ずしもご本人が直接、投資を募らなくてもいい。近くにいる友人が「スナック事業ファンド」を立ち上げ、ご本人の友人やかつてのお客様で関係の残っている方から出資を募れば相当な金額が集まるものと期待できる。
単純に計算して、10万円を出資する人が100人集まれば1千万円になる。もしかしたら開業資金としては1千万円も必要ないかもしれない。ご本人をよく知っている方で本当に応援したいと思っている人が3人いて、それぞれポンと百万円を出資すれば3百万円がコアの資金として計算できる。出資した人は年に一度お店に無料で招待される程度の特典があればいいかな。あるいはそこまで行くと、会員制クラブみたいなものか。
資金を集めるときに出資法やその他の業法に違反したり、本人の所得としていきなり課税されたりしないよう専門家のアドバイスも必要かな。ファンドでなく、会社を設立してもいいが、代表者を誰にするかで揉めるだろうか。 いずれにしても、お金を貸してくださいと頭を下げるのではなく、出資者と事業運営者の対等な関係が築ければいいし、この事業の場合、自分の投資した事業に対してその成績を上げるためと称して出資者がお客様として足繁く通ってくるのは想像に難くない。
遠くの街に、自分の出資したスナックがあって地元の人たちで賑わっている。そこにいつでも温かく迎えてもらえるなら、10万円くらい出してもいいかなあと思う。
| 2004年10月31日(日) |
大部長、台風の浜松にて大アサリを食らう |
久しぶりの出張は台風23号のため新幹線も止まって帰れなくなり、浜松で足止めを食らった。お返しに駅前の居酒屋で名物大アサリを食らった。はじめて見たのでびっくりしたが、直径10センチもあろうかという大きなアサリは居酒屋の雰囲気とも合って大変美味しかった。
この大アサリ、正式にはウチムラサキといい、愛知県の渥美半島の先端、伊良湖岬では名物となっていることをインターネットで調べた。ついでに、東京の茅場町には「和光」という屋台から出発した貝焼きのお店があることも判明、なんでも、お店の中に屋台が置いてあるのだそうだ。楽しみが増えたなあ。
急いで東京から予約してもらった高級そうなホテルは、高層建築のため部屋に入ると台風の大風にわずかに揺れていたが、大きな被害をもたらした台風23号も翌朝には関東地方から太平洋に抜けて行ったらしい。
わざわざ台風の日に出発して形だけ仕事熱心な振りをしてもしょうがないとか、いや、お客様中心だから帰れなくなっても本望だとか出発前は少しだけ揉めたが、翌日のアポイントメントにも間に合い、結果オーライとなった。
2004年10月23日午後5時56分、新潟県の中越地方を震度6強の大地震が襲い、10数人の犠牲者も出てしまった。そこはふる里、親兄弟や親戚、友人の住むところだ。
すぐに電話をしてみたが、こちらからは制限されて不通、深夜になってようやく家族からみんな無事だと連絡があった。翌朝、電話は開通したが呼び出し音はしても出てこない。車の中で夜を明かすと言っていたので、余震を恐れて家の中にはいないのだろう。
多くの友達、おーい、みんな怪我はなかったか。
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