ミドルエイジのビジネスマン
DiaryINDEX|past|will
| 2004年06月13日(日) |
大部長、オフィスの椅子を蹴り飛ばす |
「パイプラインに入っている案件は大体予定通り」などと、うそぶいたバチがあたったか、先週はある案件が急遽計画変更となり、大慌てする一幕があった。通常なら予想もしない状況ではあったが、それにしても、定められた手続きをステップ・バイ・ステップで進めていれば、少なくとも事態の兆候には気がついたはずだ。一応の対応策を決めた後、あまりにふがいない出来事に、思わずオフィスの椅子を蹴ってしまった。
全体として見れば概ね大丈夫という案件であり、また、社内の複数の関連部署にも担当者がいて、一概に、誰が悪かったと決めつけるのは難しいところではあるが、たとえ、自らの非を認めざるを得なくなったとしても、それがどんなに苦しくても「この案件を、私のような者が止めることはできないと思った」というような台詞を吐くことは私たちには許されていない。万が一の場合、プロジェクトの進行を止めるのが私たちの使命だからだ。
聞いてきたことを書き留めるだけなら中学生でもできる。様々な比率をはじくことなら派遣社員でもできる。なぜ、私たちが独立した立場を保証され、私たちの意見が社内で尊重されるのだろうか。収益を追求する会社組織の中にあって、関連部署にはそれぞれの立場があり、言いたいことがあっても言えないときもある。それを言い当てるのが、まさに、私たちの使命なのだ。
「色々な事情があるでしょうから、まあ、今回は仕方ないですな」といつも言っていれば、なんとか丸く収まって関連部署の担当者も感謝するかもしれない。いやいや、それは感謝したふりをしているだけ。唯一、常に正論を述べることが期待されている部署が、その役割を放棄し、易きについたと馬鹿にされるのがオチなのだ。
常にあるべき姿を考え、いつも、これでいいかと自問する。そのためには、業務上の基本的なステップを踏み外さず、何か忘れていないだろうかと振り返る。さらに、もっと考慮すべき要素はないかと問いかける。もっと別のアプローチをすべきだったのではないかと思いを巡らす。私たちの業務にはいつも不安が付きまとう。その細心さが、仕事の中身の完璧さにつながり、プロジェクトのパートナーや社内の同僚の信頼を獲得していく手だてとなる。
私たちは、プロジェクトの参加メンバーや関連部署の同僚たちから尊敬を得たいと思う。それは一日ではできない。自分の言葉の重みを畏れ、謙虚になること、そうして、ひとつひとつの案件を地道に積み重ねていくこと。これしかないのだと思う。
横山秀夫の「半落ち」を読み終えた。結末部分は確かに意表をついたものであったが、十分な伏線が張られていて読者が十分納得したかというと、そうとも言えないのではなかろうか。最愛の妻も、それが言いたくてウズウズとしていたらしく、二人で「結末は感動的だけど、推理小説としての期待にも応えてもらいたいね」と意見が一致した。
世の中不況、デフレと下を向くような話ばかりしていたが、昨今そうとも言えないようなことになっているらしく、先週も最愛の妻がリッター当たり99円だったガソリンが一挙に106円になったと驚いていた。しばらく前から原油価格が1バーレル当たり40ドルを超えたなどとニュースになっていたので驚きはしないが、ここ10年くらい、物価が上がったという話題を夫婦でした覚えはない。
大部長の仕事もパイプラインに入っている案件は大体予定通り進行しており、ほぼ順調と言える。だが、気持ちの上でもうひとつ晴れ々々としないのはなぜだろうかと考える。
この案件はAさんのもの、あのプロジェクトはBさんのもの、改めて考えてみれば大部長のものは一つもない。人がやっているものを小姑のように横から眺め、たまさか気がついたことをさも鬼の首でも取ったかのように言い募る。時々、担当者も大部長も気がつかず、判明したときにはどうしようもないということもある。部全体でバックアップしているので、大事に至ることはあまりないが、こんなことをやっているだけでいいのだろうかと時々思う。
最愛の妻が図書館から借りてきた横山秀夫の「半落ち」を半分くらいまで読む。地方都市に住む警視や検察官や新聞記者、そして弁護士の生活まで書き込まれ、リアリティがあっていいなあ。人物像としては映画の宣伝で寺尾聡がすっかり頭に刷り込まれているので、小説を読んでも主人公の会話は寺尾聡がしゃべっている姿しか想像できない。映画のDVDもレンタルが開始されているので、そのうち借りてこようと思う。妻は最後の場面で涙を流したそうで、感動を分かち合いたいらしく、顔を見ると読んだか、読んだかと聞いてきてしつこい。早く読まないと結末を言われてしまいそうで心配だ。
| 2004年05月30日(日) |
映画「トロイ」を観る |
週末のレイトショーで映画「トロイ」を観に行った。かなり長い映画であったが、シーンは戦闘に次ぐ戦闘で、息つく暇もなくアッという間であった。コンピュータグラフィックスによって壮大なスケールの戦争スペクタクルも実写と変わらず、ギリシャ時代の戦争はこのようにして行われていたのかと目の当たりにする思いだった。
ただ、大きな悲劇であったにもかかわらず、登場人物の苦悩や心の叫びはそれほど伝わってこないのはなぜだろうか。スペクタクル映画の空から見下ろすような視点が、人間の精神の内面にまで入り込めない大雑把な作りにしてしまうのだろうか。この感じはラストサムライを観たときも同様であった。もしかしたら、こちらの感受性が既に磨耗しているだけなのかもしれないと思ったりもした。
ダーダネルス海峡を扼するトロイの地はエーゲ海から黒海にいたる海上交通の要衝のため太古からローマ時代まで9層の都市が建設され、あらゆる時代をカバーしているので、シュリーマンの発見した「トロイ遺跡」も発見された黄金の宝物は時代が古すぎて、最近の考古学では、その場所が本当にトロイであるとは断定できないということだ。
|