ミドルエイジのビジネスマン
DiaryINDEXpastwill


2002年10月06日(日) なし狩り、あまり感動ナシ(写真)

金曜日に同僚と軽く飲んでいて、週末にご家族で梨狩りにでも行こうと思っているという話を聞き、それはいいと手を打った。実は、梨の販売所なら近所の道路沿いに沢山あるのだが、一度買ってみたときにそれほど安いと思わなかったのとあまりに身近すぎて行楽という気分にならなかったのだ。この機会に行ってみよう。

天気予報によれば土曜日なら快晴、その後ゆっくり下り坂ということなので、是非とも土曜日に行きたかったが、ガキの一人はサッカー、もう一匹は無理矢理通わせている水泳教室があるという。天気にはこだわりがあって、梨狩りには抜けるような秋空が必須アイテムと思われ、曇天ならばやめようかという気持ちも一瞬よぎったほどだ。

日曜朝のお父さん向けのテレビ番組を見た後、満を持して出発。日は射しているが薄曇りというところだ。下のガキは喜んでドキドキするという。可愛い奴だ。

ところが、一軒目の梨園はお客さんを中に入れるのは8月の後半から9月くらいまでで、今は道路際で販売しているだけだそうな。どうせ天気も薄曇りだしとあきらめかけたが、まあ、他も当たってみようと走っていると、程なく「モギトリ」と無造作に板きれに書いた看板が目に入った。愛に満ちた妻がおばさんに聞いてみると、お客さんが梨園に入ってもぐのだという。

システムとしては、梨園の中で食べ放題というわけではなく、店先で二切れ三切れ振る舞われた後、実のなっている区画に入り、採ってきた分だけ代金を払うということになっている。高級な梨らしく、今日は1キロ700円だという。1キロというのは何個くらいかと問えば大きいのは1個で1キロあるかもしれないと、のたまう。ヒエ〜、千葉ではスイカが木になっているのか。しかも、安くないじゃん。

***** わーい、梨だ、梨だ! *****

他にはお客もなく、今ひとつ盛り上がりに欠けたまま梨園に入り、大きな梨を7〜8個採って来た。量ってもらうと5.7キロ。これを5キロにまけてもらって代金を払おうとすると、子供たちにおまけだといってレジ袋に詰めた梨を2袋もいただいた。ナニ?明らかにおまけの方が量があるじゃない。種類は違うし普通サイズだが、家に帰って数えてみると、おまけの梨が17個。買った梨は8個。高いのか安いのかよくわからないまま、無事、梨狩りは終了した。

このように書くと少なくとも半日がかりの行楽かと思わせるが、実は出発から帰宅まで1時間かかっていない。環境に恵まれたところに住んでいると感謝すべきか。


2002年09月29日(日) 忠犬「サラリーマン」

会社の幹部が全国から集まって10月からの経営方針を聞く会合に出席した。

ほとんどサラリーマンのDNAともなっている全国を地方別にブロック化して管理する手法を放棄して、顧客層に合わせたセグメント別のマネージメントに変更するという。これまでも、成績優秀な店舗や社員を表彰する場合に比較対象のためのグルーピングにこのような考え方は採っていたかもしれないが、業務の指揮系統を変更するというのは思い切ったことだ。しかも、今度は東京から命令するのではなく、「アドバイス」するのだという。狙いはもちろん、お客様のニーズが第一ということだ。

日本中の企業がこのように考え方の変更を迫られているのだろう。一旦変更したからには思い切ってアクセルを踏んで、カーブを曲がり切って後戻りできないところまで行って欲しい。

会社にすがる「サラリーマン」という考え方はやめて、職業「ビジネスマン」でクールに行こうと思っていても、こういう話になると、俄然、忠犬「サラリーマン」の根性が頭をもたげてきて、みんなで頑張ろうという気持ちになるから不思議だ。そう言えば、会場に行く途中渋谷を通ったので、駅前で日本で一番有名な犬「忠犬ハチ公」の鼻をなでてきたのだった。こんなことでもしないと、花の東京は渋谷に来たという実感がわかない。

さて、もう一つのテーマは人事処遇と給与体系。一言で言うと、職種別、業績重視にするそうな。ごちゃごちゃと複雑な説明があったが、理解不能。そんな複雑にしなくても、全員年俸制、刻みは百万円単位にしてはどうだろうかといつも思う。隣に座っている同僚より月給が5千円高いから、出世競争でリードしているとほくそ笑む時代はとっくに終わったはずだ。


2002年09月21日(土) 息子たちの運動会

小学生の息子たちの運動会があり、キャンプ用のチェアをグラウンドの木陰に並べて最愛の(さりげないこの形容詞を忘れるとジゴクを見る)妻と仲良く見てきた。
少子化が進んでいるので観覧場所の取り合いなど心配する必要もない。「気持ちいいねえ」と背もたれに寄りかかって伸びをすれば、高い空にすじ雲がなびき、行き先を定めたジェット旅客機が時折ゆっくりと通り過ぎていく。

目の前を歩いていくお母さんたちに椅子に座ったままご挨拶の黙礼をすると、子供たちが生まれた頃公園で挨拶した日々そのままの若々しい姿に驚かされる。引っ越してきたばかりの頃、妻が近所の奥さんたちと撮ったという写真を見てびっくりしたものだ。美人ばっかりで、皆さんセンスも良く、ヘエ〜、こりゃ金妻の世界だと。

息子たちの走る姿や鼓笛隊の行進を見るのは面映ゆいものだ。あの時分のことは昨日のように覚えていて、息子が走っている姿にどうしても自分を重ねてしまう。レースの順番を待つ間、ドキドキした記憶や入賞の旗の下に並んだ晴れがましい気持ち、賞品にもらったノートや鉛筆の質感。バカモン、父ちゃんが走れば必ず1等か2等の入賞リボンを胸に飾ったもんだ(さて、本当にそうだったかどうか確信が今ひとつなのだが)、4等なんかになるんじゃない。

思い起こせば小学生の頃でも、既に自分の世界があった。息子たちも、もう、親の存在はほんの一部になってしまった自分自身の精神世界に生き始めているのだろうか。手がかからなくなったと喜んでいる間に、口答えする姿も可愛いかったペットから、自分に似ているが自分ではない不思議な生き物に生まれ変わろうとしている子供たち。そう言えば、親子の障害物競争では、引いた籤(くじ)の結果、三輪車に乗せて走るというハンデから入賞はできなかったが、せっかく協力したので、お互い良くやったよなと長男と肩を組もうとしたら手を振り払いやがった。バカヤロウ、誰に育ててもらったと思っているんだ。ショック!

今年の運動会最大のニュースは長男がリレーの選手になったこと。



MailHomePage