さよならレンジ君。 - 2003年09月18日(木) 月曜日の朝は旦那と共に妹夫婦の家から朝帰り。 朝もやの街を車で走りながら、今にも眠りそうな私を尻目に、 旦那などは楽しそうに 「道行く人たちは俺たちを見て、な〜んて朝早くから行動 しているカップルなんでしょ!って思うかもなぁ〜。 でも違うんだなぁ〜、朝帰りだもんね〜。ハァ〜ハハハ!」と笑うのだった。 家に着いた途端、布団を敷き、そのまま夕方まで寝た。 で、起きてシャワーを浴びると、私達は早速また出掛けた。 その日、私達には「レンジを買う」という、大きな目標があったのだ。 そう、電子レンジのレンジ機能が壊れて1年ちょっと。 オーブントースター機能が壊れて二ヶ月。 不自由な生活に耐え忍んで来た私達だが、もう限界。 トーストが食べたければ、料理だって温めたいではないか。 家から20分ほど行ったところの、国道沿いの電気店で、 散々迷い、電子レンジを購入した後、持ってきていた 古いレンジをお店に引き取って貰った。 台車に乗せられた古いレンジが、店員さんの 「じゃ〜、お預かりしますね〜!」の声と共に台車に乗せられ ゴロゴロと遠ざかってゆく。 それは、たった今、我が家に来た新しいものと比べると、随分と小さい。 「惣菜を温めてくれたレンジ君」 「冷凍食品を温めてくれたレンジ君」 「コンビニの弁当を温めてくれたレンジ君」 思えば、結婚して8年。いつも私達と一緒だった。 連れて行かれるレンジ君を車の中から見つめていると、 横の旦那がポツリと言った。 「名古屋にも着いてきてくれたよなぁ〜、あのレンジ」 そう・・そうなのだ。 旦那の転勤で名古屋へ行った時、慣れない生活に気落ちする 私の横で、レンジ君は東京にいた時と変わらずに、 元気にぐるぐると回ってくれていたっけ・・。 ウル・・っと涙が出そうになった。 「ありがとう・・」 家までの道程、心の中で私はそう何度も呟いた。 そして、数十分後。 台所で新しいレンジを囲み浮かれる私達がいた。 「へぇ〜!これってケーキも作れるじゃん!俺、挑戦しっちゃおうかなぁ〜。 オッ、クッキーもだぁ〜!おいクッキー作ってくれよ〜!」 「いいよ〜!!クッキーぐらいなら高校の時作ったことあるし〜〜!」 その時、旦那と私は思っていた。 「初めまして、新しいレンジ君!我が家へようこそ!」 悲しい別れがあるところ、また新しい喜びもある。 おしまい。 ... はっぴ〜ば〜すでい。。 - 2003年09月17日(水) 珍しく旦那が早く帰って来た。 コージーコーナーのケーキを持って。 そう、今日は私の誕生日であった。 いつもより、ちょっとばかり多い品数、 ちょっとばかりきれいに盛り付けた夕飯をいただき、 思いがけない、友人からの「オメデト〜!これでまた一つ老けたのね電話」 を切ったあと、彼と二人、HAPPY BIRTHDAYの儀式をした。 旦那が買ってきた長細く四角いケーキにローソクを立ててゆくと、 あっという間に、クリームで覆われた表面が見えなくなり、 年の数だけ立てるのが、慣わしとはいえ、 林立する西新宿の高層ビルのようなさまを見て、 「ローソク・・立てすぎ・・」と私も 密かに思わざる終えないのであった。 本数が多いから火をつけるのも大変だ。 最後の一本をつけ終わる頃には、初めの一本が溶け切ってしまう のではないか?と心配したほど。 ようやく全てに点火されたところで、 部屋の明かりを消した。 「ハッピバ〜スデー トゥ〜 ユ〜〜ハッピバースデー トゥ〜 ユ〜」と 声も高らかに旦那が歌い上げる、ハピバースデイソングに耳を傾けながら、 「誕生日とは幸せな日なのか?」 「だとしたら、幸せとはいったい何なのか?」 などと、ゆらゆら揺れるロウソクの火を見つめては、 深く考えてしまう私なのだった。 「さぁ〜消して〜」 歌が終わり、旦那が私を促した。 「全部いっぺんに消してやるぅ〜!」 と、変なところに闘志を湧かせ、 大きく息を吸いこみ、そして、フ〜〜〜〜〜〜〜〜と吐いてみた。 その瞬間、 全ての火が消え部屋は真っ暗になった。 で、私の心までなんだか暗〜くなった。 「わ〜、おめでと〜!おめでと〜〜〜〜!」 漆黒の闇の中・・ 旦那の明るい声だけが・・響いていた・・・。 ・・おしまい・・・・。 ... 口。 - 2003年09月16日(火) 「お前はホントに口から生まれてきたのね〜」と、 産みの親にまで呆れられてしまう私。 ポンポン口をついて出る言葉に 「しまった・・・」とか 「どうしよう・・・」とかという ”後悔先に立たず”の経験は一度や2度ではない。 だが、東京都知事の外務省官僚への 「そういうことされて当たり前」発言の顛末を見て、 「まっ、世の中騒がせなきゃいいっか・・」と 自分のマシさに、ホッと胸を撫で下ろすのであった。 おしまい。 ...
|
|