台所のすみっちょ...風子

 

 

「てつこ」 - 2003年05月13日(火)

土曜日。友人と恵比寿のとあるホテルの喫茶店で、

会合を開いている時の出来事であった。

話に花を咲かせて、2時間ばかりが経った頃、

一人の客が入ってきて、私達のすぐ後ろの席に座り、

注文もそこそこに、いきなり携帯電話で話を始めた。

「あ〜、、俺、お疲れ〜。あのさ〜、テレ朝のさ〜
 ”徹子の部屋”のパソコンの設置の件、あれどうなったぁ〜」

背を向けて座っている私の耳に、ガンガン響くその声は、

オペラ歌手か?と思わせる、腹式呼吸の太く、でかく、偉そうな

オヤジのものであった。

「ふ〜〜〜ん、、あっ、そう間に合いそう。
できないと話になんないからさぁ〜〜。お願いね〜。」

こっちの方が「静かに!携帯は外で!」とお願いしたいくらいであった。

そしてこみ上げる怒り。

老若男女が入り交じり、各自が静かに談笑している茶飲み場で、

いかにも「みんな聞いて、、僕、テレビ関係者〜」

的なその自己顕示欲の強い振る舞いというのは、如何なものか?

しばらくした後、トイレに立ったついでに見たそのオヤジの姿形は、

格幅の良い、「七曲がり署のボス」をちょっと熱で溶かしました、

といった感じであった。

体をやや斜めにし、右腕の肘を背もたれにかけて座るさまは、

「一人なのに、いったい誰に対して威張っているのですか?」

と質問したかったぐらいである。


で、「そういえば、、」と、私はついこの前、バイト先で出会った

ある男性の事を思い出した。

彼は突然フラ〜っと受付に座る私の前に現れて、

この区で催される講演などのパンフレットが並べてあるテーブルを指差し、

「ここって、演劇のパンフレット置かせてもらえるのぉ〜」と聞いてきた。

私が「向こうで聞いてください」と、手で事務所の場所を促すと、

男がいきなり「あれ?君、僕のこと知らない?」と言う。

「へっ??知りません」と私。

「へぇ〜〜ホントに?ホントに僕のこと知らない?」

男はそう聞きまくると、「これ見れば君も分かるよ」と言って、

自分の名刺を差し出すのであった。

が、日本人顔の彼にして、名刺の「名字にっぽん、名は外人」

を見たひにゃ〜、余計「へっ?」であった。

すると、男は私のさらなる「へっ?」を見て、

「○の□貨ってドラマ知ってる?ホラ、○ピーの。僕、その原作を書いた人。
 今脚本家。名前が外人ぽいのは、僕ハワイ出身だから」

と、どうでもいいことを自慢満々に話して帰って行った。


以上、2人の男には「場も状況もお構いなしに、自分の凄さを主張する。」

という共通点があった。

冒頭の”徹子オヤジ”の「携帯でわざわざ」も「俺ってすごい?」を

最大限知らしめようとする彼の演出であったのは間違いない。


友人と別れてバイトに向かう道すがら、一人考える・・。

「あれだけ政治の不正、リストラ等の社会問題を一般民衆の立場に立って

取り上げる「テレビ」の関係者があんなに傲慢な訳はない」・・・と。

「そうだ!そんなハズはない。テレビは庶民の見方だもの」・・・と。


そして、こういう推測に至った・・。

「もしかして、さっき喫茶店にいたオヤジは、パソコンの接続業者

 ではないのか?・・テレビ朝日の近くに住んでいる・・・

「てつこ」というばあさんが・・パソコンを買ったので・・・

 接続を頼まれ・・その責任感から・・あんな風に場を考えず・・・

 電話していた・・・のでは・・・」・・・と。


なら、仕方ない。


おしまい。


...

アジャパーー - 2003年05月11日(日)

私の育った家は、ごく普通の中流家庭であったが、

エンゲル係数の馬鹿デカイ家庭だったため、

高校を卒業し、一人暮らしを始めることになった18までは、

食いたいと思った物はすべて食い尽くし、何不自由なく

育つことができた。


なので、貧乏な大学生時代、

コーヒーのみだけ手元に置いて、ささやかな外食

気分を満喫してる場に於いても、決して隣りのテーブルの

和風ハンバーグステーキや、ビーフシチューセットを見て、

よだれを垂らすこともなく、またジ〜っと見つめるなどという

さもしいこともなかった。

これは、一重に幼い頃から、私をバクバク、モリモリ、

のびのび、育ててくれた両親のおかげであろう。



お父さん、お母さんありがとう。

私は立派に生きてきました。



バイトの日だった昨日。

いつもの調子で、受付にこけしのように座っていたら

私の耳に「ね〜、、今川焼き食べる〜?」という明るすぎる声。

それは、事務所の責任者である、”とびっきりアジャパー”な

おばさんのものであった。(詳しくは5月2日の日記参照)

同じフロアーのチケット売り場の女の子に、事務所の

誰かが買って来た今川焼きを分けてあげるというのだ。

チケット売り場カウンターは、3面パーテーションで囲まれた

四角いボックスタイプになっていて、その後ろに

私の座ってる受付があるので、アジャパーと、売り場の女の子

の様子はまったく見えず、

「あ〜、、良いんですか〜?いただきます」
「あっ、温めてきてあげようか〜」

という声だけしか聞こえない。


私は待っていた。

声がかかるのを。

「あ〜、あなたもどうぞ〜」と。


今川焼きをごちそうになろうとしている女の子も、

私と同じ立場のバイトの身。

彼女に声がかかったということは、「当然食える・・」と私が

思ったとしても罪はないハズ。


私は待つ体制に入った。


「今川焼きかぁ〜、、食べるの久しぶり〜」

とか

「あんこが入ってるからもぐもぐしちゃうな〜、お茶買って来ようかな〜」

とか

「アジャパーっていい人かも。あんなふうに似顔絵描いて悪かったな〜」


と、熱いのをはふはふ頬張る自分の姿に思いを馳せながら。



私は待つ。


そのうち聞こえてきたのは

「ごちそうさまでした〜」というチケット売り場の女の子の声。

そして

「いいえ〜、、どういたしまして〜〜」というアジャパーの声。



私は待った。





待って待って待ち尽くした。





そしてバイトが終わった。




お父さん、お母さん、私は今、アジャパーなおばさんを

どんな動物に仕立てて似顔絵を描こうかと思案中です。






おしまい。


...

青春の食卓。 - 2003年05月09日(金)

火曜日の夜、「きよしですぅ〜。お世話になります」的な感じで、

TOKIOのガチンコに西川きよしが出ていた。


彼をゲストに呼んでの番組の内容は、

売れなくて貧乏だった青春時代、彼の心に残る

思い出の料理をTOKIOが2チームに別れて、

それぞれリサーチをし、スタジオに持ってきて

本人に食べさせるというもの。

それは、「貧乏」「青春」に「福祉」と「お年寄り好き」

という、きよしのイメージまで加えた、明らかに泣かせる企画。

「そんな手に乗るものかぁ〜、、」と思っていた私だったが、

ヘレンに再現してもらったおせちを

「良くこんなもんをぉ〜〜〜〜」と

彼が涙しながら食う場面では、不覚にも一緒に・・ポロって・・・。


番組が終わった後、一緒にそれを見ていた旦那に、

「君の思い出の味はなんだい?」と聞いてみたところ、

なんと、旦那が私とつき合う前にとある会合で作った、

私のもっとも得意な、けれど当時それしか作れなかった肉じゃがで

あるという。

会合は「女の子はその場で何か一品作りましょう!」という

迷惑な・・いや、、、すばらしい催しで、他の女性たちが

香辛料や調味料を駆使してタイ風焼き鳥やら、

何やら食ったこともない舶来のものを作る中、

私だけが弁当屋の総菜みたいなものを作ってしまった

のであった。

しかし、私にして「肉じゃが」が、大変意外だったらしく、

後輩だった彼は、これ先輩が作ったんですか〜?と目を丸く

し、「おい、そこまで念を押すな」と失礼なぐらい私に確認しながら、

結局どんぶりいっぱいに作ったそれを、全部一人で食べ上げてしまった。


彼はハッキリ言い切った。

「あれを食わなきゃ結婚はなかった」と。

私が彼のパンツを洗わなきゃならないのも、毎日素っ裸ムチムチ姿を

見なきゃならないのも、みんな「肉」と「じゃが」のせいだったとは・・。



では、私にとっての思い出の食べ物は・・?というと、

それは旦那とはまったく関係のない、学生時代に食べた寿司。

貧乏でそうめんばっかり食ってた時、高校時代からの友人Gが

深夜に持ってきてくれた寿司の折り詰めだ。

父親が飲食店を経営する彼は、当時、池袋の料理屋で修行をしていた。

「店終わってから俺が握ったんだぞ〜、まあ食え」と言って差し出してくれた

折り詰めの中身を見たときは、本当にうれしかった。

寿司なんだから当たり前なのだが、その時の私にとってみれば、

「わぁ〜〜イカ!わぁ〜〜タコ!わぁ〜〜い、マグロじゃぁ〜ん!
 エビもあるぅ〜!!」

ってなくらい感動したのであった。


あれから、ずいぶん月日が経ったのに、

西川きよしと違って、私にとって思い出の味は今だ高級。

あの時の彼の好意に対して、私は何も返せてはいない。


ちょっと情けない。


う〜〜ん、、私も漫才師になれば良かったか・・・?


おしまい。


...




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