台所のすみっちょ...風子

 

 

そこに顔のある限り - 2003年05月02日(金)

最近、するすると面白いように似顔絵の描ける私であった。

原因は今年の四月、私が指導員として勤務する職場が、公から民間の会社へと、

管理が以降され、事務所に詰めるメンバーが一新されたことにあった。

その面構えたるや、あまりにも個性的。

例えば、

とびっきりアジャパーなおばさんや、(どんなヤツだよ)

とびっきりな蟹男。

とびっきり風船な少女に

とびっきりのピノキオ等と、もうこれを描かずして、

何のための美大卒業か!といったような感じで、

特別意識しなくとも、気がつけばエンピツを動かし、

作品を上げてしまっている有様である。


しかも、一度描けば、それは、少し前まで似顔絵でスランプに陥っていたとは

思えないほどの出来映えで、作品のほとんどが・・う〜ん、上手。

調子こいて、最近では来た客にまでモデルの範囲を広げてみたりするのであった。

バイトに行くと必ず一枚は描くので、その数もすでに15枚ほどになった。

しかし、この似顔絵。決してモデル本人に見せたりしないのが、

似顔絵道を歩く私のポリシー。

職場の人々の似顔絵もこっそり描いて、こっそり持って帰る。


そう私が決めたのは、あることがきっかけであった。

それは、中学3年生、卒業文集委員になった時のこと。

クラス紹介のページの企画を任された私は、

クラスを動物園に、クラスメート全員をそこにいる動物に見立てることを

思い立った。

本人のイメージから何の動物にするかを決め、もちろん顔は似顔絵で!を志した。

可愛くて男の子に人気のある子は小リスちゃん、といったように。


当時、クラスメートは45人。

放課後も残って描き続け、すべてそろってみんなに見せるとクラスメート達

には大ウケで大絶賛!・・・

・・・のハズだった・・・ハズだった・・。

・・・ある女の子一人を除いては・・。

その子は誰もが納得するほど、プロレスラー「ジャンボ鶴田」似の子であった。

太っていた。

まだ、青かった私は、見るまま、感じるままに彼女を描いた。


豚に。


そっくりだった。

45人中一番の出来であった。

「キャ〜、、似てる〜!!」などという皆の喧噪の中、

突然、私の耳に聞こえてきた「ひど〜〜〜〜い!!」という叫び声。

見ると彼女は泣いていた。

「どうして〜、、どうして〜あたしが豚なの〜」と泣いていた。

サァ〜と一斉に引くクラスメート達。

サァ〜とひいてゆく私の血の気。


「どうして〜」と言われても・・、そうだから、、。



私は4歳から絵を描いていた。

将来画家になりたかった私は、もうすでにこの頃になると、

いっぱしの芸術家気取りであった。

豚さんをキリンさんやカモシカさんには描けない。

物を見て自分が感じたこと。それが何よりも尊い、と信じていた。


そうこうしてるうち、あんなに「似てる〜」といってくれたクラスの子達も、

彼女の泣きっぷりにおそれをなしたのか、

「こんなに似せなくてもね〜」と言い出す始末。

が、今さら直せない。

結局、私は何度も何度も頭を下げることで、ようやく彼女に

許してもらえることができた。

一週間謝りっぱなしであった。

私はその時初めて、自分の生み出した作品が

他人にどんな影響を及ぼすのか?と、立ち止まる冷静さが

必要なのだということを学んだ。




誰の目に触れなくてもいいのだ。

けれど、私は描いてゆく。

一生懸命に。

自分への挑戦として。

そこに顔のある限り・・・。



何しにバイトに行ってんだよ。


おしまい。


...

ちょんまげ。 - 2003年05月01日(木)

いかにも「格闘技なら俺にお任せね!」といったような、

がたいの良い某国会議員が、暴力団に秘書給与を肩代わりさせ、

「やめろ!」「い〜や、、やめません!」

などと、社会的問題になったのは、つい先週のこと。



当然サヨナラするものと思っていたのに、僕辞めないもん!と、

議員バッチを頑固に外そうとしない彼のその姿勢に、私が驚いたのは

言うまでもないが、それ以上に驚いたのは、”懺悔”と称して、

彼が自慢のちょんまげを切ったことにあった。



記者会見で、

「ちょんまげを切り、心機一転新しい気持ちで頑張ります」と、

慎重な面もちで新たな決意を言葉にする彼。

しかし、パッと見には少しも変わったところがなく、

正面からに至っては、まったくいつもの彼で、坊主頭ならいざ知らず、

ただ、おまけのように付いてたちょんまげを切ったところで、

その印象は彼の言う「新しい気持ち」とは程遠いものがあった。


私は思う。

彼に必要だったのは「ちょんまげを切る」ということではなく、

暴力団のイメージを払拭するぐらいの「さわやかさん!」の演出であり、

「毎日眠れない日々が続いて・・もうしんどいです。
 ここら辺で勘弁してください」

と思わせる雰囲気であったのだと。

なのに、ちょんまげを切った後の髪はまんべんなく後ろに

ヘアクリームで撫でつけられていて、その姿はまるでVシネマ。

「仁義無き闘争・赤絨毯編」といった感じで、黒いイメージに

より近くなったような気さえする。

おまけに、顔の色艶はいつも通り。

寝てないどころか、モンゴル相撲で、あと2、3人は

投げられるのではないか?と思わせるほど。


もう少し努力できなかったのか・・。

メイクなど施して弱々しい顔を作るとか・・。


そう、例えば、私が高校時代に松田聖子ばりにかけたパーマを、

英語の授業中に担当教師にとがめられ、1時間立たされた挙げ句、

「明日登校したら、一番に英語研究室に釈明に来い!」と言われ、当日の朝、

いつもより早く起きて、母親のグリーンのアイシャドウを目の回りと

頬に塗ってはぼかし、ぼかしては塗りを繰り返し、

「反省して眠れませんでした顔」を作ってまんまと

許してもらった時のように・・・。


今回の一件で、

「暴力団と関わっちゃダメなのね」と、彼はお勉強したに違いない。

けれど彼には、そんなことより学ばなければならない大切なことがある。

私がこっそり教えよう。

それはテレビ映り。

髪型はまあいいから、

「いざ!」という時のために

せめて、寒色系のアイシャドーだけは買っておけ!ということである。



おしまい。


...

浮かれた2人 - 2003年04月30日(水)

日曜日、我が家に待望の車がやって来た。

車屋へ一緒に取りに行く予定にしていたのだが、

久しぶりの「プチドライブ」に思ってた以上にウキウキしてしまい、

必要以上にめかし込み始めた私はそれが止まらず、約束の時間に

間に合わなくなってしまったので、結局”新しい家族”を迎えに行くのは、

旦那一人、ということになった。


彼が出ていって30分後、電話のベルが鳴る。

今マンションの下だから降りて来いよ〜、というものであった。

ファンデーションの分厚さに顔が重いと感じながら、

そそくさとエレベーターに乗り、外へ出ると、

ピカリンと光を放つシルバーの車の中で

「ハァ〜イ!彼女」ばりにすかした感じで手を振る旦那。

「俺にこの車と来ちゃ〜、女の2〜3人はナンパできるぜ!」とでも

言いたげである。


何故そんなに自信満々お得意顔なのか?

車に乗ってるだけじゃないのか?


夜は旦那の母と会食だったので、私達が車に乗れる時間は

2時間ほど、と限られていた。

この短い間、私達は、完全に”変”であった。


途中コンビニに寄るために車を降りようとする私に、

道路脇の植え込みのツツジを気にしながら、

「おいおい、ドア気をつけろよ〜、、枝で傷つけないでくれよ〜」

と、普段CDもMDも出しっぱなしの旦那が、急に几帳面なヤツとなって、

細かい注文をつけたり、

こともあろうに、2人でうっかり名前なんかつけてみようとするのであった。

「キューブだからさ〜、キューちゃんかなぁ〜」などと、

旦那がなんのひねりもないことを言えば、私も私で疑いもせず、

「そうだね〜、、キューちゃん!キューちゃん」などとシートを

スリスリしながら声を出して呼んでみたりして。

車がやって来たというだけで、普段では考えられない「ファンシーな風」が

突風のごとく2人に吹く有様。


そして、私達が「プチドライブ」のつもりで向かった先。

それはオートバックス。

車持ちのための、車持ちにしか価値のない店。

別に急いで買うものもなかったのだが、

ここはそういった意味では「是非行っておかねば!」と思っていた。


所狭しと並んでいる、品物を見つつ「ついに買ったのだ!」という

実感でもう頬が緩みっぱなしで、つい、あれもこれもという気分になってしまう。

あやうく、ヒョウ柄のシートカバーなんか購入するところであった。


私は忘れていた。走りやもやって来るカーショップで、

目につくものを片っ端からすべてそろえれば、あっという間にツッパリ車に

変身だということを。


いくら浮かれていたとはいえ・・・


お〜、、危なかった。


おしまい。


...




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