選択 - 2003年03月19日(水) 「ちょっとすみません・・」 私は外にいると、良く人から声をかけられる人気者の女。 その問い合わせ内容は様々で、 「○○に行くにはどうすればいいですか?」という道順的なものから、 「ばぁ〜〜〜・・」と着ていたコートの前を開け、”ブツ”を「コンニチハ」 させるものまで多岐に渡り、年齢も10歳ぐらいの小学生から、 80歳までのお年寄りと幅広い。 日本人、イラン人、韓国人、中国人、たぶんアメリカ人であろう白人、黒人・・。 例えば、黒人の人の場合、仕事の途中に休憩した森永ラブで声をかけられ、 その後、茶まで飲みに行き、別れる時、次に合う約束までして、 その国際交流ぶりを当時付き合っていた男に言ったら、 ひどくどやしつけられた、といったことまであった。 で、こんな私の「ちょっとすみません人生」に、このたびまた新たな 「ちょっとすみません」が加わった。 それは、少し前、金曜日の夜であった。 友人M美の家でたんまりゴチになり、帰る道すがら。 最寄駅まで旦那さんに車で送ってもらった後、 切符を買ってホームの階段を降りた途端、私の目が周りの様子を捕らえるか 捕らえないかのうちに 「ちょっとすみません・・・」ときた。 「へっ?」と思って、良く見ると、階段の近くにツバの広い、真っ黒な帽子を かぶった、真っ黒なロングコートを着た、背の低い「魔女(小)」といった 感じのおばあさんが、ふふ・・と笑みを浮かべながら私を手招きしている。 頭の先から足元まで黒づくしのせいか、顔だけが白く浮かび上がって、 魔界からきたような不気味さである。 「ヘイヘイ!なんですか〜」という気に私をさせなかったのは、 そのおばあさんの魔力で豚などに変身させられてしまうのを恐れたわけでは、 もちろんなく、何より、臭かったのであった。・・・強烈な臭い。 そう、おばあさんはホームレス。 ゴミをパンパンに詰めたスーパーの袋を6つほど、その他に破れた布製の 買い物バックが2つほど。 彼女は大量なゴミの輪に囲まれていたのである。 話を聞こうにも臭いがバリヤとなってなかなか側に行けない。 で、戸惑っていると、そのおばあさんが ゴショゴショ・・・・ゴショゴショ・・・・と何かを私に話し掛け始めた。 何度か聞きなおして、ようやく把握できた話の内容はこうだ。 「大泉学園駅まで帰るんだけど・・荷物が多すぎて・・電車が来たらこの荷物 一緒に運んでくれません?」というもの。 手を貸しても良い・・そんな気持ちもあった。 が、90%は逃げてしまいたい気持ちでいっぱいであった。 何故かと言うと、私の中には酒が入っていた。 もちろん、夜の澄み切った空気の中を帰るのであれば、何の支障もないほどの いい酔い方であった。 ところが、その臭いに接した途端、 「なんか気持ち悪っ・・・」 それは、おばあさんの姿を確認した段階で早くも危険度「レベル1」に なっていて、おばあさんの話を理解し終わった頃には「レベル4」ぐらいに まで上がっていた。 危険度も「レベル5」になると、恐ろしい結末が待っている・・。 私は学生の頃、渋谷で散々飲んでいて、あっさりとそれをクリヤーし、 途中、代々木駅のゴミ箱へ失礼したという”青い経験”の持ち主。 駅員さんごめんなさい。 あのときは若かったからまあいい。 けれど、もうこんなにも大人。しかも既婚者。 郊外の閑静な駅で・・・・・それは人妻として如何なものか? 結局、ぐるぐる回る胃と頭で考えた言い訳が 「すごい荷物です・・(うっぷ)ね・・。これは私の力では・・(うっぷ) 無理です・・(うっぷ〜)男の方に言って手伝ってもらってください・・・・・ (うっぷ〜うっぷ・・・う〜〜ぷ・・)」 というものであった。 一刻も早くきれいな空気の場所へ行かねばと、そう言い残すとよろよろと 離れた場所へ移動し、何度も大きく深呼吸して、ようやく危険を脱出する。 あの時のことを今でも時々思う。 「なんだか悪かったかなぁ〜」と。 が、臭いに負けて自らの”モノ”で、自ら臭くなってはいけない。 あのときの選択は正しかった・・・。 おしまい。 ... 妹よ。 - 2003年03月18日(火) 土曜日の夕方から日曜日にかけて、旦那と2人、泊まりがけで妹夫婦の 家に遊びに行った。 妹、妹の旦那、私、私の旦那、4人で会うのは久しぶりだ。 その日のメニューは焼肉。 「お姉ちゃんたちってどのくらい食べる〜?」 「う〜〜ん、牛一頭ぐらいかなぁ〜」 と、事前に電話で妹と打ち合わせをしておいたのだが、 近くに牧場があるわけでもなく、また、たとえあったとしても、 そこから盗むわけにもいかず、牛一頭分の肉には及ばなかったものの、 食卓に用意されていたのは、充分すぎる旨そうな肉と、 「野菜もちゃんと食べなきゃだめだぁ〜よ〜」という ”田舎のおっかさん”のような妹の配慮によって用意された ナス、しいたけ、にんじん、たまねぎなど等の盛りだくさんの野菜達であった。 妹の旦那がジュージュー焼いてくれる先から素早い速さで箸を出し、 肉と野菜を平らげた後は、コチジャン入りのピリカラ焼きそばまで作ってもらう。 「ジュージュー焼肉!」というのは本来、共同作業が鉄則であるというのに、 いつの間にか、作るのはすっかり彼にお任せになり、 私も旦那も食べごろ加減のみが気になって、動くのは鉄板の上を 忙しなくキョロキョロする目だけであった。 その間、妹はちっとも腰を落ち着けようとはしない。 私達夫婦が焼肉のたれで口の周りをまだら茶色にしようとも、 口から焼きそばを暖簾のようにダラリと垂らそうとも、かいがいしく動き続け 空いた皿を片付けたり、何か足りないものはないか、と 一生懸命もてなしてくれる。 挙句の果てには、出汁の効いた汁にご飯を入れ、とろろ昆布をふわりとのせた 「とろ茶漬け」なるものまで作ってくれた。 その心遣い・・・ 本当に私の妹なのか!? 彼女が生まれて30年ちょっと。 大きな目をクリクリさせ、座布団の上でちょこんと寝ていた 赤ちゃんだった妹が・・、 プロレスごっこが好きだった私のおかげで、骨を外され 救急に2度ほど担ぎ込まれた妹が・・、 大きい目ゆえに「やぁ〜い、、デメ金!」とめざし目の私に 泣かされっ放しだった妹が・・、 母から頼まれた家の手伝いをすべて彼女にさせ、 終わったあとには私だけの成果にされてしまっていた妹が・・・、 そして・・思春期の私の夜遊びに、アリバイ工作に借り出されて いた当時中学生だった妹が・・・・、 今はもうすっかり大人、いい奥さん。 日曜日、もう帰らなきゃと起きた私に妹が、まだ眠そうな目をこすりながら、 「お姉ちゃん、、帰る前にコーヒー飲んでくぅ?」なんて 優しく声をかけてくれる。 妹よ、こんな姉ちゃんのことを本当に今までありがとネ。 これからもよろしく。 というわけで、今度はあなたのお得意料理の一つ、けんちん汁をお願いします。 おしまい。 ... 金曜日。 - 2003年03月15日(土) その一。 金曜日、夜9時。 フジテレビの「芸能界あの頃みんな若かった」を見る。 そこには、一瞬であったが若い頃の松山千春の姿が。 たぶん21歳か22歳の映像。 伸びやかな歌声が彼の長い髪を揺らす。 サワサワ・・・・・ 私は思う。 「千春は髪があってなんぼの人・・」 その二。 木曜日の夜、次の日の金曜日の予定を旦那に聞く。 「ねえ〜、明日は週末だからさ〜、当然飲みに行くんでしょ?」 すると旦那、 「何言ってんだよ〜、、明日はホワイトデーじゃないか! おまえの好きなバームクーヘン持って、出先から直接帰るよ〜」 「へっ・・?」 私はまたも忘れていた。 ホワイトデーがこの世にあったということを。 結婚記念日を完全に忘れ、 友人の日記サイトを見るまではバレンタインも頭になく、 そしてホワイトデーを旦那の言葉によって思い出す始末。 そんな私は今、2週間後の「3月28日(金)」という日を、 心に刻むように念じる。 3月28日(金)・・・う〜〜ん、、3月28日(金)・・・ え〜〜と、、3月28日(金)・・・・・・・。 あ〜〜緊張する。 3月28日金曜日・・ それは旦那の誕生日。 おしまい。 ...
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