とんでもママ! - 2002年10月16日(水) とんでもない母親に遭遇してしまった。 ちょっと古い話だが、3週間ほど前のことである。 それは、腹減ったなぁ〜と、昼飯時もとっくに過ぎた 昼下がりの午後3時、コンビニに行った時であった。 店はうちのマンションのすぐ隣り。 そこの前は、車道ではなく、広々とした歩道なので、 ママさんが自分の幼子を遊ばせるのには安全でもってこいの場所。 で、その時も3才ぐらいと思われる女の子が一人で 無邪気に遊んでいた。 女のこがトコトコと歩くたび、頭の両脇で縛った2つのちょんまげの束が ふさふさ揺れてなんとも可愛い。 だが、私は見てしまったのだ。 「いやぁ〜オバサンは心が安らいじゃうよ〜〜ん」と目を細め、 何気なく横にやった視線の先のとんでもない光景を。 心臓止まるかと思った。 それはそうだろう。 女の子の母親は、ウンチ座りで煙草をふかしていたのだから。 派手めの化粧の彼女は歳の頃なら20才ぐらい。 ピタっとしたロゴ入りTシャツにジーンズ、髪は茶色と言うには生ぬるい、 脱色混じりのみそ汁色をした典型的なヤンママであった。 派手めの化粧&茶髪&うんこ座り&タバコをプッカ〜〜。 そのお約束的な光景は 一昔・・いや、二昔前の横浜銀蝿の世界、ヤンキーの代名詞とも言える絵だ。 私もまだまだ若輩者。今時こんな風にしてタバコを吸うヤツがいたとはな。 ”ウンチ座してタバコ”は誰もが高校卒業と同時に オサラバするものだと思っていた。 子供を持ってなお、そのスタイルを守っているとはかたくな過ぎる。 しかも、彼女の横には、彼女のソックリの母親、つまりその女の子 のバアチャンと思われるような女性までがウンチ座りでタバコをプッカ〜。 親子2代に渡って、レディース出身か? それとも、一族の掟で「タバコを吸う時はウンチ座りでね!」とでも 決まっているのか? すると、継承していかなければならないので、 目の前で遊んでいる女の子も、そのうちウンチ座りで タバコを吸うことになるのか? ハハハ、、疑問だらけ。 私は人に自分の行動をとやかく言われこそすれ、 決して他人をあ〜だこ〜だと言えるような立場の人間ではない。 午後1時に起きるのを日常とする家事のきらいなグ〜タラした ヤツである。 だがさすがに、その光景には呆れた。 やめた方がいい。情緒教育上良くない。 物心もまだつかず、無邪気に遊んでいるように 見えても、そんな母親とバアチャンの姿は、知らず知らずのうちに 女の子の脳裏に焼き付いてしまうような気がするからだ。 道ばたで堂々とウンチ座りをする保護者のもとで、最低限のマナーや 女らしさが幼い心に芽生えるとは思えない。 タバコはちゃんと椅子かなんかに座り、落ち着いて吸った方が美味しいし、 ウンチ座りはウンチをする時にしてこそ、活きる座り方だ。 おしまい。 ... 遠藤さん。 - 2002年10月15日(火) 私が小学校5年生の時、クラスメートに遠藤さんという 女の子がいた。 ある日のホームルームの時間、校庭で草むしりをしていた 時のことであった。 草むしりをしながら、ペチャクチャとみんなでお喋りをしていると、 話がなんとなく「このクラスで誰が一番可愛いと思うか?」 という話になった。 私○○ちゃん! 私は△△子ちゃん! エ〜〜!私は□□ちゃんだと思うな〜〜!等と、それぞれが 自分を覗いた他人の名前を挙げていく中で、突然、遠藤さんが、 「私は自分が一番このクラスで可愛いと思う!」と、 目をきらりんと輝かせながら、キッパリと言い切った。 ・・・・・・・・。 その凛とした態度に、一瞬そこにいた誰もが言葉を失ったのであった。 で、5秒ぐらいして、その中の勇気のある一人が遠藤さんに 「どうして、そんなふうに思えるの?」とやっと一言。 すると、遠藤さんは「皆のもの控えおろ〜〜〜」ぐらいの勢いで、 花壇のブロックにピョンと飛び乗り、一段高い位置から 私達下々の者を見下ろし、手に腰を当てながら堂々とした態度で、 「女の子はね、いつもそう思ってなきゃいけないの!自分が可愛いってね。 じゃないと、ブスになっちゃう。」 と女の心得を小学生にして一席ぶつのだった。 遠藤さんは確かにほっぺが丸くて、目がくりんとしていて可愛い。 今なら、そんなこまっしゃくれたガキと遭遇した日にゃ〜 チョンと、どついてやりたくもなるが、当時の私は「なるほど〜、女というのは そのぐらいの心意気で生きねばならないのだな。」と子供心に 深く感心させられた。 それからの私は遠藤さんの教え通り、 「可愛いのだ!私は可愛いのだ!」と自分自身に 思い言い聞かせることを常とした。 そして、思春期に向かうとともに次第に男性の目も気になり始めると、 いっそう「私は可愛い!」と巫女さんのように念じるのであった。 ところが、何年たってもちっとも成果が出ない。 可愛くもきれいにもならない。 持って生まれた親から与えられた造形が、 ただ大人に向かって老けて行くだけである。 挙げ句の果てには 「おまえは顔は大したことがないのだから、せめて勉強で頑張りなさい」 と親にノックアウトまで食らわせられる始末。 こうして可愛くなることを、待ちに待って早30も半ばを過ぎ、 私の今までの人生は「美しい」「綺麗」又はその種の言葉とは 無縁な人生なのであった。 遠藤さんが今どうしてるかは知らない。 小学校の同窓会なんてないし。 だが、万が一、今二十数年ぶりに会うことができたら、 私はきっと彼女に教えてあげるだろう。 「人間、思いこみだけではクリアーできないハードルがあります。」と。 おしまい。 ... 大きなのっぽの古時計的 午後 - 2002年10月14日(月) 午後一時過ぎに雁首揃えて起きた私と旦那であった。 で、ご飯を食べた後、私がトイレに入ってしっかり力んで帰ってくると、 旦那が台所の椅子に座り、ボロ〜ンボロ〜ンとご機嫌な感じで ギターを奏でている。 何を弾いているのかと訪ねると、 「”平井堅”の大きなのっぽの古時計」だという。 ”平井堅の”と言われても本人が歌っている、もしくはギターを弾いている のでなければ、私にしてみれば旋律は一緒で、 幼い頃からお馴染みの”ただの童謡”。 う〜ん、大変だ。平井堅が歌って、大ヒットしちゃったもんだから、 これから先、「大きなのっぽの古時計」を語る時には、 全国民がいちいち曲名の前に”平井堅の”とか”ただの童謡の”と、 お断りを入れなければいけなくなったではないか。 そんなことを憂慮しながら、 「平井堅もさ〜、なんでその歌だったんだろうね〜、他の童謡でもいいじゃん」 と私がしたり顔で言うと、旦那が感慨深そうに、 「この曲にはドラマがあるのさ・・。」となにやらしんみり一言。 彼は平井堅がこの歌に幼い頃から思い入れがあったこと、 歌の中に出てくる古時計を求めて旅をしたこと、 そしてモデルとなった時計と出会って感激したこと等を蕩々と語って くれるのであった。 なるほど、そんなドラマが隠されていたとは。 NHK「みんなの歌」から火がついたある意味「だんご3兄弟」と 同一ライン的な歌かと思っていた。 うちの旦那は顔こそモアイだが、これがなかなかのカラオケキングであり、 歌声も結構甘い。 平井堅の「楽園」なんか歌った日には、その声で女の一人ぐらい騙せそうである。 なので、試しに平井堅に成りきってもらい別の童謡「大きな栗の木の下で」 を歌ってもらうことにする。 平井堅も今までただの童謡であった「大きなのっぽの古時計」を こんなに日本人に愛される癒し系にまで地位を引き上げたんだもの、 その実力を不動のものにすべく、続く第二弾を狙ってるハズだ。 曲調もなにげに似ているではないか。これは良いかも。 ボロ〜ン・・ボロロ〜〜ン 「大きな栗のぉ〜木のしたでぇ〜〜〜〜あ〜なぁたぁ〜とわ〜た〜し〜 なぁ〜かぁ〜よ〜く遊びましょぉ〜〜大きな栗のぉ〜木の下でぇ〜」 ・・・短いのであった。拍子抜けであった。ぜんぜんジ〜〜ンとはこない。 しょうがない。ここはひとつ「大きなのっぽの古時計」の別バージョンを 堅の為に考えることにする。 ”おじいさん”という歌詞を”ばあさん”にするのである。 ボロ〜ン・・ボロロ〜〜ン。 「おお〜きな のっぽの 古時計 おばあさんのぉ〜時計〜100年いつもぉ〜 〜○×△〜〜〜おばあぁ〜さんの生まれた朝にやぁて〜きたとぉ〜けいさぁ〜」 なんかダメだ。 歌詞は100年という間、いつもおじいさんの傍らに時計があったという内容。 それをおばあさんに変えてみると、ど〜も金さん銀さん、 もしくはこの前の敬老の日に、取材を受けていたにも関わらず途中で 寝てしまった沖縄の長寿バアチャンが脳裏に浮かんでしょうがない。 やっぱり、平井堅のあの声にして、あの曲、あの歌詞だったから 良かったのだなと、思いつつ、 最後は旦那のギターに合わせて私が「大きなのっぽの古時計」を歌うという 夢の”夫婦コラボレーション”で締めてみたのであった。 ボロ〜〜ン ボロロロ〜〜ン 「おお〜〜きなのっぽのぉ〜〜古時計〜〜おじいさんの時計〜〜」 おしまい。 ...
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