デコラのひとりごと。
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2006年05月21日(日) お宮参り。

今日はハル姫のお宮参りでした。
母に買ってもらった着物を羽織って
でもハル姫は爆睡(笑)
どうも外出すると眠たくなるみたいです(?)
ダンナも久々に鹿児島から出てきて
ハル姫とご対面。嬉しそうでしたよ〜。
でも、まだ正直「自分の子供」っていう実感は薄いみたい。
こればっかりは、やっぱり一緒に生活してみないとね。
男の人は自分が産むわけじゃないし、そういうもんなんだろな。

そういうわけで、帰ってきてから
さっそく沐浴の手伝いをしてもらいました(笑)
とは言っても、お湯を運んでもらったりの力仕事を。
沐浴はいつものように母が頑張りました。(私はやっぱり助手)
ハル姫がきれいになって気持ちよくなったとこで
大人たちは昼食のお寿司をいただいて、
ハル姫さんもお乳をいただいて、
気持ちのよい風の吹くよく晴れた午後。
親子3人、川の字になってお昼寝タイムを満喫したのでした(初)

夕方、ダンナが帰る時間になると
よく眠っていたハル姫が目を覚ましてベソをかきました。
たぶん、お腹をすかせてたんだろうけど
パパが帰っちゃうのが寂しいんだねぇ〜と
ダンナを喜ばせてあげました(笑)







2006年05月19日(金) 1ヶ月検診。

本日、1ヶ月検診に行ってきました。

退院後、初めての外出。
抱っこして車に乗せられ、
ハル姫はいつもと違う様子に緊張気味でしたが
すぐにウトウト眠ってしまいました。

久しぶりの病院。なんだか懐かしい(^−^)
なじみのスタッフの皆さんにも会えて嬉しかったです。
少し大きくなったハル姫はみんなに囲まれ
かわいい、かわいいと人気者でした。
「今月のナンバーワンだね!」
と、先生のお褒めのお言葉をいただき
母は嬉しいかぎりなのでございます(^▽^)

検診のほうは、母子とも順調とのことでホッとしました。
ハル姫の体重も順調に増えていて母乳も足りてるみたい。
ただ右側の母乳の出が悪い、というのを相談したら
助産師さんがマッサージをしてくれることになり。
その後、ハル姫に授乳して久々に飲んだ量を量ってもらいました。
すると、左右合わせて「120」!!!
入院中には考えられなかった数字です。
さすがにひとケタは脱出してるだろうとは思ったけれど・・・。
嬉しかったなぁ(*^^*)これも成長だよね。

あと、妊娠中にあってた体のかゆみや湿疹がまだ少し続いてたので
急遽、皮膚科(総合病院なのです)も受診することに。
なんでも私のこの症状、何万に1人のものなんですと。
そんな確率に当たるなら、宝くじにしてくれって感じです(泣)

そんなこんなで、久々の外出・病院は長引いてしまったのですが
けっこう楽しく気分転換にはなりました。少し疲れたけれど・・・。
ちなみに、ハル姫は付き添ってくれた姉が抱いていてくれたんだけど
泣いたりしないで、ずっと寝てたそうです。良い子、良い子(^^)

もうすぐ鹿児島帰るし、病院行くことはもう当分ないと思うと
ちょっぴり寂しい。でも、2人目もまたお世話になりたいな。






2006年05月18日(木) 今日で1ヶ月。

あっというまの1ヶ月でした。
相変わらずハル姫はちっこい赤ん坊だけれど
それでも抱いた腕にずっしりと重みを感じるようになりました。
最初の頃に比べると、音に敏感に反応するようになったし
あと、「あー!あー!」とよくひとりでしゃべってることが多くなりました(笑)
毎日、変わらないようでいて、少しずつ少しずつ成長してるんだなぁ。
私も、この数日でハル姫を寝かしつけるワザを身につけつつあり
娘とともにゆっくりですが成長できてるみたいです。

さて、このハル姫。
赤ん坊ながらも、けっこう我の強さを感じさせるヤツで。
お世話に手を焼くこともあるのだけど。。。
それでもやっぱり、自分の子供は可愛いもんですね。
バンザイして寝てる姿も
寝起きにするクネクネするヘンな動きも
ミルク飲んでるときの妙に真剣な目つきも
顔を真っ赤にしてクシャクシャになって泣く顔も
沐浴のときの泣くのを我慢してるしかめ面も
ゴキゲンでニコニコニコ!って笑う顔も
(オムツを替える時なんて最高の笑顔です。笑)
とにかく可愛い。とにかく愛しい。
布団けっとばして、ななめになって寝てる姿を見つけた時には
もう笑っちゃうやら、愛しいやら(笑)
なんだかな。ダンナと電話で喧嘩してイライラしてても
ハル姫の顔見たら、自然と穏やかな気持ちになれるんです。
子供ってホントに家族に「笑顔」と「幸せ」を与えてくれる存在なのだなぁと実感。

もう1ヶ月。まだ1ヶ月。
ハル姫と出会って、彼女との生活はまだまだこれから先が長く
不安や心配もあるけど、楽しみなことも多くて。
ホント、どんな子に育ってゆくのかなぁとすごく楽しみです。
私ももっとしっかりして、将来は娘の良き相談相手になれる母となりたいものです。






2006年05月17日(水) 子育て生活。

そんなこんなで退院後、なんとか子育てやってます。
入院中には黄疸が出て心配したりもしたけど、今は顔色も良く。
あんなに悩んだ母乳もだいぶ出るようになって
今は我が子も泣いて欲しがるようになってくれました。

私の娘、ハル姫(仮名)はかなりの人気者で、うちの母や姉はデレデレ状態。
すっかりハル姫中心の生活となり、しょっちゅう見に来てはデレデレしてます。
そして退院後に来てくれたダンナの両親や妹もやっぱりデレデレ状態。
特にダンナ&義父はかなりデレデレで、これはもうきっと将来彼氏なんぞ連れてきたら
パパとじーさん、揃って大変だわ〜なんてことを笑って話したりしてました。

それにしても、母親ってすごいですね。
いや、私がって意味じゃなく、私のお母さんのことです。
産む前は、「赤ちゃん抱いたのなんて遠い昔のことだから恐いわ〜」
なんてこと言ってたんだけど、そこはやっぱりベテラン。
かなり助けられてます。
もう1ヶ月近く経つけど、いまだに沐浴やってもらってます。(私は助手)
なにをやっても泣きやまない時、寝てくれない時、
お母さんが抱くとピタッと泣きやんでスヤスヤと眠ってしまったりします。
ま、負けた〜。(基本的に私は根気が足らない)
ていうか、私もできるようにならなきゃいけないんだよね(泣)
しかし、寝不足でフラフラの時にはついつい母に頼ってしまいます。
そんな母は、この生活がなかなか楽しいらしくて
自分から「見ててあげようか?」と声をかけてくれて
ハル姫に語りかけては「うふふふふー」とひとりで笑っています。
確かに赤ちゃんってずぅっと見てても飽きないもんね(笑)
それにしても、母は赤ちゃんとの会話がとっても上手。
私も母のように、もっと穏やかな気持ちでたくさん語りかけながら
ハル姫と接してゆかなければなぁと思います。
ああ。でも、実家にいられるのももう少し。
「鹿児島帰ったら、どうしよう???」(誰も手伝ってくれないから)と私。
「鹿児島帰ったら、どうしよう???」(ハル姫いなくなったら寂しい〜)と母。
今からふたりでどうしよう?どうしよう?言ってます。

子育てしてると、本当に1日があっというまで日々が過ぎてくのも早くて。
気がつけばもう、明日で1ヶ月。
私の子育て生活はまだまだ始まったばかりですが、
これからも頑張って、愛娘とともに成長してゆけたらなぁと思います。






2006年04月24日(月) 入院生活のこと。

4月24日(月)に退院しました。
この時の心境としては、退院後の生活が不安で不安で・・・(泣)
だってこれからは、看護師さんも助産師さんも助けてくれない。
もちろん家族が手伝ってくれるだろうけど、
本当の意味での「母親」としての仕事はこれからなのであって
重い責任とプレッシャーでいっぱいいっぱいな私なのでした。


1週間の入院生活。は、あっというまで
楽しくもあり辛くもあった日々でした。

出産の翌日はダンナが朝から夕方まで居てくれたのですが、
母子別室という環境のため、母親以外の人の赤ちゃんとの
面会時間は決まっていてダンナは面会時間がくるたびに、
ガラス越しにいる我が子をデレデレと見つめていました(笑)
ダンナの携帯は今時珍しくカメラがついてないやつで、
それでもどうしても写真が欲しかったらしく
私の携帯で写真を撮りまくり、SDカードを持って
いそいそとカメラ屋さんに現像に走ったり。
その日のうちに鹿児島帰る予定だったんだけど、
よっぽど名残惜しかったのかフェリーに乗り遅れて、
結局は陸路で高速使って帰ることになったり(笑)
すっかり子煩悩な親バカパパと化したダンナです。
そして、私はというと・・・。
母子別室だったせいか、一夜明けてもまだ母親になったという実感がなく
ぽわん、と夢見心地にガラス越しの我が子を見つめたりしていました。
・・・と、いうのはその日の午前までのことで。
午後からはさっそく授乳が始まって、イヤでも母親の大変さを
実感することになったのですが。

入院生活。それは、
「授乳で始まり、授乳に終わる」といった日々でした。
3時間おきに授乳室へ行き、1時間かけて授乳。
ということは、合間の2時間にご飯食べたりシャワーあびたり
お見舞い客の相手したり仮眠とったりしなくてはならなくて。
他にも、いろんな子育て・産後の生活の指導があったり診察があったり
けっこうハードスケジュールなのです。

妊娠中、出産を甘くみていた私ですが
「母乳で育てる」ということもまた、甘く考えてました。
ところがどっこい。母乳が出ない(涙)
まだ乳腺が通ってないらしく、吸っても吸っても母乳が出なくて。
疲れた我が子は途中で眠ってしまう始末。
毎回一番に授乳室へ行くのに、毎回最後まで授乳室に残ってる
落ちこぼれとなってしまった私たち親子。
授乳の前後に赤ちゃんの体重を量って母乳の量を調べるのだけど
毎回、「0」。へたすれば「マイナス」になってることもあり、
一番良い時で「10」だったなぁ。
助産師さんが、毎日おっぱいマッサージをしてくれたりもしたんだけど。
今度こそ今度こそ、と思えば思うほど出なくて。
夜中にひとりでベッドで泣いたこともありました。
そして、不足分のミルクを哺乳瓶で飲ませないといけないんですが、
それもまた眠っちゃってなかなか飲んでくれなくて本当に大変でした。
他の子は大人しくおっぱい吸ってるのに、うちの子はなかなか起きてくれなくて、
口を一文字にギュウッと閉じて、それはまるで地蔵のよう。
無理に起こして飲ませようとすると、手でおっぱい押しのけたり。
う、生まれて間もないくせに!!!生意気な!
でも、それもこれも全部、私のおっぱいが出ないせいなのであって。
ごめんね、と落ち込んでしまったり。
そんなこんなで、体力的にも精神的にもかなり辛い入院生活だったわけです。

でも、もちろん辛いことばかりだったわけじゃなく。
私が出産した日とその翌日は出産ラッシュだったみたいで
全部で7〜8人のママ&赤ちゃんがいました。
(生まれない日は全然生まれないのにね。やはり潮の関係?)
同級生の友達もいたし、他にもたくさん友達ができて
みんなでワイワイおしゃべりしたり相談したり励ましあったり。
それは本当に楽しかったです。
なんだか、短大時代の寮生活を思い出しちゃいました。
幼なじみや高校の同級生がお祝い持ってお見舞いにも来てくれたりもして。
母乳が出なくて悩んでた私に
「みんな最初はそうだよー。でも絶対に出るようになるから」と
経験談を話してくれたり、すごく励まされました。

辛かったけど、楽しかった。
退院する時は、やっぱり少し寂しかったです。
そんな入院生活。




2006年04月22日(土) 出産を終えて。

産後は分娩台にしばらく寝かされてて
赤ちゃんを胸に抱いたり、ダンナや母や姉に囲まれ
夢みたいな時間をふわふわと過ごしていたのだけど。
私の場合、微弱陣痛だったこともあって産後の子宮の戻りが遅くて
出血が多かったらしく貧血気味。
いざ病室へ戻ろうとしたら、立てなくて自分でもびっくりした。
キャスター付のベッドで病室までガラガラと移動させられ、
「うわぁ初体験ですぅ」とかアホな発言したり。
もっとびっくりしたのが、お腹すいてるのにご飯が食べられなかったこと。
箸を持つのもしんどくて、食べ物を口に入れて噛む、
ということすらしんどくてできない。
仕方なく点滴で栄養補給。
普段、当たり前にできてることができないのって結構ショック。
・・・健康って大切ですね。

さて。
出産というものを甘くみていた私。
痛みには強いほうだと自負していたし
耐えられない痛みなんてあるもんか、とか思っていた。
しかも、出産の体験談とか聞いたり読んだりしてても
「2日かかって産んだ」という話よりも
「2時間で産まれた」という話に、
勝手に「私はこっちのタイプだ」とか思っていたのだ。
(言うまでもなく、フタを開けたら前者のタイプだったわけですが)
いやはや。ごめんなさい。
出産は大変でした。想像以上のものでした。痛かったです(涙)
そして、意外に思ったこと。
出産って、いきみに入ってからが一番きついのかなぁって思ってたんだけど
(大きいものを出すわけだから)
私がきつかったのは、そこに至るまでの陣痛の時間であって
いきんで赤ちゃんを出すまでっていうのは、「え?もう出たの?」
と、あっけないくらいのもんでした。
もちろん、出産というのは人それぞれ違うものだし
痛みの感じ方も多少は違うもんなんだろうから、
これを読んだ人が必要以上に出産を恐がることはないと思います。

私自身、あんなに痛かったくせに産後の今もうすでにその痛みを忘れようとしています。
陣痛の最中には「もう二度と子供なんか産むもんか!」と本気で思ったけれど
きっと、そんなことすっかり忘れて2人目を作っちゃうんだと思います。
そして、陣痛がきたときに激しく後悔して、終わったらまた忘れちゃうんだと思います。
みんな、そういうもんなんだろな。
女ってすごい。女って素敵!

以上、デコラの出産の記録。でした!




2006年04月21日(金) 陣痛→出産=4月18日のこと。2

お昼過ぎ頃。
分娩室に移動。
そこからの記憶は曖昧だ。
時間がどれだけ過ぎたのかもよくわかってなかったと思う。
ただひたすら痛みとの戦い。終わりが見えなくて絶望的な気分にもなる。
陣痛の合間には、ものすごい睡魔に襲われて意識朦朧。
痛みがくると、のたうちまわって「痛い、痛い」と叫ぶ。
途中、何度も「帝王切開にしてください!」とか「もう生むのやめます!」とか叫びたくなった。
(もちろん、叫ばなかったけど。叫ばなくてよかった)
看護学生さんがついてたのだけど、おっかなびっくりで腰をさするので全然効果がなく
理性とかそういったものがぶっとんでた私は思わず
「慣れてる方に代わってくださいっ!!」と言ってしまう。(ごめんなさい)
でもその学生さん、私が痛みに耐えてる間ずっと手を握っていてくれたり
本当にすごくいい子でした。ありがとう。
ところで陣痛の時って、尾骶骨のあたりとかお尻の穴を
力いっぱいおさえてもらうとすごく楽になるんです。
ベテランの助産師さんなどはツボをわかってらっしゃるので、すごく助かりました。
ずっとずっと長い時間、痛みがくるたびにさすったり押さえたり大変だっただろうな。
なんだかもう、今回の出産、たくさんの人にお世話になった気がして
本当に本当に感謝なのです。
そんなこんなで時間はどんどん過ぎるのに、
お産はなかなか進まなくて陣痛だけが強くなってく状態。
陣痛促進剤を強めたり、途中なにかよくわからない錠剤の薬を2度ほど飲まされたり。
本気でくじけそうだったけど、助産師さんの言葉。
「子宮は疲れてきてるのに、赤ちゃんはものすごく元気だよ!」
そっかぁ。私は今、赤ちゃんを産もうとしてるんだよね。
当たり前のことすら忘れかけてた過酷な状況。
でも痛くて辛いだけじゃない。もうすぐ赤ちゃんに会えるんだ。

午後3時半頃には、たぶん「いきみ」に入ってたと思う。
分娩台に横向きに寝たまま、助産師さんの声掛けに合わせていきむ。
「もう赤ちゃんの頭がそこまできてるよ。自分でさわってみない?」
助産師さんにそう言われたけど、そんな元気はなくて。
体を起こしたり手を伸ばしたりする体力も気力も残ってなかった。

4時前頃に、鹿児島よりダンナが到着。
と同時に分娩台に足を乗せる体勢に入る。
本当は立会い出産を希望してたんだけど、
もうあんまり見られたくない気分になっててダンナには外に出てもらった。
出る間際に「がんばれよ」と頭をなでてもらう。
そこからは、あっというまに感じた。
息を深く吸って、思いっきりいきむ。
そんなにたくさんの回数はいきまなかったと思う。
いきむと同時に助産師さんが私のお腹をおさえて、
赤ちゃんが出るのを手伝ってくれた。
分娩室には先生と助産師さんたちと看護師さんたちと
・・・すごくたくさんの人がいるのに気づいた。
うわぁ。こんなにたくさんの人が私の出産を手伝ってくれてるんだぁ。
ぼんやりした頭で思う。
そして。
ツルン。と赤ちゃんが出てきて、頭真っ白。
「オギャア!」という元気な産声。
看護学生さんが涙ぐんで「おめでとうございます!」と言ってくれた。
先生や看護師さん助産師さんが笑顔で「頑張ったね!」と褒めてくれた。
私は、というと感動とかナミダとかそういったことよりなによりも
ただただ、長かった「痛み」から解放されたことにホッとして
体中の力が抜けてゆくのを感じていたのだった。






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