今年はまだ手袋がいらないと思っていたら、朝のニュースで大雪の情報が流れてました。 そういえば、「寒気が〜」というニュースを夜に聞くときは、大抵外出しない日が多かった。年末くらいだったかしら? 日記はまだ使えそうです。 いよいよ怪しくなったら、ついでにサイトを改装しようかと思いつつ……。今日も寝ちゃうかな。(昨日は早寝してしまった;)
2年半に渡って、使ってきたのですが、使用期限切れの案内が来たので、明日以降はどこかへ引っ越すかもしれません。それともしばらく使えるのな? 日付が変わるまでには、報告できるかと思います。ってしなくちゃまずいですね。
昨日の帰宅時時点での「週末の予定」は、撮りためたビデオを夜中かけて観て、朝9時までに朝食を食べ終え、午前中に下書きにペン入れ、午後から色塗り…だったのですが、叶わず; 金曜土曜と2日続けて夜に寝こけてしまいました。ははは。 ビデオを観て、書き損なってた日記を埋めて、溜まった2日分の洗濯物(4人分)をたたんでいたら、もう4時です。あぁ〜1日が終わってしまった。(まだ早いって?)
TOP片割れの天使は、また来週に持越しです。
ところで、昨日参考になりそうな写真もいくつか仕入れてきたので、眺めながら、次のイラストのことを考えていたりするんですが(本当に考えてるだけ;) 写真って被写体によって、カメラマンの気合の入りようが違うだろうって思うときがありますよね。(かってに私がそう思ってるだけかしら?) 「この人のこの回は同じ表情ばかりでつまらない」とか、「この人、はずれがないので選ぶのが困難」とか。写真が良い人っていうのは、たいてい、いつも良いんですけどね。撮られなれてるからじゃなくて、カメラマンの気をそそるんだろうなぁって思うわけです。 椅子の背に回した手とか、ポケットに突っ込んだ手とか、髪を直す仕種とか、伸ばした足、曲げた足、組んだ足…はずれた視線etc…。 はずれがない人って、素晴らしい。(元々被写体なりうる人なので容姿はいわずもがな) それにしても、昨日ちょっと失敗だったのは、うっかり衆人の前でおたく発言してしまったことですね。たまにテンション上がるとコレだから; 部屋の中で3人掛けソファーの両端に座った2人の写真と、夜の高架下でライトを付けた車の前方とサイド(に寄りかかった)2人の写真のどちらと選ぶか、という問題(笑)で、「離れ加減は同じじゃない?」という言葉に、思わず「いや、背景と車があったほうが、想像の幅があるよ!」と叫んでました。(妄想とは言わなかったよな;) でも、「どんな想像だ!?」という突っ込みを自分で入れてたりして; 張り込み中の刑事みたいで、ドラマ性があるって言いたかったんですけどね。
そんなこんなで、せめて月に一度はTOPを変えたいという野望を抱いております。
| 2005年01月29日(土) |
『endless SHOCK』 |
友達に頼み続けて、2年ぶり(3度目の正直って奴だ)にチケットが取れました。 楽しかったです。 ソロコンを見逃し、ドームではソロがなかったので、一人を十分に堪能してきました。本当に踊りまくってます。そしてフライングの多いことっ!! そして、階段落ち……。死なないでね; 一生で打つ鼓動は、虫も象も大体同じという話を思い出し、だったら鼓動を早打ちする人間は早死にするのではと、ちょっといらぬ心配をしてしまいました。
再演を続けるストーリーはというと、カンパニーを率いるスターという基本は変わらないのですが、人間関係、周りの環境その他もろもろが違うんですね。今回は大人の出演者がいないので、青春白書のような、ちょっと熱い内容でした。
特別な演目はドラムかな。ゲストドラマーがどうしても『嵐を呼ぶ男』の裕次郎に見えて仕方ありませんでした。 気になったのは、ギリシャの衣装。どうせなら、メインキャストの衣装もギリシャ調にしてくれればいいのに。なんでスーツなんだろう? あとは、『yoru-no-umi』の背景。電光がまるでカラオケでアニメを入れたときに出るCGみたいでした(泣) バラードで華麗に踊る、素晴らしく良い曲なのに! 月と海だけでいいじゃん。星、動かしたりするからな〜(苦笑)
さておき、とっても楽しい舞台だったことは間違いないので、大変満足して劇場を出ました。そういえば、始まってすぐ「ここはオフブロードウェイの劇場。狭いですが云々」というセリフに、思わず噴出しそうになってしました。 帝劇広いですから(笑)
心が狭くなっているなぁと感じたので、ちょっと反省中です。たいてい、残業が多くて身体が疲れているときに陥るのですが、読んだ本の影響かな……。
『マークスの山』と『照柿』、ともに高村薫です。
『マークスの山』は、登山家がよく言うように「そこに山があったから」で、すべてが始まって終わるような話でした。山の描写に圧倒されつつ、すんなりとそういうものかと納得させられます。 でも、心理学のドキドキラブラブ作戦(アレ…吊橋効果って言うんだっけ?)と同じ原理ですよね。極限状態にあるふたりは恋に落ちるものなんでしょう。(…誰と誰がという突っ込みはなしで;)
『照柿』が…、きつかった。私が読んでいるのはなんだろうって、何度思ったことか。「セメント樽の手紙」とか、近代のプロレタリア文学とか思い出しました。読み終わったときにはほっとしました。どんな話にも終わりはあるんだって(苦笑) 登場人物の人生にはまだまだ終わりはなくて、苦難の道が続くのがありありなんですけどね。どんな職業も大変だなぁとか、どこの家族も大変だなぁとか。どんな感想じゃ;
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