翠の日記

2004年02月06日(金) 『解夏』

 タイトルの意味が映画の中で語られると「あぁ…そうか」と、胸にくるものがありましたね。禅寺の行になぞらえた、このシーンが一番胸にこたえたかも。
 失明するとしたら、最後に見たいものは何か、というのは、わかりすぎるくらいでしたが、それ以外を持ってこられても、ちょっと困りますよね。
 「笑顔の綺麗なお嬢さん」とか、さすがさだまさしみたいなセリフもあって、思ったよりも楽しい場面も多かったので、観やすい映画でした。
 「げげ」という音の響きと失明という題材から、もっと激しいものを想像していたのですが、淡々と、切ない話で、失明した人の説明が「暗闇ではなく、霧の中にいるよう」だとか、「闇という光を見ていた」という表現が、新鮮でした。今まで光を失うと思っていましたから。
 時間の流れとともに迎えたラストシーンも、とてもすっきりしていて、久しぶりに映画を観たなぁと思いました。(実際久しぶりの映画だったし)



2004年02月05日(木) 不覚にも泣いてしまった

 今週もリアルタイムで「マリみて」と「十兵衛ちゃん2」を観てしまったので、寝不足です。先週のビデオを観てどうしても我慢できなかったんですよ〜。「十兵衛ちゃん」が!!
 もう、泣きました。
 不覚というか…、これは泣かせるところだろう…というところだったのでまぁ良いのですが。
 爽やかな容姿に、清々しい置鮎くんの声で
「父が(柳生の殿より仰せつかった2代目様を探す)お役目を果たせぬときは、息子のお前が代わりに頼んだぞ」とか言われちゃうとね、息子としては果たすしかないじゃないですか。
 それにしてもなぜあの父にあの子供なのだ? 顔は可愛いし、忍びの腕もかなりのものなのに、ちんまりとした小汚いガキんちょ。苦労したんだろうな……300年も成長せずに、そのまま生きているんだから。(たぶん…)
 1を観ていないのでこの辺あやふやです。
 回想で父が自由(ヒロイン)に2代目十兵衛の証である眼帯を受け取ってもらえなくて、「拙者、何のために300年も生きながらえてきたのか」と、泣き言を言っていたし。そして空に帰ったらしい…たぶん?
 
 子供が使い慣れない大人の言葉を必死で使うように、
「拙者…、父上の帰りを、300年…待ちました。ある朝、これ(2代目十兵衛の眼帯)が右手に……。父上…探せなかったのでござろうか……。ここに…、自由さま…、会えなかった…で、ござろうか…?」
とか、たどたどしく(見かけは幼稚園児だからっ)言われちゃうとね、だーーーっ!! と涙が溢れてきちゃいましたよ。

『違うのよ〜、父は300年かかってやっと探し出せたけど、相手に断られちゃっただけなのよ〜』

 それを聞いてる自由も、もちろん泣いてて、子供を抱きしめようとするのですが、(結果的に子供から父を奪ったのは自分だからね)それでも眼帯は受け取れないので、泣く泣く「消えて」と。
 次週気になるっ! ということで、起きて観ちゃったんですよね。
 危機に陥った友人を救うために、結局は眼帯(がないと、変身できずに力を発揮できないので)をつける羽目になったんですが…。

 1を観ていなかった十兵衛ちゃんをなぜ観る事になったかは、あまりにも笑っちゃう理由でして。
 「マリみて」からの繋がりもあるのですが、うつらうつらとしながら観ていた初回ラストシーンで、ヒロインが眼帯をしたとたん『ナイスバディな美少女』に変身したからです。やれやれ。
 普段の姿が「ぷりんぷりんのぽわんぽわん」ちゃんだったので、興味なかったのですが、日本刀を振り回す、黒髪美少女!しかも敵が、金髪美少女。そして、両者とも眼帯付き!
 一気に目の覚めた私です。ははは。
 同じような現象がセーラームーンでも起きたような気が…。5人のときには惰性で観ていたのに、天王と海王の二人が出てきたとたんに見方が微妙に変わったような(笑)

 だから、マリみてもお姉さま方の方が気になったりして。

 でも、さすがにリアルタイムは来週からは控えようと思ったのでした。年だし…。



2004年02月03日(火) 豆まき

 今日は節分でした。
 家に帰ると、すでに玄関は豆だらけです。
 私が帰ってきたと知るやいなや、「一緒に豆まきしよう!」と珍しくイキオイこんだ妹が桝を持って迎えに出まして、着替えもせずそのまま「鬼は外〜福は内〜」
 あまりに景気良く撒いたので、今年は食べる分が少なくなってしまいました。それでも、年の数+1…以上食べたような気がします;



2004年02月01日(日) あっというまに2月に

 一月があっというまに過ぎていってしまいました。年始休みもあったし、祝日もあったので、よけいにそう感じるんでしょうね。
 そして、2月は日数が少なくて、3月は仕事が忙しいために、きっとあっというまに感じることでしょう。

 隣の神社では、毎年2月の第一日曜日に町内の人たちが集まって、篠と半紙で作った的を、同じく篠で作った弓と矢で射るという行事が行われます。
 私はこれをずーっと、節分と同じように魔よけとか、そういうのだと思っていたんですが、ふと思いついて聞いてみたら、「子宝祈願」だということでした。
 だから、昔は子どもが欲しい順に射たそうなんですが、もう町内会に集まる人が子育てをすっかり終えた人たちなので、慣習として毎年やってるだけのようです。
 子どもの頃は、大人がやり終わった後に、打ち捨てられた的と弓を持ち出して、子供たちで同じことをしたものです。(子宝祈願とは知らずに:笑)
 さすがに中学くらいになったらやらなくなりましたけど、弓に矢を番えるのが、とても格好良く見えたので、やってみたくてしょうがなかったんですよね当たれば気持ちが良いし。(所詮、素人の手作り品なので1日使えば、ボロボロです;)
 私の高校は、弓道部があったので、袴姿の級友を見るにつけ、憧れたものです。私自身は部活動自体が苦手だったので、ちょっと迷いはしたけれど入りませんでした。
 しかし、弓道場は危険区域なので、なかなか見ることはなかったんですよね。文化祭の後夜祭で、火を付けた弓を射るのがとても素晴らしい演出だったなぁと、しみじみと思い出しました。

 弓引きといえば、先日国営放送で、からくり人形の番組がありまして、その中の「弓引き人形」がとても素晴らしくて、熱心に見ていました。的を当てるだけじゃなくて、外す仕掛けまで考えられているんですよ!
 昔の日本人は素晴らしかったと、本当に感動しました。
 それに、あのTOYOTAで茶運び人形をヒントにして、物を運ぶ自動ロボットを作ったっていうんですから。
 作業ロボット自体は珍しくないのですが、それが、電気を使わない省エネというところが重要ポイントなのでした。しかも、仕掛けがシンプルなので、壊れてもすぐに修理できるという素晴らしさ。
 他にもからくり人形が演技する山車(?)とか、昔の設計図の刷本とか、見ていて本当にわくわくしました。
 ロボコンとはまた違った楽しさがありますよね。



2004年01月31日(土) 寒ぼたん

 上野の東照宮に行ってきました。
 吊り広告に、藁の傘に雪の積もった牡丹が現れると、毎年気になってはいたんですが、春に初めて見に行った牡丹が綺麗だったので、今年こそはと勢いこんでデジカメを持って行ってきました。
 雪があると赴きもひとしおだったのでしょうが、1月の関東は晴天続きで、そんな気配は欠片もなく、陽の光の中に咲く艶やかな牡丹を堪能してきました。
 蕾と満開のものとが揃っていて、写真は資料用にたくさん撮ることができました。100枚近く…。どれを残すかで、まず悩みそうです。
 私はデジカメで無作為にパシャパシャと撮っていましたが、カメラを持っている方は、一眼レフの大振りなものが多いんですよね。もちろん、携帯カメラで撮る人の姿もありました。
 デジカメの良いところは、ピント合わせを素晴らしい性能でやってくれるところです。そして、現像の手間がいらないところ。
 
 ところで私は、三次元のものを上手く捉えられないようで、写生はとても苦手なんですよね。距離感が測れないんです。
 美術の時間に教わった方法としては、鉛筆で測って描くとか、四角く切り抜いた厚紙に十字に糸(ゴム)をはって分割して描くとかがあったのですが、屋根が大きくなったり、柱が太くなったり、どうしても狂ってしまうんですよね。
 だから、写生はめちゃくちゃ苦手でした。鏡に映った自画像とかは(似てはいないけど)わりとまともに描けたんですよね。これは、2次元だから。3次元の友人をモデルに描いたときは、頭と身体のバランスがどうしても狂ってしまって、描き直す気力もなく落ち込んでいたような思い出があります。
 画像の記憶力もそうよろしくないようで、服の皺はともかく、手は自分の手を観て描くしかないんですよね。さすがにこのくらいの近距離なら距離感どうのってことはありません。
 そういえば昔、右手のピースサインを描こうとして、もちろん自分ではできないので、
「誰か、私にピースサインを送ってくれ」
と叫んだら、大爆笑されました;
 ところで、今のTOPの手は適当に描いてみたんですが、後で自分でやってみたら、右手がありえない角度になっていることに気づきました。やれやれです。


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