きりんの脱臼
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ここは、なかはられいこ(川柳作家)と村上きわみ(歌人)の
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バクダンとウソとジユウをありがとう なかはられいこ
理工系の彼氏を持って一番良かったと思うのは、 爆弾の製造工程をすぐ側で見せて貰えたことだった。
こういうのは、 なかなか見られるもんじゃない。
文系一筋で来た私には、 特に手伝えることも見つからなかったので、 ひたすらペットボトル入り清涼飲料水の消費に努めることにした。
たとえば、 ノンシュガーの紅茶とか、 新発売のスポーツドリンクとか。
空になったペットボトルを、 逆さまにして中をよく乾かしてから、 半透明のビニール袋に効率よく一杯詰めて、 私は彼氏のアパートまで夜の道を歩いて通った。
ペットボトルが貯まる頻度は、 だいたい週に一回くらい。
それはつまり、 私たちのセックスの頻度とイコールだった。
回数的には、 ちょうど良かったんじゃないかな。
私はお金を出してペットボトル入り清涼飲料水を買い、 彼氏はペットボトルを受け取って私とセックスをする。
こういうのって、 逆売春みたいな感じなのかしら? と私が聞いてみると。
どうなんだろうな、 でも俺は別に売ってるつもりはないよ、 と言って彼氏は笑った。
そっか、 ビジネスじゃないんだ、 と私は思った。
どっちかというと、 お互いボランティアだったのかも知れないね。
そうした関係が半年も続いた頃、 彼氏の仲間のアジトに警察が踏み込んで、 彼氏も自分のアパートを引き払うことになった。
初めて私の家に来た彼氏に、 どこへ行くつもり?と聞いてみたら。
多分もうあんたとは会えないところ、 と言って彼氏は少し笑った。
昼間会うのは今日が初めてだね、 と私が言うと。
夜だと職務質問されそうだから、 と彼氏が答えた。
「大変だねえ。テロリストも」 「とりあえず、命がけだから」 「あたしは職務質問されたことなかったけど」 「だってあんた、いつもエプロンしてただろ」
エプロンは無敵なのか、 と私が感心すると。
無敵なのはあんただよ、 と彼氏が苦笑した。
夫も子供も出払っている平日の居間で、 彼氏は緑茶と煎餅を美味しそうに味わって。
じゃあ俺行くから、 と言って立ち上がった。
「身体には、気を付けて」 「うん」 「テロリストには健康保険だってないんでしょ」 「うん、まあ」 「全く因果な商売だよねえ」 「だから、商売じゃないってば」
スニーカーに足を突っ込みながら、 クスクスと笑う彼氏の背中を眺めていたら。
私は、 言い忘れていたことを思い出した。
「ねえ」 「何?」 「荷物になるなら、引き取るよ」 「何を?」 「ペットボトル」 「ああ、あれは」
もう先に送ったから、 と言って彼氏が振り向いた。
「大事な原材料だからね」 「そっか」 「ご協力、心から感謝してます」 「いえいえ、どういたしまして」
そこまで送るよ、と私が言うと、 いや止めときな、と彼氏が答えた。
「なんで?」 「あんたまで目ェ付けられるぞ」 「もうそんな近くまで来てるの?警察」 「まあ、用心に越したことはないでしょう」
だけどあたし、 今日もエプロンしてるし、 大丈夫だよきっと。
そして私は、 中年女を気遣うテロリストの背中を押して、 まるで大学生の甥っ子のような彼氏を門から見送った。
ぬくもりを分け合うために愛し合うわけではなくて 海風の音 水須ゆき子
鍵盤の上のひだまり舞いあがり落ちる和音という名の埃 氏橋奈津子
路地をちょっと入ったところに古い二階建てのアパートがあった。 そのアパートの裏手には青桐の木があって、 青桐の下はかっこうの不要品置き場となっていた。 そこには錆びたトースターとか中綿のはみ出たふとんとか、 割れた鏡とかつるつるになったタイヤとかにまじって、 古びた赤いピアノが捨てられていた。 うしろの足が1本、ぐらぐらしてはいたけれど、 まだちゃんと音の出るおもちゃのピアノ。 赤いピアノはなぜ自分がここにいるのか、 いまだによくわからないでいた。 それでも、持ち主だったシオリちゃんという女の子の、 やわらかくてあたたかい指の感触を思い出すたびに、 とてもやすらかなきもちになることができた。
雨が降った。 モルタルのアパートに、青桐の葉っぱに、赤いピアノに。 しとしとしとしと雨は一日中降った。 あくる日、赤いピアノは「ミ」の音が出なくなったことに気がついた。
世界から「ミ」の音が消えた。 ミカンもミルクもミラクルもミスタードーナツもミャンマーもミヤシタさんも、 およそ「ミ」のつくものはすべて消えた。 とりわけひとびとを当惑させたのは、ミミが消えたことだった。 ミミを無くしたひとびとは、驚き悲しみ憤り途方に暮れて右往左往した。 電話も音楽もラジオもミミカキも用を足さなくなって、 ついには青桐の下に捨てられた。
ふたたび雨が降った。 アパートの鉄階段に、青桐の幹に、赤いピアノに。 さめざめさめざめ雨は一日中降った。
赤いピアノは不安にふるえた。 あくる日、「シ」の音が出なくなっていたら? 「シ」はシオリちゃんのシだ。 世界から、シャワーやシャンプーやシトロエンや システムキッチンやシラタキやシガラミが消えるのはいい。 たとえシアワセが消えたとしてもなんでもなかった。 そもそもシアワセがどういうものだか赤いピアノは知らなかったから。 だけど、シオリちゃんのことは知っている。 やわらかくてあたたかい指で、いとおしそうに白い鍵盤に触れてもらった記憶は、 赤いピアノのいちばん大切なものだった。
「シ」が消えるのは、どうしても、 だめ。
赤いピアノは自分の1メートル先に大きな水たまりがあるのを見つけた。 決断は早かった。 注意深く3本の足で立ち上がろうとする。 うしろの足はぐらぐらでまっすぐ立つのは難しかった。 なるべく後ろに重心をかけないように残った足でバランスをとりながら、 ひょこたんひょこたんと水たまりのほとりまで歩く。 力を使い果たした赤いピアノは、 前のめりになったまま水のなかに突っ伏した。 確実に「不要品」になるために。
バクダンとウソとジユウをありがとう なかはられいこ
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