きりんの脱臼
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ここは、なかはられいこ(川柳作家)と村上きわみ(歌人)の コラボレーションサイトです。(ゲスト有り)
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2003年03月12日(水) 氏橋奈津子

ひっぱってください 喉からするすると赤錆色のリボンがほらね   村上きわみ



ゆうぐれのひどく暗い町だ。と、最初に思ったのだった、確か。
曇っているのではなかった。空はうつくしい茜いろ薔薇いろ菫いろで、
ただ、そのすべてに、どうしようもなく光量が不足している。
光がうまく届ききっていない。そこの路地にも、ゆびさきにも。
そういう感じの町だった。すくなくとも、そう見えた。

あいまいに暗い道を、東のほうへゆっくりと歩く。
すれちがう人々は皆ゆうぐれのほうを向いて、眼だけがとてもうつく
しい。
ああ、りょうりょうと光る眼だ、と思って、次の瞬間、その顔だちを
全部きれいにわすれてしまう。

弱いゆうぐれの光が、息も絶えだえになりながら最後にたどりつく辺
り、そのもうひとつ先の角を折れた建物から、ぶらんこが揺れるよう
なふしぎな抑揚の音楽が響いている。のぞけばそこには古い、やすっ
ぽい足踏みオルガンが何台か据えつけてあって、そこが今夜の私の仕
事場なのだった。

ひどく重いくせに音もなく開くドアを入り、周りの人々に目礼をして、
空いていた奥から二番目のオルガンの前に腰かける。
両足をペダルに置き、何度か踏みぐあいをたしかめてから、すこし考
えてホルストの「第一組曲」の主題をえらび弾きだすと、オルガンの
下のほうからはするすると赤いリボンが織り出されてくる。
ゆるやかに慎重に、けれど急がなくてはいけない。夜明けまでにこの
工場で、東の地平線の長さぶんだけのリボンを織りあげなければなら
ないのだ。

日は既にすっかり沈み、もともと弱々しかった残光は気配すらなく、
鍵盤だけを照らすささやかな灯の下で織られかさなってゆくリボンは、
心を痛めた人から流れ出す血液のような鈍い赤錆いろに見える。
どんなにうつくしい音を弾いても、どんなになめらかな旋律を弾いて
も、その色合いが明るく澄むことはない。

それでも、夜明け前、日の昇るまぎわの東の地平線に、朝の予兆とし
てまっすぐにこのリボンが張られたとき、そのひとすじの赤はすきと
おり、この上なくうつくしく天に地に映える。
にじむような赤のなかから、そろそろと金いろの太陽が昇りだす。
リボンはいつしか端からほどけ、赤の粒子を大気にとけこませながら、
この朝の役割を終える。
日の光はやはり弱く、町をすみずみまで照らしだせはしないけれど。
単純でうつくしい和音の、さいごの余韻。

りょうりょうとうつくしく光る眼をした人々が、
皆あさやけのほうを向いて、働きに出かける。



鍵盤の上のひだまり舞いあがり落ちる和音という名の埃   氏橋奈津子


2003年02月25日(火) 村上きわみ

朝焼けをとりにゆくんだがんきうと鳴くかなしみの球体つれて  ひろたえみ


  ぷよぷよだよ
  水たっぷりたたえて 
  湖なのか 池なのか
  胸まで水がきたら逃げなきゃ
  くるしいくるしいって泣くとこ見たい?

凛子がなにか喋っている。さっきからずっとだ。
それはうわ言のようでもあり、念じているようでもある。
わたしは部屋の隅のソファに座ったまま凛子の声を聞きながす。問いかけても無駄なのだ。
彼女にはわたしの姿は見えていない。

  みっ ちゅらっ したしたっ とりゅっ
  これは水の音です水の音あなた聞こえていますか
  そっくりね つめたーいのね

しばらく耳をすませていると、ことばは次第に意味不明な音となり、やがて不規則な寝息
にかわっていった。読みかけの『近代詩鑑賞辞典』をふたたび開く。フランス・サンボリ
ズムについて特に知りたいわけではなかった。たまたま書棚にあった本を失敬してきただ
けだ。どのみち眠ることは許されていない。わたしが眠れば凛子の夢が冷えてしまう。

  つめたいよぉぉぉ
  泣き真似じゃないよぉ
  生き物でもないよぉ

「みみずく」という生き物がいる。昔、数日だけ家で預かったことがあった。怪我をして
いたのだったか。幼鳥というには少し大きく、しかしその仕草はどこかこころもとないと
ころがあった。べつだん、かわいらしい、とは思わなかった。眼が、こわかったのだ。
「みみずくという名前には〈水〉が含まれているねえ」と、餌をやりながら父が言った。

  雛のももいろの口のなかから
  濡れたリボンがでてくるのは
  きれいね

「あのこはもうじき死ぬよ」と、別の日、父は言った。「きまりだからね」と。
父の背広の袖口はいつも右だけ擦り切れていて、わたしにはそれが、父の、隠された呪詛
のしるしのように思えて仕方がなかった。この人を憎めたらいいのに。
「きれいなものばかり見ていて眼がつぶれてしまったお姫様のお話をしてあげよう」

凛子の喉がひくんとなった。そろそろ目覚めるころだろう。わたしは念入りに磨いておい
た鋏を手に、ゆっくりと椅子から立ち上がる。なんてうつくしい朝だ。


ひっぱってください 喉からするすると赤錆色のリボンがほらね  村上きわみ


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